本山順子の迷子のお守り〜お寺と神社、お散歩アラカルト〜 【京都】世界遺産〈銀閣寺〉を参拝。時代を経て語り継がれる文化に魅了される。
モデル・本山順子が神社仏閣、教会や寺院を国内外問わずご紹介する本連載。第55回目は京都府銀閣寺町に街詣で。町の名前のとおり、〈銀閣寺〉を訪ねてまいりました。東山文化の代表として知られる〈銀閣寺〉の正式名称は、〈慈照寺〉なんですって!また、「古都京都の文化財」の一部として〈ユネスコ〉の世界遺産に登録されています。それでは早速!詣でましょ〜う!
お土産屋さんが立ち並ぶ緩やかな坂道をしばらく進むと、〈銀閣寺〉の総門が見えてきます。〈銀閣寺〉は鎌倉編で訪れた〈報国寺〉と同じ臨済宗ですが、〈報国寺〉は建長寺派で、〈銀閣寺〉は相国寺派。臨済宗は他にもたくさんの派閥があり、禅宗の1つとして知られています。
総門を抜けると立派な「銀閣寺垣」がおよそ50mに渡り続いています。幾重にも重なった椿や竹、樫の生垣から四季の風情が感じられ、とても趣ある参道。心がシンと静まっていくのが感じ取れます。
中門をくぐり、まず目に入ったのが「向月台」。1.8mと結構大きいんですよ〜。”庭園の背後に控える「月待山」から昇る月を鑑賞するため”という説と、”月の光の反射で本堂を照らすため”という2つの説があるそうですが、確かなことはわかっていないのだそう。なんとも不思議ですよね〜。
こちらも月に関係するものではないかといわれている「銀沙灘」。白砂に直線の縞模様が壇状に盛砂が引かれています。「向月台」「銀沙灘」は、あの岡本太郎さんが「まるで時代を超えたモダンアートだ」と、いたく感動されたのだそう。
銀沙灘を振り返ると方丈(本堂)と観音殿(銀閣)とともに国宝である「東求堂」が並びます。〈銀閣寺〉は「観音殿(銀閣)」と「東求堂」を残し一度焼失していますので、東山殿造営当時の遺構として現存する大変貴重な建築形式になっています。
また「東求堂」は現存する最古の書院造と言われ、かつては創立者である足利義政の書斎だったのだそう。観音殿の完成を心待ちに、茶道や歌などに勤しみなが晩年を過ごされました。
そして、こちらも名前に月が入っている「洗月泉」。〈銀閣寺〉の拝観時間は日が昇っている頃なので、月の光が差し込む〈銀閣寺〉や庭園は拝むことができません。ですが当時の方々は「月待山」から月が登ることを楽しみに過ごされていたことが伺えます。さぞ美しいのでしょうね〜。
山腹をしばらく上がると、「お茶の井」と「漱蘚亭跡」があります。足利義政も愛飲していたのだそう。質の良い湧き水で、現在もお茶会などの飲用水として使用されています。まさに茶の湯の原点。東求堂の同仁斎と呼ばれる四畳半の部屋は「最古の茶室」という見解もあるそうで、一度でいいからお茶の井で汲まれた湧き水でお茶をいただいてみたいものです。
〈銀閣寺〉は当時女禁制であった”苔寺”としても有名な〈西方寺〉を模して造られているそうで、足利義政が「どうしても母に見せたい」という一心で、自ら作庭指導をしたのだとか。侘び寂びの美しさを世に広めた「東山文化」。時代が移り変わっても、その心を感じ取れるとても良い参拝となりました。
茶道や華道、建築などの文化を愛し、手厚く支援したことで知られる足利義政は「観音殿」の完成を見ずに亡くなりました。その命が尽きるまで全身全霊を注いだ庭園は、これからも訪れる人たちの心を魅了し続けるでしょう。それではみなさまも良い参拝を〜!