あれから10年、復興への想い。 東北で活躍し、東北を愛する人たち。/〈fuku farming flowers〉代表・福塚裕美子さん『一度は離れ、夢を叶える場所として再び移住。』

LEARN 2021.03.15

東日本大震災以前から東北に住んでいた人、震災後に移住した人。復興に対する思いやアプローチのしかたはいろいろ。東北で活躍し、そして東北を愛する人たちに会いに行きました。今回は、東北に唯一あった縁を辿り、福島県川内村に移住した〈fuku farming flowers〉代表・福塚裕美子さんに会いに行きました。

川内村に住むこと、花屋を開くこと。どちらもしたいことだった。

東北に唯一あった縁を辿り、福島県川内村に移住した福塚裕美子さん。一度は村を離れ、夢を叶える場所として再び移住。地域で唯一の生花店を開業し、さらなる夢を追っている。

福塚裕美子さん

東京の園芸店で働いていた福塚裕美子さんは、当時の同僚の出身地である川内村に、いても立ってもいられず移住をする。原発事故による全村避難から、“帰村”が始まったのが2012年4月。それからわずか1カ月後の行動だった。役場の臨時職員になって人脈を作り、1年後には農業の任意団体を立ち上げ、農家と一緒にオリジナル商品を作って販売したり、農業体験のイベントを企画したり。ただしその間は、昔からの夢を一旦脇に置いていた。それは、ドイツの花屋さんで修業をして、自分の店を持つこと。そして3年弱を川内村で過ごした福塚さんは、個人で支援することの限界を感じ、村を離れて自分の夢に向かうことを決意する。「悔しさや申し訳ない気持ちを抱えながら泣く泣く村を出たので、離れてからのほうがつらかったですね」

ドイツ行きが決まったことを村の人たちに報告する際、福塚さんは、自分でも思いがけず、帰国したら川内村に戻ってくると宣言していた。そして2018年、2度目の移住。「1度目との違いは、支援者として来ていないこと。自分が生きたい場所で暮らすことと、花屋になること、どちらも譲れないので川内村で花屋をやることにしたんです」そして、村だけでなく双葉郡でも唯一の生花店となる〈fuku farming flowers〉を開業し、スーパーの店頭などで移動販売を行うように。「花が身近に咲いていることに、震災後3年経って気づいたという人もいましたし、除染で庭の花が全部なくなって花に対する欲も消えてしまったけれど、また少しずつ植えてみようと見に来てくれる人も。生活の中に花があることの豊かさを知って、それ以来ずっと切らさないように買いに来てくれる方もいます」

4月には、村内の「ひと目で恋をしてしまった」という土地で店舗をオープンする予定で、広々としたガーデンもあるそう。川内村で店を持つことが夢だったものの、満足感よりもようやくスタート地点に立てるという安堵感のほうが強いようだ。「花屋は夢であって、生なり業わいです。以前の私はその軸がないまま、無理やり自分を削っていたから、お金も気力も続かなかった。同じ失敗を繰り返さないよう、まずは花屋という軸をしっかり築いていきたいです」そのうえで、実現したいことが。「今はもう亡くなってしまったのですが、最初の移住のときに一緒に田んぼを作っていた人がいて、いつかまた一緒にやろうって約束をしたんです。当時の私はもう川内村に帰ってこないつもりだったので“嘘の約束”だったのですが、その約束をいつか果たしたいと思っています」

fuku farming flowersという屋号に込めた特別な思い。

福塚裕美子さん

“fuku(福)”は自身の名字と福島、そして幸福から取っていて、“fuku farming”は1度目の移住の際に立ち上げた農業組織の名称。初心を忘れないように、名前も引き継いだ。

双葉郡唯一の生花店として2年間、周辺の町で移動販売。

福塚裕美子さん

「もともと私は誰にでも話しかけちゃうんです」と笑う福塚さん。新しくオープンする川内村の店舗にも足を運んでもらえるよう、移動販売で2年かけて丁寧に人脈を築いてきた。

Profile…福塚裕美子(ふくつか・ゆみこ)

大阪府貝塚市出身。フラワーアレンジメント、寄せ植えなどの教室も開催。4月、川内村に実店舗〈fuku farming flowers〉をオープン予定。

(Hanako1194号掲載/photo : Norio Kidera text : Ikuko Hyodo)

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