伝えたかった、言葉たち。 山崎怜奈の「言葉のおすそわけ」第15回
アイドルとしてはもちろん、ラジオパーソナリティとしても大活躍。乃木坂46の山崎怜奈さんが、心にあたためていた小さな気づきや、覚えておきたいこと、ラジオでは伝えきれなかったエピソードなどを、自由に綴ります。
(photo : Chihiro Tagata styling : Chie Hosonuma hair&make : Yu Kuroda)
「3月11日」
今日の日付を見ると、やはりあの夜のことを思う。当時13歳だった私は新宿に演劇を観に行った先で帰宅難民となり、大人に保護された。もはや自分がどこにいるか分からない、親もどうしているのか分からない中、テレビに映し出される東北の現状にただ息を呑むしかなかった。その年の夏にはボランティアスタッフと一緒に、被災した岩手県陸前高田市を訪れた。親に用意してもらった指定の衣服や長靴を身につけて作業を進めながら、子供でもできると大人たちが予測した範囲の活動に参加させていただいた。ちっぽけな自分に何ができるのか、この経験をどのように未来に繋いでいくべきなのか、休憩中にお茶を出してくれた現地のおばあちゃんが言った「知ろうとしてくれているのはとてもうれしいけれど、辛かったら目と耳をふさいでもいいのよ」という言葉はどういう意味なのか。大人と行動をともにしながら、帰りの夜行バスの中でもずっと考えていたけれど、結局すぐには答えが出なかった。ただ、名前が書かれている船舶免許証を海も建物も見えない場所の土の中から拾い上げた時、自分がどういうことに向き合おうとしているのか自覚したのだと思う。
あれから11年が経った今、私はラジオパーソナリティとして公共の電波を使って情報を発信する立場にある。今、世界のあり方が刻一刻と、大きく変わろうとしている。その第一報が飛び込んできたのは、2月24日木曜日、ラジオの生放送が始まる直前のことだった。その時は放送局として確信を持って伝えられる情報が少なく、予定していた内容をしっかりと届けることに努め、2時間の生放送を終えた。帰宅してから急いで調べていくうちに、私たちが今とんでもないものを目の当たりにしているということだけは、すぐに理解できた。これは他人事ではない。今起こっている事を知らなければ知ろうとすべきだし、考えるべきだし、想像すべき、それは分かっているけれど、自力だけでは具体的に把握しきれない。そんな中で、急遽内容を変更して有識者に電話を繋いでくれるラジオ番組があった。すがる思いでつけた『荻上チキ・Session』で耳にしたのは事態の深刻さだったが、胸を痛める以上に重かったのは発信者としての自分の無力さと不甲斐なさで、その日からできる限り情報を追い続けている。
有識者たちの見解だけでなく、こうなる前から現地に住んでいた日本人の何人かがSNSで発信している内容からも、窺えるものがあった。そして今後起こりうる幾つもの未来を予測する限り、決して対岸の火事ではなく、今までに起きたこと、これから起きることを注視する必要がある。
もちろん、一人の力では番組を作ることができないし、番組内でニュースとして届ける情報は報道のプロの方々が常に精査してくださっている。有事においては様々な情報や映像が回って来るし、特に今回の戦争ではそれらの真偽をすぐには確認できないものも多いので、報道局の方々なくしてラジオは成り立たない。
ただ、それを見聞きしていて心に澱をため込んでしまう人は、ニュースを遠ざけても良いと思う。無関心でいいということではなく、自分の心を優先するのは決して悪いことではないということだ。 かつて陸前高田市のおばあちゃんが私に言った言葉は、きっとそういう意図だったのだろう。
それに、ラジオは情報源としての役割だけでなく、気持ちを軽くする役割も持っている。音楽であったり、読み上げられるメールであったり、人の会話に耳を傾けるだけで癒される。それが心地よくて、仕事の合間の息抜きに、エンタメとして聴いてくれている人がいるのだ。元はといえば私もその一人だったし、いろんなリスナーがいるおかげでいろんな話題を扱うことができる。
今の私が最大限できることは、リスナーやゲストや支えてくれるスタッフを大切にした上で、伝えたいことを伝えつつ、伝えなければならないことも目を背けずに伝えていくことだ。聴いてくれている人には伝わっていると信じて、同時に発信者としての意識や忍耐力や瞬発力のようなものも鍛えられていると信じて、やっていくしかない。