J SONGBOOK 日本の音楽を学ぼう! 【私を創った音楽の歴史。】長屋晴子 (緑黄色社会) 『いきものがかりさんのCDは、出るたび買い集めていました。』
令和の音楽シーンで活躍するミュージシャンたちは、どんな「日本の音楽」を聴いて育ってきたのか。記憶の最初にある音楽から、活動の原点まで、そのルーツに迫ります。今回は、緑黄色社会の長屋晴子さんにお話を聞きました。7月28日(木)発売Hanako1211号「J SONGBOOK 日本の音楽を学ぼう!」よりお届けします。
幼稚園の頃からピアノを習っていたこともあり、わりと身近に音楽がある環境で育ちました。歌を歌うことも大好きで、小学生の時によく歌っていたのが大塚愛さん。当時「さくらんぼ」がすごく流行っていて、あのキャッチーなメロディが私の耳にも印象的に飛び込んできたんです。溌剌(はつらつ)とした歌声もほかにない感覚で、「大塚愛さんってどんな人なんだろう?」と「さくらんぼ」以外の曲にも興味がわいて、お小遣いで初めて買ったCDが『愛amBEST』というアルバムでした。それぐらいから「いつか自分も歌を歌う仕事に就きたい」とぼんやり考えるようになって…。
「グループの中で歌いたい」と思うようになったのは、いきものがかりの吉岡聖恵さんがきっかけです。聖恵さんが歌う姿を見て、ボーカリストってすごく楽しそうだなと。体全体というか、魂で歌っている感じがするじゃないですか。「青春ライン」っていうアニメの主題歌で出会って以来大好きになって、新譜が出るたびにCDを買っていました。高校に入学するとすぐに、今のメンバーたちと緑黄色社会を結成。でも、音楽の趣味がみんなバラバラだったので、お互いの好みを知るために、その時にハマっていた音楽の交換をよくしていたんです。
バンドで初めて誰かの曲をコピーすることになった時も、どうしようって感じだったんですけど、そこで私がゴリ推ししたのがSEKAI NO OWARIさん。「セカオワめっちゃいいから聴いて〜!」って(笑)。DJがいるというバンドの形態も含めて、あの独特な世界観が当時斬新で、“平和”とか“命”とかほかの人が歌っていないようなテーマを取り上げているところも好きだったんです。メンバーに聴いてもらったらみんなも好きになってくれて、初のコピーが「虹色の戦争」になりました。私はあまり洋楽を通っていなくて、聴いてきたのは日本の音楽ばかり。それは“日本語”にすごく魅力を感じているからなんですよね。たとえば「愛してる」っていう言葉一つにしても、いろんな角度から表現できる。その幅広さが、日本語の曲を聴く醍醐味かなと思います。
【J SONG HISTORY】
□大塚愛の曲を聴き始めた頃から歌を歌う仕事に就きたいと思うようになる。
□吉岡聖恵(いきものがかり)の魂から歌うような姿を見て、グループでの活動に憧れる。
□SEKAI NO OWARIの斬新な世界観に刺激を受け、バンドでコピーする。
Profile…長屋晴子(ながや・はるこ)
1995年5月28日生まれ、愛知県出身。高校の同級生だった小林壱誓とpeppe、小林の幼なじみの穴見真吾で、2012年に緑黄色社会を結成。2018年、ファーストアルバム『緑黄色社会』をリリース。2020年にリリースしたアルバム『SINGALONG』のリード曲「Mela!」がヒット。今年7月4日の結成10周年記念日に、新曲「ブレス」を配信リリース。