【鎌倉】鎌倉一行列ができるカフェのマスター、堀内隆志さんを訪ねて。
第12回は、30周年を迎えた鎌倉の名店「カフェ ヴィヴモン ディモンシュ」マスターの堀内隆志さんに著者インタビュー。
マスターは、短パンと長靴がよく似合う。
天気予報は台風。空には濃いグレーの雲が広がっていた。次第に風が強くなり、いつ雨が激しくなってもおかしくはない空模様のなか、堀内隆志さんは短パン&長靴という、少年のようないでたちで現れた。「こんな格好ですみません。浸水対策なんです」。鎌倉の地盤や店の構造ゆえ、これまで何度も浸水被害にあってきたという堀内さんは心配そうでありながらも、こればっかりは仕方がない、という気持ちなのだろうか、ゆったりとして穏やかである。
1994年創業の「カフェ ヴィヴモン ディモンシュ」は、鎌倉カフェ文化の先がけ的存在として知られる名店。マスターが淹れるコーヒーとキッチン部リーダーの奥様・千佳さんがつくる名物パフェと料理、そして居心地の良い雰囲気に惹かれ、地元の常連客から観光で訪れた方々まで、店内はいつも多くの人で賑わいをみせる。
今年6月に発売された『鎌倉のカフェ ヴィヴモン ディモンシュの30年』は、同店のこれまでの道のりを辿る記録であり、長年愛されてきた理由を垣間見ることのできる1冊だ。
こういう場所があったら、みんな喜んでくれるだろうな。
「26歳でカフェをはじめたとき、自分が30年も店を続けるとは思ってもいませんでした。思ってなかったけど、辞めようと思ったこともないですね。動けなくなるまでは続けたいという意志はあったかな……最初はお客さんがぜんぜん来てくれなくてヒマだったけど(笑)」
経営が順調に回り出したのは「カフェブームのおかげ」と堀内さん。カフェブームがくると予想していたのですか?との質問に、「もちろん、してないです(笑)。当時は昔ながらの喫茶店がどんどんなくなっていった時代。僕がカフェをやると言ったらみんな『えっ?』『大丈夫なの?』っていう反応で。それでも、こういう場所があったらみんなが喜んでくれるんじゃないかと思っていたんです。そこにはなぜか確信があった。格好いい映画のポスターに囲まれて、いい音楽に満たされて。そんな空間で丁寧に淹れたコーヒーをカップ&ソーサーでサーブする。こういう場所を、僕自身が欲していたんですよね。ほかになかったから。飲食業は素人だし、分からないことだらけだったから失敗も多かった。それでも『ないものをつくっている』という気持ちが強かった。手探りながらも楽しかったですね」
30年という長い月日の間に、自然災害や感染症などにより社会情勢は一変し、お店の変革期をいくつも越えた。それでも「とにかくがむしゃらに、本当に、毎日毎日を一生懸命に過ごすだけ。そうして気づいたら30年になっていた……という感じです」
「ちなみに僕は、いま〝中煎り〟です(笑)」
大変なことは確かに多い……けれど「それ以上に楽しいこととか、嬉しいことがあって」と話す堀内さんは、なんだかとても楽しげだ。「僕はよく自分が好きなこととか、興味があることなんかを店にフィードバックするんですが、それをお客さんがどう捉えてくれるのか。面白がってくれたり、楽しんでくれたりっていうのが、僕の原動力になっています」
たとえば、同店には堀内さんが焙煎したコーヒー豆が常時20種類ほど用意されているが、そのなかに〝日焼けブレンド〟たるものがある。堀内さんの日焼け具合によって焙煎度合いが深くなっていくという夏限定のブレンドだ。
「お客さんが僕の日焼け具合を確認しに来るんですよ。『今、何色?』なんて言いながら。日焼けが足りないときはジムにある日焼けマシーンに入ったこともあります(笑)。バカバカしいんですけど、こういうことがコミュニケーションになるし、お客さんと一緒に楽しめるような関係性を築けているような気がするんですよね。ちなみに僕は、いま〝中煎り〟です。もっと焼いてよ、って応援されたりしますけど、今年はここまでかな」
気がつくと朝。睡眠時間を削り、記憶の味に近づける。
自家焙煎をはじめたのは2009年のこと。堀内さんには理想の味があるという。
──札幌の斎藤珈琲のソフトミックスというモカのブレンドをひと口飲んだときに雷に打たれたような衝撃を受けました。香りがよく、甘くふくよかでスルスル飲めるのにコクがある中深煎りで、初めて飲んだのに懐かしい感じもし、体中からおいしいという細胞が開くような不思議な感覚でした──『鎌倉のカフェ ヴィヴモン ディモンシュの30年』より抜粋
