言いたいコト、書きたいコトバ…混じり気ナシ! 弘中綾香の「純度100%」~第10回~
ひろなかあやか…勤務地、六本木。職業、アナウンサー。テレビという華やかな世界に身を置き、日々働きながら感じる喜怒哀楽の数々を、自分自身の言葉で書き綴る本連載。第10回は最近の活動を改めて振り返って。
「傍流で生きる」
アナウンサーは情報を正確にきちんと視聴者の方に伝えるのが仕事だ、という風に1年目の時に学んだ。そこに私情はいれてはいけないし、どこにも偏りなく、ただ事実だけをしっかりお伝えする。台本通り、原稿通り、が基本であり、唯一であると。
けれども、ここにはまったく逆のことをやっている私がいて、自分でもこの状況に驚いている。いつからそうなったのか、過去を振り返ってみてもわからない。遭難してしまった時、いつどこで遭難したかわからないように、いつの間にか気づかぬうちにぬるっと道から外れてしまった。『Mステ』時代はまだメインルートを歩いていたはずなのだけど、卒業してからタガが外れてしまったのか、はたまた先天的な素養がそうさせているのか。おそらく、後者がすべてだと思いますが…。
最近の私は、変わらずバラエティ番組に出続け、AbemaTVでYoutuberもどき(ひろなかラジオという番組です)をやってあーだこーだ自分のことを喋ってみたり、ここではコラムを連載したり、色んな雑誌にも出させていただいている。なぜだか自分でもよくわからないほど、台本や原稿がないフィールドに立っていた。そこでは、自分の思ったことだったり経験したことだったり感じたことだったりをありのままに話すのみ。たどり着いた脇道はいばらの道でも、ものすごくスリル満点でひりひりするような毎日が待っていた(もちろん王道は王道で大変な道だと思う)。
そこで気づいたことはシンプルにひとつ。自分の言葉で話すことは、とても楽しい。なんだか、ものすごく弘中綾香という人間を生きている感じがする。誰かの言葉じゃなくて、自分からあふれ出る言葉であり、それの元になっているのは私の心で感じたことだから、私にしか言えないこと。表現として絵を描く人や料理を作る人がいるように、私は書いたり話したりすることで、自分は何者かを表しているんだと思う。
私は、人と同じ経験をしても同じ感想を持てなかったり、変なところが気になる。みんなが普通にやっていることに疑問を感じたりすることが多くて、感受性が変わっているのかな、と思っていた。何も術を持たない時、半径3メートルの中では変わった子扱いだったけれど、それを表現して沢山の人に見てもらうことで、「面白い」「分かる」と思ってくれる人がいることがうれしい。
楽しい一方で、表現は難しい。適切な言葉が紡げなくてモヤモヤする時もあるし、言葉のあやに足を取られる時もある。本意が伝わらなくて、悔しい時もある。8月の終わりに『オールナイトニッポン ZERO』を一人で任せていただく機会があった。表現の場としては、最高の舞台!一時間半ずっと一人で話すという、夢のような枠をこじ開けてもらった。大まかな流れは決まっていたけれど、台本はない。それに関して不安はなかったのだけれど、自分が話さないと無音になってしまうことにブースに入ってから気づき、(テレビでは有り得ないことだ!)その静寂が怖すぎて、あまりにも一方的に矢継ぎ早に話してしまった。少し気負いすぎていたな、というのと、もっと伝えられることがあったな、もうちょっと慎重に言葉を選べばよかった…など、反省すべき点はいくつも浮かんでくる。
でも、結局のところ楽しかった!の一言で集約できるから、私は自分の言葉で話すことをこの先もずっと続けていきたいです。