伝えたかった、言葉たち。 山崎怜奈の「言葉のおすそわけ」第21回
アイドルとしてはもちろん、ラジオパーソナリティとしても大活躍。乃木坂46の山崎怜奈さんが、心にあたためていた小さな気づきや、覚えておきたいこと、ラジオでは伝えきれなかったエピソードなどを、自由に綴ります。
(photo : Chihiro Tagata styling : Chie Hosonuma hair&make : Tamago)
「卒業発表の日」
6月13日(月)午前2時。いよいよこのエッセイを書き終えないとマズイのに、何を書いたらいいのか本当に分からない。めずらしく緊張しているからだ。日が昇って時刻が13時を回ったら、私は生放送のラジオで、所属しているアイドルグループからの卒業を発表することになっている。でもよく考えたら、長年続けてきた仕事を辞めるとはいえ、一個人の退職を公共の電波で報告するというのも妙な話だなあと思う。応援してくれている人はともかく、普段生活のBGMとしてラジオをつけている人からしたら、いつもと風合いが違うオープニングが始まったなあ、くらいの感覚なのだろうか。
とはいえ、日程が決まってからどうも落ち着かなくて、もうその話題と目先の仕事のことを考えるので精一杯。ということで、ごめんなさい! 共感できるポイントは少ないかもしれないけれど、こんな経験も滅多にないので、発表前後の思考の跡を、ちょっとだけ書いてみます。
私は、どこかしらが完全にだめだと思う。何かにおいては過剰で、何かにおいては枯渇している。欠落している部分を埋めようと頑張っても、やっぱり全然だめなまま生きてきた。とくにラジオでは、ある側面から見た自分はいかに不完全か、大いにさらけ出している。
例えば、東京ドームのステージで緊張のあまりソロパートの音を外したら、昔の自分ならその直後から歌うのが怖くなっていたと思う。でも、昨年のドーム公演では「気持ちが全て声の震えに現れて、一番リアルな姿を見てもらえたんだし、まあいいか」と開き直ってそのまま楽しんでいた自分がいて、我ながらびっくりしたのを覚えている。もちろんうまいに越したことはないんだけど、変にうまくやろうとしなくなったのは、毎日生放送をやっているおかげなのかもしれない。
終わりの感覚を持ちながら物事に取り組む性格なので(前回参照)、実は卒業の意志や日程が固まるよりもずっと前から、「自分がどういう卒業の仕方をしたいか」をぼんやりと想像していた。つくづくありがたい環境だなあと思うのだが、事務所内での前例で言うと、卒業にあたって写真集を出版したり、ラストコンサートを開催するアイドルが多かった。だが私は、自分で自分の写真を見るのがあまり得意ではなくて、自分の名前を冠して興行を打つ自信もない。やりたいことはやり尽くしてきたので自己満足を考える必要はなく、あとは何をすればファンが喜んでくれるのか、ひたすら考え続けていた。だが結局思いつかないまま、決心だけ固めて社長のところへ行ってしまった。
「考えが甘いんじゃないか?」と引き止められたり、逆に「もう関係ないから」と冷たくあしらわれても、辞めたいという申し出だから仕方ないなと、覚悟していた。乃木坂46に所属しているからこそ、得てきた恩恵もたくさんある。いろんな人に興味を持ってもらいやすかったり、初めましての方にも「何者か」が伝わりやすい。身分が明らかであるということは、信用にも直結する。それだけではないけれど、事務所やグループの看板を外しても今までと同じような関係が各所で続くかというと、全て、とはいかなくなるのはそういう背景もあるだろう。芸能人の退所や独立のニュースをよく耳にするようになったけれど、(決断の背景はそれぞれ異なるとはいえ)必ずしも円満に話がまとまっているとは限らない。臆病かつ、あらゆる面でそこそこ欠落している自分が迷う理由なんて、探せばいくらでもあった。
何を言われるかとドキドキしながら対面の席に座り、卒業の意志を伝えた。すると、社長は「いいと思う。寂しいけどさ、山崎はこれからだからなあ」とおっしゃったのだ。予想外だった。しかも、「所属しているうちにやりたいことが思い浮かんだら、できる限り力になるから言って」とまで言ってくださったのだ。
というわけで、その言葉をありがたく鵜呑みにしている。やりたいことを思いつき次第、ざっくりとした企画書を提出したり、長文のLINEを送ったりしていたら、実際にこれから発表になるお仕事も生まれ始めた。よその事情に詳しいわけじゃないけれど、辞めると言っている人間に対してこんなに優しい事務所ってなかなかない。素晴らしいチームに恵まれたと思う。
そんなこんなで穏やかな話し合いを重ね、発表の日時と場所が決まった。当日は一睡もできないままTOKYO FMに向かったが、「始まったら終わるまで喋り続けるしかない」という生放送ならではの潔さにも救われながら、無事に放送を終えた。あまり自分に花丸をつけることはないけれど、さすがに今日は頑張ったって誇りたくなって、Uber Eatsをスクロールした。ごちそう食べちゃおうかな。ビールも飲んじゃおうかな。朝からアドレナリンだけで稼働していたので、お腹はからっぽ。今飲んだらおいしいに決まってる。
緊張から解放された帰り道にはそんな欲にまみれていたのに、家に着いて洗面台で手を洗ったくらいから記憶が途切れていて、意識を取り戻すと私はベッドに突っ伏していた。無心で冷蔵庫から納豆とほうれん草を取り出し、パスタを茹でながら大急ぎで原稿を書いている。もともと家で一人飲みをする習慣がないので、ビールの在庫切れにも今さら気付いたが、かといってコンビニまで買いに行くのも面倒になってしまった(そもそも締切ピンチな私に晩酌をする権利はありません!!)。
でもまあ生活ってそんなもんだよなと程良く諦めながら、一番からいミントタブレットを3粒口に放り込み、目に張りついたコンタクトを鏡も見ずに外し、メガネをかけた。
また頑張ろうと誓い、まだ頑張れるよなと自分を励まし、頑張りすぎなくてもいいのではと思い直し、もう二度とない今日がまた終わろうしている。ここから先、良いことばかりじゃないだろうし、失敗もするだろう。でも行く先々に散らばっている学びやチャンスを拾いながら歩かないともったいない。確固たる自信とか、揺るぎない信念とか、あったらもっと堂々としていられるかもしれないけれど、正直手の内には何もない。私は私にしかなれないけれど、私をアップデートできるのも私だけだ。