「私が産んであげる」アメリカで代理出産を選択した姉と、代理母になった妹との強い絆と決断

「私が産んであげる」アメリカで代理出産を選択した姉と、代理母になった妹との強い絆と決断
私を生きる、ワタシの選択 Vol.9
「私が産んであげる」アメリカで代理出産を選択した姉と、代理母になった妹との強い絆と決断
LEARN 2024.11.15
結婚や妊娠、家庭とひと口に言っても、その在り方は人それぞれ。“普通”とされる選択“じゃない方”がしっくりくる人だってたくさんいる。そして、そのどれもが正解であり、自分らしい生き方。カップル間でのコミュニケーションや心理学を学んでいる、工藤まおりさんが、そんなあらゆる価値観や選択を掬い上げ、言葉として綴ります。今回は、アメリカで代理出産を経験した石原理子さん・Kyokoさん姉妹をインタビュー。

「代理出産」という言葉を聞くと、貧困ビジネス女性搾取ビジネスというマイナスなイメージを持つ人が多いと思う。

では、子宮を使って妊娠ができない人は、自分の血が繋がった子どもを持つことはできないのだろうか。どんなに子どもが欲しくても諦めるしかないのだろうか。

出産は命懸けであり、代理母側のリスクを考えると簡単に答えを出すことができない。しかし、物理的に産めなくなってしまうという可能性は、女性なら誰しも持ち合わせている。いつ当事者になるか分からないからこそ、ちゃんと考えていきたい

そこで今回、アメリカで代理出産を行い1児の母になった石原理子さんと、その代理出産をおこなった実妹であるKyokoさんにインタビューを申し込んだ。なぜ代理出産という形を選んだのか。なぜ実の妹であるKyokoさんは自ら手をあげたのか。当時のことと、アメリカで行なわれている代理出産について話を聞いた。

Profile
石原理子さん・Kyokoさん
石原理子さん・Kyokoさん

(右)理子さん:〈ミラクルベビー〉代表取締役。ロサンゼルス在住。短大を卒業後保険会社に勤務。その後渡米し、42歳で代理出産という形で1児の母になる。自身の体験をきっかけに、代理出産、精子提供、卵子提供のサポートを提供している。

(左)Kyokoさん:約10年ロサンゼルスに住んだのち、結婚をキッカケにシアトルに生活拠点を移す。現在は日系企業でアシスタントの仕事に従事。2児の母で、40歳の時に姉の子どもを代理出産という形で出産。

夫に子ども抱かせてあげたい

──まず理子さんに、子どもが欲しいと思ったキッカケについてお伺いしてもいいですか。

理子さん(以下、理子):実は「子どもが欲しい」と先に言い出したのは夫の方なんです。

当時の私は年齢が高くなると妊娠や出産することが難しくなるということを知らなかったので、いつかは欲しいなくらいの気持ちでぼんやりと考えてました。

38歳の時に1回妊娠したんですが、残念ながら流産しました。そのときに子宮筋腫が見つかって手術したんですが、次の妊娠の時に子宮が破裂し、流産してしまいました。その時の経験が壮絶だったので、それ以降は子どもを持つかどうか悩んだこともあります

でも、懸命に医師に妊娠や出産のリスクについて相談している夫の姿を見て、出産を諦めずこの人に子どもを抱かせてあげたいと思ったんです。

──自分で出産できなくなってしまった場合、日本では養子縁組の選択を考える人が多い傾向です。なぜ理子さんは代理出産を選ばれたのでしょうか。

理子:アメリカの医師から、私たちが子どもを望む場合の選択肢として、養子縁組か代理出産の2つが提示された時に「卵子と精子が使えるのなら、代理出産という試みの方がいいんじゃないか」と提案されたんです。それまで代理出産をすることなんて考えたこともなかったんですけど、その病院に勤めていた看護師さんが代理母になった経験があるという話を聞いて、真剣に考えてみることにしたんです。

まずは相談しようと妹に電話をかけたときに「私が産めるのかな」と言ってくれました。

でも実は、そう言ってくれたのはその時が初めてじゃないんです。私の子宮が裂けて入院した時にも「大丈夫だよ、私がいつか産んであげるから」と妹が言ってくれたんですよね。その時は、私のことを励ます言葉というか、ジョークまじりだったと思うんですけど。

──誰かの代わりに子どもを産むって、大きなご決断だと思います。Kyokoさんは、最初に「私が産んであげる」と話した時のことを覚えていらっしゃいますか?

