諸岡なほ子の『おいしいのりもの旅』第15回 神田の街で、鉄分摂取の旅(後編)
神田といえば、神田川はもちろん、祭りで有名な神田明神や学生の街、B級グルメといった多彩なイメージがありますが、実は鉄道にもゆかりのある街なんです。今回は、”鉄子”というほどではありませんが、若干鉄分多めの血を持つ私が、遠出をせず都心にいながらにして遠いどこかの終着駅に想いを馳せる、鉄分摂取の旅をご案内してみます。今回は後編!【前編はこちら!】
100年前のターミナル、万世橋駅に降り立つ
前回の〈神田鐵道倶楽部〉を出て、美しいアーチを描くレンガの高架沿いを、付かず離れず御茶ノ水方面へと歩いていきます。
すると、神田川に寄り添うようにレンガの高架橋が伸びる場所へと出てきます。ここは、〈マーチエキュート神田万世橋〉。中に雑貨店やレストランが並ぶオシャレな商業施設になっていますが、ここはもともとただの高架ではなく、かつての中央線の終始点駅、万世橋駅だったところなのです。
まだ、中央線が東京駅まで伸びていなかった今からおよそ100年前、明治45年(1912年)に営業を開始した万世橋駅。高架駅の横に、辰野金吾設計の豪華なレンガ造りの駅舎が建っていたのだそうで、ターミナル駅として大変賑わっていたそう。こちらの写真は、大正初期の様子を再現したジオラマ(マーチエキュート神田万世橋1階〈LIBRARY〉に展示)。立派な駅舎の前に伸びるいくつもの路面電車の線路やガス灯、着物で歩く人々。今とは全然違う街並みだったんですね。
そんな駅の遺構が、今はこんな風に生まれ変わって、有効利用されているというだけでも、素敵な空間。でも、それだけではありません。〈LIBRARY〉のそばにあるエレベーターで二階へ上がると…
こんな場所へと出てきます。ここは、万世橋駅のプラットホーム。ガラスで覆われた通路を奥へと進むと…
小さな緑が並ぶ、心地いい空間になっているのです。あ、私が写っててスミマセン。テンション上がってついつい自撮り。
ここは、昭和18年(1943年)に駅が休止となるまで、たくさんの人が乗り降りしていたわけです。さっき見たジオラマみたいに、着物を着た人たちがたくさんいたのでしょうね。ちょっとふしぎな気持ちになります。
と、その時目の前を駆け抜けたのが、中央線のオレンジバーミリオン。そう、駅は休止していても、目の前を通るレールは現役。たくさんの人を乗せた中央線の列車が東京駅に向かって走り去りました。プラットホームだけあって、電車との距離が近い。すごい迫力です。
元プラットホームを利用した空間はここだけではりません。お茶の水駅方面へと踵を返すと、奥に長い形の〈レストラン プラチナフィッシュ〉があります。今回はこちらで乾いた喉を潤すことに。
こだわりスムージーのヨーグルトベリーバナナ。(いや、本当はお食事もいただいてみたかったのですが、ランチに昔懐かしベロネーズをいただいたばっかりだったので、デザートもまだ早すぎる状況で…)神田駅から歩いてきた乾いた体に、あっという間にしみ込んでいくように、美味しくいただきました。飲んでいる間も、私の目の前やすぐ後ろを、中央線の列車が行ったり来たり。すごい場所です。
お店の一番奥には、オープンエアのテラス席も。中央特快高尾行きを見ていたら、右手奥には、鉄橋を渡っていく黄色いラインの総武線の姿も。線路の上ということもあって、見通し抜群です。
万世橋駅が現役で活躍していた頃には、地下鉄の駅とも接続していて、路面電車もここから東京のあちらこちらに伸びていましたし、江戸時代から神田川の水運の要衝としても活躍してきた土地。ここに立つと、時間も空間も超えた旅の想像に浸ることができます。ま、単純に、行き交う電車を見ているだけでも楽しいですしね。おばあちゃんとランチを食べていた小さな男の子も、はしゃいでで自撮りしていました。
あ〜、私もまたどこか行きたいな〜。