俳優・高橋一生さんにインタビュー。
HANAKO PEOPLE story#14

CULTURE 2023.06.02

日々の記憶や感情、自らを取り巻く物事の中から、気になる3つのキーワードについてインタビュー。パーソナルなストーリーが紡がれます。第14回は、俳優・高橋一生さんが登場。

Theme #1 リアリティ

高橋一生 メイン画像

今回の舞台『兎、波を走る』で野田秀樹さんとは二度目の舞台共演になります。前作『フェイクスピア』に続き、再びオファーをいただけたのがうれしくて、「よろしくお願いします」とほぼ即答でした。

野田さんは言葉がすぐに通りやすい方というイメージがあり、それは僕に合わせてくださっているのかもしれませんが、野田さんがおっしゃっていることも、僕が伝えようとしていることもスムーズに理解し合える感覚があります。それは野田さんが演出家と俳優を行き来している方だからだと思うのですが。俳優同士で話す“俳優言語”のようなものでコミュニケーションがうまく運ぶ。普段、演出家の方がどれだけ伴走してくれるといっても、結局は板(舞台)の上に立つのは俳優です。けれど、野田さんは俳優としても一緒に舞台に立つので、演出家としてコンダクトする以上の責任を背負ってくださる。その感じが僕はとても素敵だなと思っています。俳優としても、何も制約がなく、オーバーヒートする姿も全部がいい。僕は人に対してあまり憧憬を抱かないんですけれど、野田さんにはそういった感覚があります。

また、僕が野田さんの作品に惹かれるのは、昨今の作風なのかもしれませんが、演劇的な娯楽性の中に、芯に迫ってしまう部分があること。“リアル”と“リアリティ”という言葉には大きな隔たりがあって、僕はリアルをやるつもりはまったくなく、板の上にのせたり映像にしたりする以上はすべて“リアリティ”が必要だと思っています。

リアリティとは、どれだけ本当っぽく説得することができるかという力。

リアルを見たいのであればドキュメンタリーを見ればいい。野田さんはその曖昧な虚実の境のようなところのギリギリを縫うようにして作劇されている。野田さんの中で何か心境的な変化が強くなってきているようにも感じています。以前、お話しさせていただいたとき、「俳優は消耗されて、忘れ去られてしまうけれど、作品は残っていく」ということをおっしゃっていて、僕もそのとおりだなと感じました。参加するのは二作目ではありますが、野田さんとご一緒して、作品が忘れられないようにするということに力を添えられるのであれば、とても幸福なことだと思うんです。

Theme #2 体

高橋一生 バストアップ
高橋一生 全身写真

演じる上で、極力ムダは排除したくて、体でいえば必要な筋肉しかつけたくないという感覚があります。芝居にも“芝居用の運動神経”のようなものがあって、運動神経の悪さが個性になる人もいる。僕はそれに憧れが強くて、セリフの間や発するセリフの音の取り方も違っていて、そのテンポや音の微妙なズレというのは、天然でないと出せないもの。僕もわざとハズしてみたり、足がもつれる芝居をしてみたりするんですけれど、天然には到底かなわないんです。芝居における運動神経のいい悪いについては、果たしてどちらがいいのかはあくまでその役者さん自身によるのかなと思います。

舞台の上での理想の体は、力が抜けている状態。ギアをニュートラルにしておくイメージです。人は、必ずどこかに力が入ってしまったりするんですが、お芝居の中でニュートラルでいられるとすぐにパッと対応ができる。グッと力を込めて肉体のクセがついてしまっているよりも自由に動ける。座禅の中にもあるんですけれど、

体に力を入れ、そのあと脱力すると、その人本来の姿かたちに戻れる。

ちゃんと全身に血が巡っていくような感覚は、芝居の中でも常に持っているようにしています。今回の舞台でも、ある程度の運動量は求められると思いますし、舞台だと映像とは違って制約がないので途端に動きたくなってしまうんです。

