ソウルのギター弾き/寿木けい 第14回 ひんぴんさんになりたくて。
本誌巻頭エッセイ、寿木けいさんの「ひんぴんさんになりたくて」。ひんぴんさんとは、「文質彬彬(ぶんしつひんぴん)」=教養や美しさなどの外側と、飾らない本質が見事に調和した、その人のありのままを指す、という言葉から、寿木さんが生み出した人物像。日々の生活の中で、彼女が出逢った、ひんぴんさんたちの物語。
春のはじまりにソウルを訪れた。
目的は、仕事と遊びが半分ずつ。隙間の自由時間には、古美術商街で知られる踏十里(タプシムニ)に行こうと予定を組んでいた。
古道具や工芸品が好きで、日本でも骨董市や骨董品店にちょくちょく出かけているが、いいなあと感じるものは、朝鮮半島に縁があるものが多い。それらの故郷で、好きなだけ観賞して買うことができたら、どんなに楽しいだろうと思っていたのだった。
外国でお店に入るときの心構えを教えてくれたのは、十歳上の姉だった。その国の言葉で「こんにちは」と挨拶をして、大切なものを見せていただくつもりでドアを開けなさいと、当時十一、二歳だった私に教えてくれた。
骨董品店が連なる踏十里で、ピンとくるお店を見つけ、姉の教え通り、アニョンハセヨ───と入ろうとしたそのとき、店の奥でギターを弾いている女性が目に入った。譜面と手元を交互に見て、表情は真剣そのもの。声をかけるのもはばかられ、かといって出直そうと踵を返せば、空気が動いて気付かれてしまう。私は気配を消してじっと聴いた。
演奏が終わったところで、旅の解放感で気が大きくなり、プラボー的に手を叩いた。飛び上がってびっくりしたのは彼女のほう。顔を両手で隠して、恥ずかしそうに近づいてきた。
しかし、積極的に話しかけてくるでもない。店じゅうをくまなく品定めしてい朝一番の客を、彼女もまた、職業特有の眼で品定めしているようだった。
私は骨董一つ一つと向き合い、時間をかけて店内を進んだ。沈黙が続いた。触りたいものがあれば許可をもらい、アプリで感想を翻訳して彼女に見せた。
私が手に取るものを見て、好みの傾向をつかんだのだろう。
「これは?」
「こっちも、好きでしょう?」
彼女はあちこちからいろんなものを持ってきては、眺めやすいように並べてくれた。どれもこれも、ため息が出るほど好きなものばかりだったから、
「お店ごと欲しいです」
彼女の眼への最上級の敬意を示した。
しかし、全部欲しいとは言ったものの、驚くほど、買う決心がつかない。便利なアプリがあるとはいえ、言葉は満足には通じないから、信じるに値するものなのかどうか、確証が持てないのだ。
直感で好きなものを買えばいいと思っ乗りこんだ骨董街だったが、自分がいかに耳(情報)に頼った頭でっかちな買い方をしてきたか、思い知らされた。
じつは、ソウルに発つ前に会った知人が、買い物対策として「高い」と「安くして」を大袈裟なくらい感情的に表現するといいと教えてくれた。そうすればたいていのものは安くなるから、と。
でも私はそんな演技はできなかった。これがいくらであっても、好きだから買おう。そう決めてから初めて値段を聞いた。そうすると、不思議なことに、彼女から歩み寄って負けてくれた。
結局この店で買ったものは二つ。すごく満足しているし、家で毎日眺めて、うれしくなる。ソウルまで行って買ったものとしては、きっと少なすぎるけれど。
ソウルから戻った翌月、東京・有楽町で開かれた大江戸骨董市へも出かけた。ホームで私は一体何をどう買うか、思い出したかったし、腕試しもしたかった。
あるお店で、不思議な鉢を見つけた。奥のそのまた奥に、控えめに置かれていたそれを、触らせてもらう。
「漆職人が使っていた道具入れです」
店主の男性が言った。
いろんな色合いの漆が、こぼれて飛んで、いつしか固まり、厚みのある大胆な模様に育っていた。
「いやあ、まさか、目を付けてくれる人がいるなんて」
こう言って鉢を撫でているときの目が、いい。きっと売れないと思った。でも、持ってきた。だから骨董は、というか、人というのは面白い。
短い間にいろんな話をした。そして、私たちが惹かれるのは、日常が生んだ、これみよがしでないきらめきのようなものだという一点で、共感しあって別れた。その鉢は、もちろん今私の手元にある。
こういうことでいいんだな、と思った。今度ソウルに行くときは、もう少し肩の力を抜いて買える気がする。
「また必ず来ます」
ギター弾きの店主にそう言ったから、約束を守りたい。