【SDGs A to Z: P (Permaculture) 】パーマカルチャーに触れられる神奈川県藤野町が、移住した私にくれたもの。 (後編)
東京都内から車で1時間ほどの、都心に一番近い里山と呼ばれる神奈川県藤野町(現相模原市緑区)。パーマカルチャーに触れられるこの地へ移住した、文筆家・中村暁野さんの気付きとは?
後編では藤野の空気感に寄与しているパーマカルチャーと藤野について、パーマカルチャー講師を務める設楽清和さんと、移住者の中村暁野さんがトーク。
前編はこちら
パーマカルチャーとは?
農業 Agriculture
家庭菜園でも絵でも歌でも、一人一人何かを生み出すこと。
野菜を育てるだけではない、生産や創造全般のことで、料理を編み出したり、農家を束ねてマルシェを企画したり。ベランダで花を育てるといった些細なことでも消費者から生産者になれて、搾取される側じゃないと気付き、お金中心の社会からの解放が叶う。自立の心があれば、「できることを誰かに分けよう」と思えるゆとりも生まれる。
文化 Culture
自然の理に沿って畑や家、暮らしをデザインする。
時間をかけてできた自然の理や先人の知恵、つまり文化には、効率的で実用的な仕組みがある。例えばパーマカルチャー講座を開く築110年の家は1階に囲炉裏があり、上る熱気を利用して2階を蚕(かいこ)を飼う部屋にしていた。蚕が収入源の生活に合わせた“働く家”のような文化を知れば、サステナブルなデザインを描けるようになる。
永続性 Permanent
より豊かな生命が育めるように自然と対話し続ける。
12,000年前から人が自然の理に反した農業を続けたことで、地球から失われた野生動物はなんと83%、樹木は50%といわれている。この崩れた生態系を元に戻すために、生活の影響を知り、植物の香りや土の感触を感じ取り、問題の解決策を見出す。維持や「○○しない」ではなく、能動的につくる表現が、自然と人の永続的な関係づくりになる。
パーマカルチャーとは、人も自然も搾取せず、幸せになること
中村暁野(以下、中村):藤野に住んで感じているのは、自分の中にあるクリエイティビティを目覚めさせられる交流が多いことです。
設楽清和(以下、設楽):歴史的な背景も関係してると思うよ。戦中に芸術家たちが疎開して来て創作活動を行ったのが、今に続く藤野の性格を決定したできごと。1980年頃は道々に芸術作品が置かれたり、イベントが開催されたり、〝芸術の町〞と呼ばれてね。1990年頃からは柔軟な役所の人たちの力もあって、少数派で新しいオルタナティブな社会の動きを受け入れよう、個性ある地域づくりをしていこうという向きに。その頃、オーストラリア発祥のパーマカルチャーにアメリカで出会って帰国した私は、日本型モデルを考えていたんです。縁あって「寛容な藤野でどうぞ」と場を用意してもらえて、1996年に廃屋を利用して〈パーマカルチャー・センター・ジャパン〉をつくりました。視野が開けた町だから、移住者が来たり、触発された地元の方もワークショップに参加したり、人が刺激し合う今の空気感が育っていったんだよね。
中村:それから、人だけでなく、自然からの気付きもありますね。2019年の大型台風で、学校で娘たちがお米を育てていた田んぼが土砂で埋まってしまったとき、みんなで土砂を出して洗って乾かして、大変な苦労がありましたが、台風の後の田園風景がそれはそれはきれいでした。すると子どもたちが「田んぼの神様ありがとう」と口々に言い出したんです。そうか、自然はときに脅威もあるけれど、恵みや今感じている感謝もくれる、私たちは自然に生かされている。パーマカルチャーが目指す、自然と人の共生を思いました。
設楽:そういう長い時間を経てできた合理的ともいえる自然の理(ことわり)に寄り添い、ライフスタイルに合わせてどう空間ややり方をデザインしていくかが、パーマカルチャーの面白いところ。でもその自然の理、動植物の豊かな生態系を、人が今まで壊してきてしまった。だから取り戻して、またサステナブルに循環できる世界にしていこうよ、というのが、パーマカルチャーのメッセージです。
中村:自然を生かし、関わる人も生きやすくなる。私が違和感を持っていた消費とは、離れた幸せですね。
設楽:自然の理に大切な豊かな生態系にはもちろん人もいて、クリエイティブにパーマカルチャーをデザインできるのは人。だから藤野の人の結びつきから生まれるクリエイティビティの伝播や多様な自己表現って、すごく理にかなっているよね。