体力づくりの一環でいうと、何も考えずに、ただひたすら反復する運動をもう10年以上続けています。具体的には、ずっと自転車を漕いでいるか、泳ぐか、歩くかを息切れしない程度でやり続ける。僕は息切れするのが嫌いなので、息切れしないように基礎体力を上げておきます。端的な動きを繰り返していくと、本当に呼吸しか分からなくなる瞬間が訪れて、その状態がとても心地がいい。一日のうちに1、2時間くらいは必ずそういった時間を作るようにしています。普段から何かと考え込みがちな僕にとって、何も考えない時間は絶対に必要なもの。その時間の中で生まれる空白域みたいなところから、とてつもないアイデアが降ってきたりもするので。

Theme #3 孤独

高橋一生 Hanako

あまのじゃくだなと思うんですけれど、ストレートな表現があまり好きではないですし、集団性のようなものに居心地の悪さを感じてしまう人間なんです。マイノリティでありたいというか。例えば、怒りの表現にしても、10人中8人くらいの人たちが同じような怒り方をする中で、その他の1人か2人くらいしかしないだろうなという表現を僕は選びがちだと思います。8割の人を否定しているわけではなくて、8割の人にはたくさんの味方がいて、その分多くの人たちを守れるし守られる。だから僕は、残りの2割の人に寄り添えるための選択をしていきたいんです。同じような方々が、「そうなる感じ、わかるよ!」と少しでも心が軽くなったらそれでいい。そこに自分が芝居をやっている意味があるような気がするんです。

面白いもので、「高橋一生って知らなかった」「あんまり芝居をちゃんと観たことがない」と言っている人ほど、手紙をいただくととても芯をついた感想をくれます。おそらく“高橋一生”という勝手な偶像やバイアスがないから作品がダイレクトに届くのかもしれません。この前、知り合いの方が「初めて作品を見たんですけれど、すっごく面白かったっす!」と言ってくれて、とても楽しく受け取ってくださっていることが伝わり、やっていてよかったと心から思えました。いつも思っていることなのですが、舞台を見たとき感想を誰かと共有するのではなく、自分の中だけでその体験を大事にしてもらいたいんです。言葉ではうまく説明できない心の内にある感覚は自分だけのものであり、それを体感しに来ているはずですから。客席にたった1人で観に来て、1人で涙を流しながら帰る人に僕は共感しますし、美しさを感じます。みんなで何かを共有するのは一瞬でよくて、

自分と向き合って、苦しさや悩みを1人で抱える人に心惹かれます。

自分の中だけで作品を愛せるような孤独な人と、お互いにそれぞれ孤独なままで寄り添っていたいなと思います。僕ら俳優も孤独ですから。他人の評価や関係性はあっという間に移り変わっていくので、そのたびに期待をしていたら、勝手に裏切られることになる。それぞれが孤独で、たまたま人生が交差したという程度の人間関係が適切だと思うんです。共同体であろうとすると、誰かに過度な期待を抱きすぎてしまったり、つなが
りが切れてしまわないように自分の心に反して相手に合わせてしまったりする。僕らの仕事はたまたま共同体の中で生きなくてはいけない職業ではないけれど、孤独である感覚はずっと研ぎ澄ましていないといけないなと思います。

Information

NODA・MAP第26回公演『兎、波を走る』

野田秀樹による2年ぶりの書き下ろし最新作。高橋一生をはじめ、松たか子、多部未華子など日本を代表するそうそうたるキャストが集結。6月17日(土)より東京芸術劇場プレイハウスほか、大阪・福岡にて上演予定。
https://www.nodamap.com/usagi/

photo : Mariko Kobayashi styling : Takanori Akiyama (A Inc.) hair & make : Mai Tanaka (MARVEE) text : Hazuki Nagamine
シャツ30,800円(アンユーズド|アルファPR TEL:03-5413-3546)/Tシャツ13,200円(オーラリー TEL:03-6427-7141)/パンツ41,800円(ブラームス|ワンダリズム TEL:03-6805-3086)/サンダル35,200円(フット・ザ・コーチャー|ギャラリー・オブ・オーセンティック TEL:03-5808-7515)

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