伝えたかった、言葉たち。 山崎怜奈の「言葉のおすそわけ」第31回
乃木坂46を卒業し、ラジオパーソナリティ、タレント、そして、ひとりの大人として新たな一歩を踏み出した山崎怜奈さんが、心にあたためていた小さな気づきや、覚えておきたいこと、ラジオでは伝えきれなかったエピソードなどを自由に綴ります。
(photo : Chihiro Tagata styling : Chie Hosonuma hair&make : Chika Niiyama)
「俯瞰日記」
不規則な生活をしている方だと思うけれど、唯一のルーティンは日記。書き始めたのは数年前、自分のことを客観的に見れていない部分があって周りがやりづらい、と第三者に言われてから。言われたときは言葉の威力に面食らったけれど、どこか遠いところから冷静に自分自身を見ておかないと、人は無意識のうちに他人を傷つけたり、調子に乗ったりするのだろう。あえて大袈裟な言い方をすると、意図せず加害者になるかもしれない。それが私はとてつもなく怖い。
あえて言うほどでもないけれど、あちこちに興味が湧いて三日坊主になりがちな私でも続けられている秘訣は、毎日必ず目につくところに日記を置いておくこと。引き出しにしまっていたら存在ごと忘れてしまうので、今はベッドサイドに出しっぱなしにして、寝る前に書き留めている。覚えておきたいことは山ほどあるのに、外部からの刺激によって混ぜこぜになった感情は、時間が経つと記憶の奥底に消えていく。でも一度書くと記憶に定着しやすくて、人との会話の糸口にもなるし、「また何もない日々を過ごしてしまった…」みたいな虚無感や、漠然とした不安や怖さを抱えることも減った。不安に取り囲まれてしまうと、出口が見つけられなくなって自分で自分をもっと追い込んでしまうのに、あとから俯瞰して考えるとたいていはどうってことない。だから、日記を始めて、毎日自分を俯瞰する時間を作って、良かったなと思っている。
過ぎゆく時間を紙に残す作業は、単純に振り返るだけでなく、自分の価値観や感覚の点検でもある。この連載もそう。自分の話を書いているのに、客観的な視点が多くて、小説を読んでるみたいだと言われたことがある。でもそれって、エッセイとして、生活の当事者として、どうなんだろう。最近は、自分のことを離れたところから見ようとしすぎるのも良くないなと思い始めている。だから先日、麒麟の川島明さんから「山崎さんって、ずっと物事を俯瞰で見てますよね。防犯カメラみたいな景色で、冷静に」と言われたとき、少し動揺した。あなたはそのままで大丈夫と言ってくださったのがうれしかった。だけど、自分を俯瞰している自分に冷めてしまう性格を、少し呪いたくもなった。