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ファンとの交流から考えた、「ふつう」ってなんやねん?/第7回 ヒコロヒーのナイトキャップエンタメ
CULTURE 2022.11.22
疲れた心と体に染み込む、ナイトキャップ(寝酒)代わりのエンタメをヒコロヒーが紹介。第7回は、耳が聞こえない両親から生まれた子どもCODA(コーダ)である著者・五十嵐 大の自伝的エッセイ『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』をお届け。
五十嵐 大/著『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』
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先日、直接ファンと交流するイベントに耳の不自由な方が来てくれた。今まで私はろう者と知り合う機会がなく、戸惑わなかったといえば嘘になる。そのときは簡単な筆談をしたのだが、もしこちらの緊張や焦る気持ちが伝わっていたらと思うと、申し訳なくも思った。ろう者のことをもっと知りたい、と手に取ったのがこの本だ。
コーダである著者は、特に思春期のころ、ろうの両親と外を出歩くことを恥ずかしく思うことがあったという。それは周囲から〝ふつうではない〞という眼差しを向けられることに耐えられなかったから(世間の〝ふつう〞なんて何の根拠も実体もない幻だと思っている。そうしたものに与したくないがために私は芸人という道を選んだのかもしれない)。社会の無言の圧力がマイノリティの存在を隠しているのだとしたら。私はろう者に出会ったことがないと思っていたが、本当は気づこうとしていなかっただけなのかもしれない。知らないことが無意識に分断を生んでいたと思うと自分を責めたくもなった。だからといって今後、芸の形をどう変えればいいのかも今はわからないし、お笑いにとって変えることが正しいのかもわからない。ただ、一人のろう者が私のファンになってくれたことはとても誇らしいことだと思うのだった。