伝えたかった、言葉たち。 山崎怜奈の「言葉のおすそわけ」第27回
乃木坂46を卒業し、ラジオパーソナリティ、タレント、そして、ひとりの大人として新たな一歩を踏み出した山崎怜奈さんが、心にあたためていた小さな気づきや、覚えておきたいこと、ラジオでは伝えきれなかったエピソードなどを自由に綴ります。
(photo : Chihiro Tagata styling : Chie Hosonuma hair&make : Chika Niiyama)
「思い立ったが吉日旅in金沢【中編】」
「思い立ったが吉日旅in金沢【中編】」
現在地から徒歩3分。すぐに着いたその喫茶店は、さあここで休みなさいとばかりに落ち着いた佇まいをしていた。入口の横に置かれた焙煎機らしきものにも私は心を奪われてしまい、それ以上の移動を完全に諦めた。ドアベルが鳴るとともにまず私を迎えてくれたのは、濃厚で複雑なコーヒーの香り。幼い頃はこの香りが苦手で、起き抜けにリビングから漂ってくるとマグカップを手にした父を睨んでいたのに、二十歳を過ぎた頃からこれがないとやっていけない体になってしまった。カウンター席のお客さんが食べているプリンに気を取られながら2つ間を空けて座ると、自家製プリンのメニュースタンドに「今日は売り切れです」というシールが貼られていることに気付いてしまった。
ガックリして視線を落とすと、さまざまなコーヒー豆の説明が細かく記された紙が置かれていた。コスタリカ、マンデリン、ニカラグア、エルサルバドル、ホンジュラス…ざっと20以上はあっただろうか。濃く苦味の強い豆から、淡い酸味のある豆まで、何種類も揃っているらしい。たしかに、カウンターの奥にずらりと並んだ瓶には、それぞれのコーヒー豆の産地のラベルが貼られていて、見ているだけで小旅行気分になれた。クイズ好きでもある私にとっては産地の情報を知るのも楽しいのだが、味へのこだわりはないので、唯一店名が付けられている「ブレンド」を注文した。その店の「ブレンド」は深煎りの部類に入るようで、ほどほどの苦味の中に甘味を感じられる、バランスの取れた一杯だという。
寡黙そうな店員が目の前で豆をひき、ハンドドリップで淹れていく。私はその手さばきを眺めながら、後から入店して後ろのテーブル席に座った3人組の賑やかな話し声に耳を澄ました。というのも、地域の特性というのは、その地に住む人の、何気ない言動の中にこそ宿っていると思うからだ。窓の外の街行く人や、時間帯ごとに入れ替わるお客さんを眺めているだけでも、地域のことが少しは分かるような気がする。店員への注文や席の決め方も明らかに慣れている様子から察するに、彼女たちは地元民の御一行様だろう。でも聞こえてくるのは大体が何でもないことで、よその家の子供がどうとか、最近の俳優がどうとかいう話だったのですぐに聞き耳を立てるのをやめた。
ちなみに後から調べて知ったのだが、金沢市は全国的にもコーヒーの消費量が多く、喫茶店ブームが起こった昭和50年代前半には市内に900店近くあったらしい。さらに遡って調べると、どうやらかつてこの地をおさめた加賀藩祖・前田利家が千利休に薫陶を受けたことから、金沢でも茶の湯が広まったのだそう。完全な憶測だが、「人と集まって談笑する」という文化が金沢の人々の身近にあり、当然コーヒー好きも多いということなのだろうか。静かに過ごす雰囲気ではないけれど、居心地が良くて、何だか私も誰かと話したくなってしまった。もし近所に住んでいたら、週3回は通ってしまうだろう。
淹れたてのコーヒーの熱さに怯えながら少しずつその味を確認していると、長いスカートをはいた一人の女性客が、左隣の席に座った。店員が奥から筆箱くらいの細長い箱を持ってきて、「これ預かってたやつ」とその女性客に手渡す。「ああ、あれか」くらいのテンションで軽く受け取っている様子を見るに、どうやらこの方も常連さんなのだろう。すると彼女はトートバッグから大小さまざまな革張りの箱をいくつも取り出し、目の前に広げ始めた。