Kyokoさん(以下、Kyoko):もちろんです。姉の子宮が破裂してしまった時、義理の兄が病院から電話で知らせてくれたのですが、話を聞くだけで何もできませんでした。

途中で医師が電話に出てきて「彼女の命は取り留めたけど、赤ちゃんを助けることができなかった」と聞かされ、事の重大さに震えと涙が止まらなくなりました。

次の日、やっと聞こえるほどのかすれた声の姉と電話で話したときに、私が彼女に今してあげられることは何だろうって考えて「赤ちゃんぐらい私が何人でも産んであげる」という言葉が自然と出てきました。

慰めの言葉だけをかけてあげるんじゃなくて、本当に代わりに産むことが出来るんだったらそうしてあげたい、って心の底から思いました

──2度目に代わりに産むことを提案した際は、ご家族に相談する前にご決断されたのでしょうか。

Kyoko:子宮が破裂してしまった後、数年もの間ずっと姉に赤ちゃんの話題に触れることができなかったんです。

そんな姉から代理出産の話を聞いて、その時も私が産めるなら産みたいってすぐに思いました。

でも、姉と義兄さんが私でいいのかわからないし、私にできるのかもわからなかったので「もし私でよかったら、本当に産めるよ」という感じで返事したのは覚えてます。夫に確認せずに(笑)。

でも、夫は私の姉ともすごく仲良しで、姉が赤ちゃんを亡くしたときの話も夫は知ってたので「Kyokoが産むことができるなら、そんな素晴らしいことはない」と背中を押してくれました。

「母親になった」という気持ちは徐々に芽生えた

──妊娠・出産は命懸けの行為だと思います。実の姉とはいえ、他人の人の子どもを産もうと思えたのはすごいです。

Kyoko:1人目の長女を産んだ時は自分でも死ぬかと思うぐらいトラウマがあったので、産んであげたいと思わなかったかもしれません。でも約4年ぐらい間が空いて、2人目を無痛分娩で出産した時に、これなら何人でも産めると思うぐらい安産だったのでそう言えたんだと思います。

──無事にお子様が誕生したときの気持ち、理子さんはいかがでしたか。

理子:妹のいきむ姿が本当に壮絶だったので、出産後の疲れ果てた彼女の姿をみて「やっと終わったんだ、良かった」と安堵した気持ちの方が強かったです。自分の子どもが無事誕生したのに、あんまり実感は湧かなかったですね。

数ヶ月後に母の日がきて、私の母と夫と子どもと食事に出かけたんです。そしたらウェイトレスさんがカーネーションを2本テーブルの上に置いてくれたんですが、私の分のカーネーションにピンとこなかった自分がすごくおかしかったですね。母親になったという感情は、子どもの成長とともに徐々に芽生えていったという感じです。

代理母となったKyokoさんと実娘、そして生まれてきたケリーちゃんとの一枚。

──Kyokoさんはお子様をご自身のお腹で育てられたわけですが、理子さんのお子様に対してどんな気持ちになりましたか。

Kyoko:私が代理出産することになったという話をお義母さんにした時「ずっとお腹で育ててきた子どもに母性が芽生えて、その子を返すなんてできなくなるわよ。そうしたらどうするの?」とすごく心配されたんです。

あまりに心配されたので私もそうなるのかなと少し不安だったのですが、産んだ後はもう役目を終えたという感じで、可愛い姪っ子としての感情以外は持たなかったです。

私の次女は、私の大きいお腹をさすりながら「マイシスター」と呼んで生まれてくるのを楽しみにしていたので、離れる時にさぞ寂しがるだろうと思っていましたが、私に似て切替え早く「バイバーイ!」って笑顔で手を振っていました(笑)。

シングルや性的マイノリティの方にも勇気を持って欲しい

──理子さんは代理母で母親になったご経験から、ご自身で同じような人をサポートしたいと思い起業されたんですよね。

理子:普通の私ができたのなら、他の人にも可能性があると思ったんです。

子どもを持つと、もちろんストレスもあるし大変なことも多いんですけど、すごく人生が充実すると私は感じています。代理出産については色んな考えがありますが、子どもを望んでいるけど日本ではどうにもできないという人を私はお手伝いしていきたいと思っています。

──代理出産を貧困ビジネスや女性搾取ビジネスと思われている方が多いですが、アメリカではどんな方が代理母になっているのでしょうか。

理子:看護師さんや会社員など、本当に人それぞれです。過去には弁護士さんで日本人のカップルの代理母になってくださった方もいらっしゃいました。

日本では「お金に困っている人がやる」というイメージが根強いですが、お金のためだけでこんな大変なことはできないっていつも思うんです。そもそもアメリカでは、代理母になるための審査があって政府からお金を援助したりサポートしてもらってるような人はなれませんし、謝礼のやり取りを禁止している州もあります。

──それは意外です。アメリカの場合は貧困ビジネスというより、ボランティアという気持ちで代理母になっている方が多いんですね。

理子:そうですね。代理母とマッチングする際も、上下関係はなく、代理母が自分の身体のリスクを考えて、受精卵を作ったときの年齢が40歳以上の場合は受けないという方や移植する受精卵の数に制限をかけている人もいます。

国によって違うと思いますが、私が出会った人は自分の身体のことを考えながら、プライドを持って、人の夢を叶えてあげようという気持ちで代理母になっていました。

─── 子供を強く望むけど産めない人がいて、代わりに産んであげたいという人もいる。

インタビュー前までは、命懸けで他人の子供を産むなんてどうしたらできるのか、と疑問を持っていた。

しかし、理子さんとKyokoさんの支え合う姿を見て、こんなにもあたたかい代理出産の形があるのかと、2人の愛情の深さに感動した。

すべてのリスクを承知して、誰かのために命を産む。強い覚悟と強い想いがなければ、成し遂げられないことだろう。

text_Maori Kudo 

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