物語が好きで飛び込んだ、映画の世界。衣裳デザイナー宮本茉莉|エンドロールはきらめいて〜えいがをつくるひと〜#7
映画という非日常から日常へと戻るあわいの時間、エンドロ―ル。そこには馴染み深いものから未知のものまで、さまざまな肩書きが並んでいます。映画づくりに関わるたくさんのプロフェッショナルの中から、毎回、一人の映画人にインタビュ―するこのコ―ナ―。
第7回目のゲストは、なんと30年以上(!)映画のお仕事に関わっているのだという衣裳デザイナーの宮本茉莉さんです。この道を歩み始めたきっかけや、長く働く中で感じる環境の変化について語っていただきました。
スパンコールを一つずつ縫い付けることも。映画と服の親密な関係
――エンドロールを見ると、宮本さんは「衣裳デザイン」「スタイリスト」といった肩書きでクレジットされていますよね。
作品によって肩書きを変えています。時代設定の違う作品の場合はイチからデザインを起こすことが多いので「衣裳デザイナー」としていただくことが多いです。現代を舞台にした作品やドラマの場合は「スタイリスト」という肩書きを使っていて、この場合は既製品の中からキャラクターに合った服をコーディネートしていきます。また、作品衣裳の一部分だけを担う場合も、スタイリストと記載することが多いですね。最近はコンテンツの種類も増えて、いろんなケースがあるので使い分けています。
――なるほど。実際に登場人物たちの服装が決まるまでに、どんな作業をされているのかも気になります。
まず脚本を読んで、キャラクターごとに登場するシーンの内容やその時の服装、季節や年代の設定などを抜き出していき、「全体香盤」と呼んでいる一覧表にまとめるんです。ゼロからイメージを立ち上げるので、時代設定、季節、年代に合わせた資料や写真などにも目を通しながら、少しずつ人物像を構築していきます。
どんな暮らしをしている人物なのか、どんな性格で、どんな家に住んでいるのか……想像を少しずつ膨らませていくんです。
全体の流れを整理して、ある程度イメージが固められたら、監督と打ち合わせをします。それからいよいよ、衣裳を作ったり集めたり。イチから作る場合はデザインと生地選びを平行して行い、次にそれを形してくれる人にパターン、縫製をお願いします。細部は自分たちで仕上げることも多く、例えば『浅草キッド』の衣裳はほとんど手作りのものでした。蝶ネクタイを皆で作ったり、ステージ衣裳のスパンコールを一つひとつ手作業でつけたり……地方ロケでしたが、ミシンを持ち込んで夜な夜な作業をしていましたね。
――なんとも贅沢なつくりですね。ちなみにそうしてオーダーメイドでつくられた衣装は、映画の撮影が終わったらどうなるんですか?
世界に一つしかない衣裳なので……大切に保管しています。どんどん溜まっていく一方ですが、いずれアーカイブのような形で展示出来たらいいなとも考えているんです。まずは写真だけでも一般公開出来るような機会をつくれたらいいですね。
Netflix『浅草キッド』予告編。過去を舞台にした物語だとしても、現代ならではの気分や素材感をミックスさせることもあるそう
宮本さんが参加した映画『ジオラマボーイ・パノラマガール』予告編。30秒ごろに出てくる紫のワンピースも手づくりなのだとか
運命的な出会いで、夢見ていた映画の道へ
――宮本さんはもともと、ファッション誌でのスタイリングも経験されているかと思います。なぜ映画の道に転向されたのでしょうか?
小さい頃から、物語が好きだったんです。絵本も児童書もそうですし、漫画なんかも。とにかくお話の中にのめり込むことが好きだったので、高校時代から漠然と、洋服と物語の両方に関わることの出来る映画の世界に憧れを抱いていました。
ただ専門学校を卒業するときは、どうしたら映画の世界と繋がりを持てるのかわからなくて、一度広告系のスタイリストとして企業に就職したんです。そこから1年足らずでフリーになりました。そこで色々な仕事を経験して2年くらいたった頃、映画のお話があって。「やりたいです!」と即答していました。
――学生時代からの憧れですもんね。ちなみに最初の現場に声がかかったきっかけは何だったのでしょう?
