作家・西 加奈子さんにインタビュー。
HANAKO PEOPLE story#13
いま気になる3つのキーワードについてインタビュー。第13回は、2021年に乳がんに罹患し、滞在先のカナダでの治療の過程を初のノンフィクション作品として発表した、作家・西加奈子さんが登場。
Theme #1 体
作家というのもあると思うんですが、とにかく脳がおしゃべりなんです。これまでずっと、脳に従って生きてきた感覚があるんですよね。例えば仕事のときは脳がフル回転しているから、疲れていても「まだまだできる! もっと行こう!」ってモードになって、肉体はくたくたでも、体の意見を聞こうとしなかった。だけど脳は、簡単に人を騙す存在でもあると思うのです。
40代を迎えて体が揺らぎ、無理がきかなくなってきたことを自覚していたけれど、体の声に徹底的に耳を澄まし始めたのは、がんになったことが決定打です。宣告されてからカナダでの治療が終わるまで、自分の体を人生で一番慈しみ、周りの人たちからも慈しんでもらえた8カ月だったので。
これほど自分の体を愛した記憶は、体の中にしっかりと残っているんです。
だからこそ、体ともうちょっと仲良くなるっていうのも変だけど、ありがとうって思えるようになったし、労れるようになりました。がんを宣告される少し前、大好きだったお酒を飲みたいという気持ちがパタリとなくなり、柔術やらキックボクシングやら、体を鍛えることに夢中になっていました。そのときはまだ、脳の声のほうが勝っていたから気づいていなかったけど、もしかしたら体は「これから過酷なことが起こるから、準備してね」と言っていたのかもしれない。自分のことはすべて理解しているように思っているけれど、実は体のほうが知っていて、教えてくれることってたくさんあるんですよね。もちろん作家ですし、人間ですし、脳のことは相変わらず信頼しています。ただ、今は脳がすべてではなく、間違うこともあるのだと思うようになりました。特に脳が“気持ちよく”なっていたら、要注意。そういうときは「自分が今、すごく興奮してるのは、きっとこの状況だからに違いない。でも体のほうはどう?」って一度冷静になってみる。体の声に遅れずに気づけるようになりたいし、並走していきたいという思いがとても強くなりました。
Theme #2 呼吸
よくよく考えたら、呼吸って今まで止まったことがない。奇跡的ともいえるのに、どれだけおろそかにしてきたんだろう、と思うのです。私はプロレスが好きなのですが、ヒクソン・グレイシーっていう90年代に活躍したブラジル人の総合格闘家に、今さらハマっていて。彼はヨガがブームになる前から、呼吸の重要性について語っているのですが、無敗だったのもきっと関係あるはず(笑)。私の場合は息を吸うことよりも、吐くのがうまくできていなかったみたいで、意識して吐き切ってみると胸がきゅうっと縮んで、ストレッチしてる感覚になるんです。今は1日1回、深呼吸の時間を設けて、とにかくゆっくり呼吸するようにしています。
生き方としても呼吸が浅かったことに気がつきました。何もかも前のめりで、カレンダーも15日を過ぎると、もう次の月にめくりたくてしょうがない(笑)。原稿の締切も絶対に守るし、何らかのアクションを求められる予定に関して、早めに動かないと気が済まないんです。それでも、呼吸を意識するようになってから、何もかもが前のめりということはなくなりました。
やっぱりこれも病気が決定打にはなっているのですが、年齢を重ねると物理的にままならないことが増えてくるんですよね。だけど“ままなっていた”のがそもそも異常というか、人間関係だって仕事だって、本来はままならないものじゃないですか。以前は、思い通りにいかないことがあるたびに軽くパニックに陥っていたけれど、折り合いをつけて受け入れられるようになりました。例えば私は、自分の本が翻訳されることがずっと夢で、鼻息荒く頑張ってきたし、今もその夢は変わりません。だけどもし、これだけ望んでも叶わないのだったら、それはそういうことやな、って思えるようになったんです。むしろいろんな欲望がありすぎることが、呼吸の浅さにつながっていた気がするし、結局何に欲望しているのかもわからないような状態でした。だけど病気をして、欲望のほとんどが「生きたい」に集約されて、とてもシンプルになりました。
呼吸が続くのは奇跡だと思ったから欲望を向けるのは自分の体だけでいい。
尊敬する作家で、友人でもある村田沙耶香の「自分の人体は、唯一内側から観察できる人間だ」という意の言葉が印象に残っています。闘病中、客観的に自分のことを書き続けたのは、恐怖で心と体を乖離させて考えていたのがひとつ。もうひとつは彼女の言葉の通り、作家としてこんなチャンスはない、とどこかで思っていたのでしょうね。本にするつもりはまったくなかったのですが、書くことによって救われている自分もいました。がんであることを忘れて没頭したり、この気持ちは「しんどい」という4文字だけじゃない、その背景にある感情に言葉を与えたい、と思ったり。今まできっと、自分が書きたいものを書きつつ、誰かのために書いているという気持ちもありました。だけど実際はそうではなく、全部自分のために書いていたのだと、改めて気がつきました。私にとって本を読むことや書くことは、自分を生かすための行為だったんだと思います。
Theme #3 子ども
子ども全般の持つ感性に、今とても興味があります。このブレスレットは、去年まで暮らしていたバンクーバーで、家族のように多くの時間を過ごした、友人一家のハナという7歳の子が作ってくれました。「これはカナコちゃんのイメージ!」ってプレゼントしてくれたんですけど、本当にぴったりだなあって! ハナはとても面白い子で、無茶苦茶強くて何でもできるし、真っすぐでひょうきんで、彼女を見ているとむき出しの人間に触れているようで泣けてくるんです。友達を作るのが得意な子なんですけど、その作り方も独特で。友達になりたい子が公園にいたら、その子の周りをメンチ切りながらグルグル走り回るんです。すると、メンチ切られてた子もいつの間にか一緒に走ってる(笑)。大人みたいに「…今度飲みに行きますか?」って段階を踏むようなことを一切しないのが、本当に羨ましいし、かっこいい。私もいつか、ただただ周りを走って、誰かと友達になってみたい(笑)。
子どもは身体性が優れているけど、言葉は限られていて、大人とは逆のままならなさを抱えていると思うのです。私の子どもが「飲む/飲める」のような可能形の言葉を覚えたばかりのとき、枝に手を伸ばしながら「ママ見て、届ける!」って言ったんです。たしかに法則にそのまま当てはめたら「届く/届ける」なのだけど、「惜しいなあ! “届ける”だとデリバリーの意味になんねん」って説明したら、当然ながらめっちゃ混乱していました(笑)。言語に限らず、大人の世界は「うまく説明できないけど、そういうもんやねん」っていうことが多すぎますよね。だけど子どもは、いつまでも地団駄踏んで、納得いかない顔をしている。その姿に、ぐっと来てしまうのです。
子どもみたいになんでやねんって追求していいことがいっぱいある。
そっちのほうが、本当は豊かな姿ですよね。子どもを見ていると自分の「なんで?」を消そうとせず、もっともっと大切にしたいなって思います。
Information
初のノンフィクション作品『くもをさがす』
2021年のコロナ下に、滞在先のカナダで乳がんを宣告された西さん。8カ月に及んだ闘病は紛れもなく過酷だが、その中で起こるユーモア、幸福、美しさに光を当て続けた筆致は、深い感動を呼ぶ。(河出書房新社/1,540円)