苅田梨都子の東京アート訪問記#7 私たちを取り巻く世界との拘り方に疑問を投げかけ、再考をうながす。『オラファー・エリアソン展』麻布台ヒルズギャラリー
ファッションデザイナー・苅田梨都子さんが気になる美術展に足を運び、そこでの体験を写真とテキストで綴るコラム連載です。第7回目は、麻布台ヒルズギャラリーで開催中の『オラファー・エリアソン展:相互に繋がりあう瞬間が協和する周期』展へ。
今回は2023年11月にできたばかりの麻布台ヒルズギャラリーを訪れる。開館記念展として『オラファー・エリアソン展:相互に繋がりあう瞬間が協和する周期』が3月31日まで現在開催中だ。
“オラファー・エリアソン”の名や作品はこの連載の#1 『テート美術館展 光』でも鑑賞していたように、私の記憶の中でもぼんやりと染み付いている存在だ。しかし、私は“オラファー・エリアソン”についてあまり詳しくは知らない。
また、昨年観た映画『YARN 人生を彩る糸』では、かぎ針編みのニットでゲリラ的に街を彩るヤーン・グラフィティ・アーティストに纏わる作中にもオラファー・エリアソンの名前が登場した。こうして彼のことをより詳しく知らなくてはならないと思い始めていた時と、展示のタイミングが重なった。
アイスランド系デンマーク人であるオラファー・エリアソンは、私たちを取り巻く世界との拘り方に疑問を投げかけ、再考をうながす作品で知られている。近年は気候変動などの社会的課題への積極的な取り組みでも世界的に注目されているアーティストである。
オラファー・エリアソンの作品は、知覚・身体化された体験、エコロジーへの関心を原動力とし、光・色彩・動きなどを用いて、鑑賞者を新たな知覚体験へ誘う。
入り口に登場した新作『蛍の生物圏(マグマの流星)』は、天井に吊るされたオブジェがくるくると回り、白い壁に反射や光を通して思わず長い間眺めてしまうような展示であった。
私は、地球という惑星に存在しながらも普段は惑星やマグマについて考えたことがないと気付かされた。オラファー・エリアソンの視点を通して、美しさや新しさの発見だけでなく、多面的に展示を通してアプローチされていること。そこからの学びは人間として生きる上でとても大切で、有意義な時間だと感じた。
続いて次のブースに移動する。
ここは私が一番魅了されたコーナーで、鑑賞時間の半分以上はここにいたと言っても過言ではない。
部屋の一角に、アンバランスな木製機械が設置されていた。中央にはペンを固定できる装置。下部分には3本の細い棒に錘がいくつか付いており、その絶妙なバランスに思わず立ち止まる。振り子を用いて幾何学像ができあがる機械は“ハーモノグラフ”というそうだ。子どもの頃の、おもちゃで遊ぶようなワクワクした気持ちを想起させる。
会場では、美術館スタッフが中央の天板に紙とペンをセットし、天板が回り出したら、そのあと好きな力の加減でペンを引っ張る。ペンを離すとそれぞれが歯車のように組み合わさり、勢いよく動きだす。この様をみて個人的に工場見学をしている気分にもなった。仕組みとして働くことで、生成物が生まれ続ける。
壁一面に貼られた作品の数々は、決して同じものは一つもなく、その時の偶然によって描かれた美しい形状をしている。
その形状は鋭利なものから、なめらかなもの、まあるい形、翼のような形など、さまざまだ。出来上がる過程にも魅了されてしまうし、その後の作品も過程を見守っていたからこそじっくりと眺めてしまう。永遠とこの作業を繰り返すことができると体感できたからこそ、『終わりなき研究』という作品のタイトルにきちんと頷くことができた。
同じブースにはほかにもドローイングや立体作品がいくつか展示されていた。奥の方に写っているのは、オブジェの上に小さな扇風機がついている『呼吸のための空気』だ。こちらは本展のための新作。再生金属を使用したリサイクル素材が特徴で、今回が初めて使用したとのこと。別ブースに飾られている『相互に繋がりあう瞬間が協和する周期』も同素材を使用した作品だ。
ラストは本展のメインとも言える水を使った大型インスタレーション作品『瞬間の家』のブースに移動する。真っ暗な空間では自分の五感や六感により意識を向けることとなる。ここでは椅子に座って鑑賞する。光や水がすごい速さで交互に連鎖し、水の粒と照らされる光は空中に浮かび上がる彫刻作品となる。これらは写真や文章ではうまく伝わらないため、是非体感してほしい。
2024年現在、私たちは地球温暖化をはじめとした環境問題に常に直面しながら生活をしている。ただマイナスな考えではなく、アートとして昇華し前向きにたくさんの人に伝える姿。素材も時代に応じて臨機応変に取り入れたりと社会情勢との絡みも強く、しかし作品は単純に面白さや美しさが勝っている。自分にはない視点から、今回の展示を通してオラファー・エリアソンのことをますます知りたくなった一日であった。