「 玉ねぎマシマシローキャベ 」 児玉雨子のきょうも何かを刻みたくて|Menu #8
「生きること」とは「食べること」。うれしいときも、落ち込んだときも、いそがしい日も、なにもない日も、人間、お腹だけは空くのです。そしてあり合わせのものでちゃっちゃと作ったごはんのほうがなぜか心に染みわたる。作詞家であり作家の児玉雨子さんが書く日々のできごととズボラ飯のこと。
何かを刻むことも頼っていいじゃない。
「忙しい」と言うことに抵抗がある。私が苦手な人たちが、ほんとうによく多忙を理由に周囲にあたっていたのだ。ああなっちゃいけない、と彼らを反面教師にしてきたら、いつのまにか「忙しくても苦しくても甘えちゃいけない」と、私の中で完璧主義めいた自己完結論に成長していた。
これは数年前から自覚していて、少しずつ「頼る=甘え」という考えを解し、仕事はだいぶ周囲に頼れるようになった。けれど生活面はまだ難しい。たとえばフードデリバリーや家事代行業。どうしても後ろめたさを感じて利用できない。たまにUber Eatsのアプリを覗くと「私のズボラは、あくまで他人に頼らないものだよね?」と、内なる自己完結論者が私の首根っこを押さえる。さらに、家事代行業が労働基準法の対象外であることを知ってから、内なる自己完結論者が私を見つめる視線はより鋭くなった。
ありがたいことに最近は年末進行のようなスケジュールで、日々の癒しであった食事もプロテインかインスタントラーメンで済ませる日が続いた。徹夜し、変な時間に寝落ちして、違うデータを送ってしまうミスをした夢で目が覚め、気づけば最後にジムに行った日から2週間以上が通り過ぎている。
そんな中、友人から約10ヶ月遅れ(!)の誕生日プレゼントが届いた。箱を開けてみると、便利調理グッズをまとめて贈ってくれたのだ。電動ペッパーミル、低温調理器、そして「ぶんぶんチョッパー」も入っていた。
包丁で食材を切り刻むことがストレス発散にもなっていたので(この連載タイトルもそこから着想している)、正直ぶんぶんチョッパーはそこまで惹かれなかった。まぁでもせっかくだし何か刻んでみよう、と冷蔵庫にあった玉ねぎをぶんぶんしてみると、魔法のようにラク~に刻めてしまうではないか。楽しくなってきて、もう一玉ぶんぶん。刻みすぎてしまった玉ねぎのために、冷凍保存していた豚ひき肉を解凍し、巻かないロールキャベツを作った。
久しぶりの野菜と粉じゃないタンパク質を食べていると、『千と千尋の神隠し』で千尋が、ハクに差し出されたおにぎりを食べて重い涙をボトボトと落とすシーンが頭をよぎった。さすがにあんなに泣きはしなかったけど、助けられた気分になった。
もっと勇気を出して、頼れるようになろう。そう噛み締めながら友人にお礼のLINEを送り、明日の晩はUberしようと決めた。