言いたいコト、書きたいコトバ…混じり気ナシ! 弘中綾香の「純度100%」~第13回~
ひろなかあやか…勤務地、六本木。職業、アナウンサー。テレビという華やかな世界に身を置き、日々働きながら感じる喜怒哀楽の数々を、自分自身の言葉で書き綴る本連載。第13回は自分の社会人になってからの成長について。
「未知との遭遇、のすゝめ」
社会人になってまだ6年だけども、一番の収穫といえば、「素晴らしい」「すごい」「憧れる」と思える人と沢山出会えて、話せたことだと思う。そして、どんなに努力してもこの才能には勝てないなあ、と思うようなプロフェッショナルな人とか、その考え方は思いつきもしなかった!と思うようなユニークな人たちに囲まれて多様性が身についたというのか、知見が広がったというのか、どんな言葉が当てはまるのか分からないけれど、正解も成功も一つじゃないんだ!と思えるようになった。
自分の生まれ育った環境や、幼い頃に出会った人、聞いたことは、知らぬ間に自分の価値観に大きな影響を与えていると思う。拭いたくても拭いきれないくらい、自分に深く根差すモノの見方。人生観にしかり、道徳観にしかり。恐ろしいのは、それが完全に無意識のうちに培われること。そして、盲目的に自分の物差しが「万人共通」と思ってしまうことではないだろうか。私が正しいと思うことは相手も、世の中も正しいと思っている、と疑うことなく、信じてしまう。信じるまでならまだしも、押し付けてしまうのは最悪(往々にしてやりがちなのだが)。
アインシュタインが「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションである」と言っていた、とどこかで聞いた。まさしくその言葉通り、自分の中の常識や物差しは、ほかの人からしたら偏見であることがしばしばある。けれども、それに気づくタイミングは意外と無くて、「未知との遭遇」が唯一のチャンスなのかもしれない。井の中の蛙ちゃんは、井の中から飛び出さない限り、そこが彼女にとってのユニバースなのだから。
自分とは全く違う背景と考え方を持った人と出会って話したり、自分の中の正攻法の斜め先を歩んでいるとんでもない人と出会った時とか、ともすると(私は残念ながらしていないけれど)上京や留学も良い機会なのかもしれない。そこでようやく、これまで成功や正解だと思っていたことが、もしかしたら違うんじゃないか、とか、私が信じていたものってただのローカルルールなんじゃないか、と疑うことができるようになる。
私にとっては、それがこの仕事で出会う人たちだった。玉石混淆のカオスな世界の中、一緒に番組を作る上司だったり、スタッフさんだったり、出演者の皆さんだったり。でも、多種多様な考え方を持つ人との触れ合いは、はっきり言って怖い。これまでの努力や自分自身を否定することにもつながる気がしてしまうから。でも、私はそんな出会いを通じて自分がどんどんニュートラルになっていくのを感じている。
だから数年前の自分より、今の自分の方が好き。