学生時代お手伝いに行った現場で、スタイリストの方に「茉莉ちゃんはどういうスタイリストになりたいの」と聞かれたことがあったんです。その時に「映画をやりたいんです」と伝えたら、当時は広告が花形でファッション業界も全盛だったので「珍しいね!」と言われて。その3年後に、その方の師匠が映画を手がけることになり、思い出して連絡をくれたことがきっかけでした。
ちなみにその師匠というのは高橋靖子さんというスタイリストの草分け的な存在の方で、デヴィッド・ボウイの衣装なんかも手掛けた方なんです。
――運命的な出会いですね。
はい、素敵な出会いでした。その後、映画だけでなく広告のお仕事でも、高橋さんのお手伝いをしていた時期があったんです。1本目に関わった映画がすごく幸せな現場だったからこそ、今までこの仕事を続けられています。
松岡茉優さん主演の映画『勝手にふるえてろ』の衣装を手がけたのも宮本さん。大九明子監督は宮本さんの能力を最大限に引き出してくれる存在なのだそう
1人で出来る仕事じゃない。変化する時代の中でも、助け合いながら
――宮本さんが映画に関わり始めた1990年代の映画の撮影現場というと、すごくパワフルなイメージがあります。実感としてはいかがでしたか?
一言で言えば豊かだったと思います。色々な意味で追い立てられていないと言いますか。
ものづくりに対してみんなで考える隙間があった気がします。今はどの業界もそうだと思いますが、時間短縮、コスト削減、という方向に向かっているじゃないですか。以前はもっと全体的に、ゆとりがあったように思います。具体的な話で言えば準備期間も今よりは長かった気がしますし。
以前は連絡手段が電話やファックスに限られていましたから、もう少し「返信待ち」みたいな、タイムラグがあったと思うんです。その分、締め切りにも余裕があって……それが今は便利になった分、全て秒速で物事が進んでいくような感覚があります。
――メールやSNSで気軽に連絡が取れるようになって、スムーズに物事が進むようになった反面、やり取りを終わらせるタイミングが見えづらくなったり、仕事とプライベートの境目が曖昧になったりしていますよね。
そうですね。コミュニケーションにかける時間をコンパクトにしても、作品づくりが成立するんだという認識が生まれている気がします。一度そのコンパクトさで実績を積み上げてしまうと、自分たちで自分たちを追いこんでいるような状況が生まれてしまう。
今は1人の監督さん頼りの場面が多いと言いますか……。統率力がある作家さんにとってはいい環境なのかもしれないですが、たくさんの人の意見が入った作品も増えてほしいと願ってます。文化産業への支援や環境が作り出してる現状もあると思うのですが。
――予算の余裕があれば、コストパフォーマンスを追い求めるようなスケジュールからも少しは解放されそうです。
余裕がないと、新しい人材の育成もなかなか出来ませんからね。それによって、なかなか裾野が広がっていかない部分はあると思います。
――宮本さんがご自身の事務所で所属スタイリストさんたちとお仕事をされている理由も、未来のことを考えて、という部分が大きいのでしょうか。
そうですね。プライベートな子育ては終わりましたが、こちらの子育ては未だ継続中で(笑)。この仕事は1人で出来る仕事じゃないなということをずっと思っています。助けてくれる仲間がいて、やっと成立する。映画の場合は特に、膨大な衣裳が必要になりますチームの力が大事になります。
宮本さんの参加した菊地凛子さん主演映画『658km、陽子の旅』予告編。キャリアをスタートした頃から、服を着ている本人がすんなりと役に入れるか? という視点を大切にしているのだとか
――ちなみに先ほど「学校を出るときは映画の世界とのつながり方がわからなかった」とおっしゃっていましたが、今は以前より映画衣裳のお仕事に就きやすくなったと思われますか?
かもしれないですね。うちにもよく学生さんがインターンでいらっしゃいますし、卒業後に事務所に入りたいと言ってくれる方もいます。今はホームページを見れば気軽に連絡が取れる時代なので、チャンスは広がっているのかもしれません。
――その意味で言えば、インターネットの進化にはいい面もありましたね。最後に宮本さんから、衣裳のお仕事に興味がある方へ向けて、何かアドバイスはありますか?
この仕事は実際に身を置いてみないと分からない部分が多いと思うので、まずは気軽に連絡をとって、現場を覗いてみるのもいいと思います。
あとは自分の好きなことやモノを、沢山探して欲しいなと思います。映画でも音楽でも服でもなんでもいいので、自分の好きを固めていくと、自分のなりたい自分に近づいていくのではないでしょうか。