JICA海外協力隊×Hanako:私の“気づき”と新しいモノやコト。 インドネシアに〝料理隊員〞として派遣された阿部春香さんの場合
JICA海外協力隊で活動した阿部春香さん。
参加したきっかけや、現地で得た“気づき”について話を聞いた。
RESULT!:日本食への思いが増し、 さらに経験を重ねていく。
インドネシア人に日本料理を教え、改めてその素晴らしさに気づいた
高校卒業後、日本食の世界に身を置く阿部春香さんは、インドネシアに〝料理隊員〞として派遣。帰国後も変わらず日本食を作り続けるが、現地でどんな経験をしてきたのか。
幼い頃から食べることが好きで、春には近くの山で山菜を採って食べていたという阿部さんは、高校卒業後、料理の道に。それと同時に、海外生活への想いも膨らんでいた。「祖父の兄弟が海外で仕事をしていて、協力隊に応募しようと思ったこともあったそうなんです。その直前に海外赴任が決まったので、実際には派遣されなかったのですが」(阿部さん、以下同)。近くに海外経験豊富な親戚がいることで、自分もいつか海外で暮らしたいという思いがあった。「なかなか実行には至らず、料理人として働き始めましたが、あるとき、電車の中吊り広告でJICA海外協力隊の募集を見て。調べてみると、職種に『料理』の分野があったので即決しました」
初めての海外経験がJICA海外協力隊だったという行動力のある阿部さん。インドネシアでは、国立観光専門学校の調理学科で日本料理教育の補助を行った。ここでは、日本の料理学校では出会えない〝気づき〞がたくさんあった。「調理を教える前に、衛生管理の向上が第一でした。
まな板を漂白したり調理場の清掃をしたりと、日本では当たり前のことから始めたんです」。さらに、調理を人に教えるのは、阿部さんにとって初めての経験。「今まで感覚でやっていたようなことを勉強し直しました。たとえば生徒に『なぜ、だしをとるのに昆布と鰹節を使うの?』と聞かれた時に答えられなかったんですよね」。約割の生徒がムスリムだったため、みりんや酒を使う料理はタブー。「宗教的な禁忌は以前なら面倒に感じてしまっていたけれど、彼らの生活を支えている宗教への理解やリ スペクトが深まりました。食に対する価値観は宗教だけでなくヴィーガンなどもありますが、帰国後は柔軟に対応できるようになりました」
ムスリムに対するイメージは、食以外の場面でも変わったという。「戒律が厳しいイメージがあると思いますが、生活の流れのひとつとしてとても自然に礼拝に行くし、ラマダンも仲間と一緒に楽しんで取り組んでいる印象でした。みんな底抜けに明るいし、すごくピュア。学生たちは初日に家に来てくれるほど、打ち解けるのが早かったんですよ」
帰国してさらに、日本料理への思いが強まった。それは、季節による食材の変化が少ないインドネシアにおいて、日本の四季を感じる料理を作り、教えていたからかもしれない。