「斎藤さんはもう亡くなられてしまったんですが、自分のなかにある味の記憶が今でもこの店のコーヒーのベース。どこまでその味に近づけることができるか、というのが一つの目標です。もっとおいしくするには何をすれば、どうしたら? そういうことをいつも考えています」
自家焙煎をはじめたことで焙煎度合いを細かく調整できて、浅煎り、中煎り、中深煎り、深煎りと表現できるレンジも広くなった。元来、凝り性でもある堀内さんはますますコーヒーにのめり込むが、焙煎するのは店の営業を終えてから。気がつけばもう朝!なんてことも少なくないという。
常に穏やかな空気感をもつ堀内さんの表情が、ふと変わった瞬間があった。コーヒーを淹れているときだ。スタッフさんは「マスターはゾーンに入るんです」なんて言っていたけど、いったい何を考えながら淹れているんですか?「いつの頃からか……〝無〟なんです」
なんでもない日々を、面白がりながら。
店によっては〝変わらないこと〟に重きを置く場合もある。でも同店は〝変わること〟にとても柔軟だ。「創業当時から変わっていないのは……カフェ ヴィヴモン ディモンシュという店名と、僕がいるってことくらい(笑)」。それは自然の成り行きだった。「僕自身、興味がどんどん変わるから」と笑う堀内さんは、日々のなんでもない暮らしのなかに、ちょっとした〝何か〟を見つけ、面白そうだと思うほうへと舵を取る。「一つ一つはささいなことなんだけど、日常を少しだけ変えてみると、新しい発見があったり、クスッ笑えることに出会えるかもしれないから」
〝面白がり〟のアンテナは今、名水へと向いている。ビルの貯水槽の掃除によって水の味が変わったことをきっかけに「水に興味がわきまして」。いろいろな水を試すうち、全国で1位になるほどおいしいとされる秦野の名水が近場にあると知り、足を運んでその水でコーヒーを淹れてみると……「これまでとまったく違う香りが広がったんです。水によって味わいが変わるとは思っていたものの、こんなにも違うとは驚いた」。それからというもの時間が許せば日本各地の名水を訪ね歩く日々。さらにはご当地のボトルウォーターを集め、数多くをコレクション。曰く、「最近、名水ハンターと名乗りはじめました(笑)」
いつの時代も面白がりながら変わり続ける「カフェ ヴィヴモン ディモンシュ」ではあるけれど、「やっぱりここで過ごす時間が、みなさまにとって良かったと思ってもらえたら。うん、これは創業当時から変わらないことの一つですね」
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最後に、この本をはじめて読んだときに気になった「はじめに」の一節を紹介。
──昔はよそのお店が気になったり、たくさんのことを気にしていましたが、今は淡々としています。冷めているわけではなく、シンプルに仕事に向き合い、おごりも慢心もなく、仕事に関することの勉強は怠らず、体調管理をしっかりして、来てくださったお客さんに良い時間を過ごしてもらうことに注力しています──『ヴィヴィモン ディモンシュの30年』より抜粋
おごりも慢心もなく、シンプルに仕事に向き合う──この1冊は、そんな境地に至ることのできた堀内さんの軌跡の物語でもある。
photo:Keizo Iwamoto text:Akane Katsuyama
ほりうち・たかし 1967年東京生まれ。1994年に「カフェ ヴィヴモン ディモンシュ」をオープン。2009年からはロースターを兼務。鎌倉のカフェ文化を牽引するとともに、ブラジル音楽に造詣が深く、CDプロデュースや選曲をはじめ、FMヨコハマや湘南ビーチFMでレギュラーをもつラジオパーソナリティとしての顔をもつ。ポッドキャストポッドキャスト『COFFEE TALK SESSION』(FMヨコハマ)。『コーヒーを楽しむ』(主婦と生活社)、『珈琲と雑貨と音楽と』(NHK出版)などの著著もあり。
住所:神奈川県鎌倉市小町2丁目1-5 櫻井ビル1階
web shop:https://dimanche.shop-pro.jp/
instagram:@cvdimanche