「痛みの記憶」を慎重に分かち合うことで未来に生まれていく居場所がある| 瀬尾夏美『声の地層 災禍と痛みを語ること』| きょうは、本を読みたいな #6
数時間、ときにもっと長い時間、一つのものに向き合い、その世界へと深く潜っていく。スマホで得られる情報もあるかもしれないけれど、本を長く、ゆっくり読んで考えないとたどりつけない視点や自分がある。たまにはスマホは隣の部屋にでも置いといて、静かにゆったり本を味わいましょう、本は心のデトックス。第6回目のブックガイドはアーティストの瀬尾夏美さんの著作『声の地層 災禍と痛みを語ること』を紹介。
ぼくの暮らしているまちの下には
お父さんとお母さんが育ったまちがある
ある日、お父さんが教えてくれた
ぼくが走ったり跳ねたりしてもびくともしない
この地面の下にまちがあるなんて
ぼくは全然気がつかなかった
瀬尾夏美さんによる『二重のまち/交代地のうた』(書肆侃侃房)はこうして始まる。この物語は、東日本大震災の“復興工事に伴う嵩上げが盛んであった2015年の陸前高田で、かつての町跡が失われていく過程を眺めながら、いつかこれが見えなくなっても、かつてのまちやその営みを想像するための細い糸が欲しいと思って書いたものだ”。陸前高田という前情報なくこの冒頭を読んだ時、思い浮かぶまちは人それぞれではないだろうか。例えば原爆によって一度更地になった広島、阪神・淡路大震災の影響を受けた神戸、関東大震災や東京大空襲の被害にあった東京、大雨や台風の影響を受けた全国のまち、災禍にあった世界中のまち。異なる時代や場所での経験が物語という器の中では繋がることに、驚くと共に希望を感じた。一つの物語があれば、わたしたちはそれぞれの体験を語ることができるかもしれない。分断が加速する社会においても、物語を媒介にすれば、当事者と非当事者というようなカテゴライズをほどいて、共通点と差異を確認しながら、互いの存在を尊重し合うことができるのではないか。こうした物語の効用をより具体的に感じさせてくれたのが、瀬尾さんの最新刊『声の地層』(生きのびるブックス)だった。
本書は2021年1月から2022年春までの1年半にわたる12本の連載と、3本の書き下ろしで構成されている。東日本大震災から10年目の年であり、パンデミックが起き、気候変動の影響により世界中で自然災害が増加し、ロシアによるウクライナ侵攻が始まったこの期間。瀬尾さんはかつて戦争や自然災害などの災禍を経験した人びとに会いに行き、語りを聞いていく。それぞれの章は、聞いてきた語りとその傍にあったはずの語られないことを含めた「物語」と、実際の語りの場の様子やそのときどきの気づきを記した「あとがたり」から構成されており、第11章では、自身の弟、“語らない”Hくんについて書いている。震災、パンデミック、戦争、自然災害、それぞれ異なる時代や場所、人の経験を元にした「物語」だが、どこか共通点を感じ、共感できることに驚く。そこに瀬尾さんの仕事が見えてくる。複数の土地や人が持てる接点や共通項を見つけて、物語として語り直し、互いの経験を話しあえる土壌を作っていくこと。その中心にあるのが痛みの記憶だ。
“それぞれが持つ痛みの記憶は重苦しいものであっても、互いの違いを尊重しながらそれについて語り合い、聞き合い、共感できる部分を慎重に見つけていくことで、人びとがゆるやかに繋がっていく。このとき、痛みの記憶は“媒介”である。見知らぬ人の痛みに気づいて寄り添おうとし、やっぱりわからないと戸惑うこともある。また、思いも寄らなかった他者の感覚を知ることで、ふと身近な人に対する理解が深まることもある。その瞬間は代え難く尊い。“
わたしには語り難い痛みがあり、自分に痛みがあるということはきっと他者にもあって、だから傷つけないように、傷つかないように多くを語らず、気持ちを隠してきた部分がある。それによって助けられた部分もある一方で、息苦しさが増し、自分も、隣にいる人も、何を考えているかわからなくなってきた。きっとわたしに必要なのは、語るべきことを選んで語ってみることだろう。瀬尾さんが本書で書いたように。
震災、パンデミック、戦争、自然災害など、過去に起こった世界中のすべての出来事が積み重なった現在の上にわたしは立っている。それは、今のわたしの言動が未来につながっていくということでもある。誰かの痛みの記憶にわたしが癒されたように、わたしの痛みの記憶が誰かの役に立つ可能性はゼロではない。
誰しもが持つ「痛みの記憶」を慎重に分かち合うことで未来に生まれていく居場所がある。それはきっと昔から人々が行ってきた生きていく上での知恵なのだ。
『声の地層 災禍と痛みを語ること』
東日本大震災から10年たった2021年、パンデミック、戦争、自然災害…。瀬尾夏美さんによる、人々のことばと風景の記録。定価2,310円(税込)(生きのびるブックス)