連載「拝啓、〈星〉へいらっしゃいませんか?」 平和な世の中のため、未来のために私たちにできることは?建国55周年のシンガポールで感じたこと。
結婚を機にシンガポールへ移住することになった元Hanako編集者女子による、星(=シンガポール)通信。第28回ははシンガポールの歴史概要と、建国記念日をどんな風にお祝いするのかについてご紹介します。
国民にとってとても大切な日、8月9日
こんにちは。早いもので、もう夏も終盤ですね。シンガポールは多少の温度変化はあるものの、基本、常夏ゆえ、季節の変化を感じづらいのですが、この国にも1年のなかで「この時期がきたな」と感じる節目の日があります。それは8月9日の建国記念日。アジアのハブ的ポジションを確立したシンガポールですが、まだ建国55年。1965年に独立を果たすまで、さまざまな国家の統治下に置かれてきました。よって国民にとって8月9日はとても大切な日であり、この日が近づくと、学校ではシンガポールの歴史物語を学びます(我が子・1歳児も保育園でお話を聞いたそう)。というわけで、今回はシンガポールの歴史概要と、建国記念日をどんな風にお祝いするのかについてご紹介を。
今こそ知りたい、建国55年のシンガポールの歴史
シンガポールが歴史上に初めて登場するのは、3世紀のこと。中国の文献に記載された「Pu-Luo-Chung(半島の先端にある島)」がシンガポールに該当すると考えられています。その後、1200年代には「テマセク(海の街)」と呼ばれるように。このテマセクを、狩りを楽しんでいたシュリーヴィジャヤ王国の王子、サン・ニラ・ウタマが見つけます。そこで目にしたのは、たてがみを持った黄色い動物。これを、幸運をもたらす動物とされるライオンだと思った王子は、この島をサンスクリット語で「ライオンの街」を意味する「シンガプーラ」と名づけたのだそう(実際には、シンガポールに生息したのはマレートラだったようですが)。シンガプーラは海洋航路の重要な拠点となり、交易の場として急速に発展してゆきます。
そして時は過ぎ、近代に。イギリス・東インド会社のトーマス・スタンフォード・ラッフルズ卿が、マラッカ海峡付近を覇権におさめていたオランダからの侵攻を食い止めるためにも、シンガプーラが非常に重要だと考え、1819年1月29日、当地に上陸。名を英国風の「シンガポール」へと改め、商館を建設するなど、一気に都市化を進めました。このころに中国やインド、マレー半島からの移住者が増えたことが、現在の多民族国家形成のはじまりです。
その後、世界大戦が開戦し、シンガポールの地理的優位点に目をつけたのが、日本。マレー半島とシンガポールをつなぐ橋が壊される前に急いで上陸する必要があった日本軍は、銀輪部隊と呼ばれた自転車部隊でひたすら南下(この様子はシンガポール国立博物館の写真が展示されています)。島南部の海からの攻撃を予想していた英国軍は意表をつかれて大打撃を受け、1942年2月15日、日本に降伏。「昭南島」と改名されました。
終戦後、シンガポールは再び英国軍の管轄下に移され、英国王領植民地に。しかし次第に独立運動が高まり、1959年に自治領となり、初の総選挙を開催。後に建国の父と呼ばれることとなるリー・クアンユーが初代首相に就任しました。マラヤ連邦らとともにマレーシア連邦を結成しますが、マレー人優遇政策をはかるマレーシア中央政府と、マレー人と華人の平等政策を進めたいリー・クアンユーとの間で軋轢が生じはじめ、1965年8月9日、シンガポールは独立を果たすこととなったのです。
とはいえ、東京23区程度の大きさの島で、天然資源がまったくない。国としてどう自立するか、となったとき、リー・クアンユーが考えたのが、国際空港を建設して貨物を常時受け付けるようにする、あるいは規制をできるだけなくして税金を安くするなどし、外国企業を誘致すること。さらに金融にも力を入れ、たった半世紀にして現在の姿となりました。
シンガポールに暮らすうえで大事なことだと感じていること
毎年、8月9日は祝日です。7月ころから、シンガポール人家庭には国旗が掲揚されはじめ、街中は早くもお祭りモード。こんな風に国旗を並べることでアート作品のようになっているところも(写真上はSelegie Road沿いのHDB。冒頭の国旗で「55」を形づくっている写真はMRT「Braddel」駅すぐのHDB)。
当日にはセレモニーが行われます。盛りだくさんのプログラム構成で、巨大国旗がヘリコプター3機で空に掲げられたり、戦闘機が宙を駆け抜けたり、戦闘車の隊列が通過したり、パラシュート部隊が空から舞い降りたり……締めは大きな花火と、なかなかに華やか。街には国旗の赤と白にちなんだ赤白ルックをまとった人が溢れます。
今年は新型コロナウイルスの感染拡大予防のため、人が集中せぬよう、複数箇所でプログラムを楽しむことができ、例年以上に、「ああ、今日は建国記念日なんだな」と、身近に感じられました。
多民族国家の土壌に、外国企業を誘致したことで、シンガポールはますます多様性を増しました。外国人であるわたしたちに、シンガポール人はとてもフレンドリーに接してくれます。
ですが、大戦時、日本軍はこの地に攻め込み、日中戦争の関係から華人の反乱を予防するべく、虐殺を行ったことも事実。「穏やかで、華やかで、暮らしやすい国だなあ〜」と、ただ、のほほんと過ごすのではなく、過去から目を背けず、平和な世の中のために、未来のためにできることは何かな、と、8月9日に思い巡らせてみることも、シンガポールに暮らすうえで大事なことだな、と感じています。