スペシャルな連載が本になりました。 大人気フードエッセイスト・平野紗季子さんの街歩きエッセイ&写真『私は散歩とごはんが好き (犬かよ) 。』の本、出来ました。
2016年から約4年にわたり、雑誌Hanakoの巻末連載として異彩を放ち続けてきた「私は散歩とごはんが好き(犬かよ)。」。大人気フードエッセイスト・平野紗季子さんの街歩きエッセイ&写真を、デザイン界の巨匠・服部一成さんが毎回異なるデザインで仕上げるスペシャルな企画です。この連載が一冊にまとまり、発売されました!最終回となる今回は、犬かよ本刊行記念スペシャル。平野さんの仕事場にお邪魔し、本のこと、お散歩のこと、連載のことなどをお聞きした一部インタビュー内容を公開します。
「散歩」という最も控えめな手段で時空間のゆがみをまたぐ。
編集部(以下・編):ついに本が出来上がりました!
平野紗季子さん(以下・平野):はい、出来ました!嬉しい〜〜。本当に出来るのかと思いました(笑)。(*編集部注:本にまとまることが決まってから、なんと1年以上かかりました!)
編:実は著作は2作目(1作目は、2014年に刊行された『生まれた時からアルデンテ』〈平凡社刊〉)なのですよね。雑誌連載もたくさんされていますし、ちょっと意外でした。
平野:そうなんです。一体この間何をしていたのだろう…(笑)。この連載は、いつか本にしたいね、ということで始まりましたが、なかなか変な本になりました。
編:この「犬かよ」連載は、雑色、西高島平向島に国立などなど、多種多様な街を平野さんが歩き、平野さん自ら写真を撮り、綴ったエッセイでした。
平野:はい。きわめて個人的な散歩の記録ですが、連載を始めるにあたって「Hanakoの本誌で絶対特集されないような街を描きたい」という思いがあって。第1回の五反田の回に、「すべての街は面白い」っていうタイトルをつけたんですが、なんでもなさそうな街や場所こそ歩きたい、そこで出会うもの感じるものを残したい、という気持ちがありました。
編:街選びはどんな風にされていましたか?
平野:自分の日常とは接点の少ない街にこそ足を運びたいと思っていたので、自分の部屋に東京の地図を貼っていたんです。行ったところに赤ペンでマークをつけていくんですが、街を俯瞰して見られるのが、よかったです。
編:まさに、この本の巻頭にある地図と同じですね。
平野:そうです、まさにこんな感じ。地図をバーッと見ながら、「…“雑色”って何て読むんだろう?ザツイロ?ゾウシキ?気になる…」とか、「終点の駅って、地名は知ってるけどどんな街か知らないな。よし“西高島平”だ」みたいな。
編:いちばんイメージと違った街は?
平野:あ、ものすごくワクワクしたのは、勝どき。
編:勝どき!
平野:勝どきは豊海水産埠頭っていう海産物の冷蔵倉庫街があるんですが、そこにまぐろ問屋がやっているまぐろのお店があるんです。夕方のニュース番組でたまたま見て、行ってみたいなと。そしたら、海と流通の男の街なんですね。デコトラがバーッと並んでて、業者さんしかいなくて、映画なら夜に抗争が起こりそうな…(笑)。えらいとこに来てしまったなと思いながら、まぐろ丼を食べたあと、勝どき駅のほうに歩いていくと、今度はいきなりタワマン群が現れて。マンション広告から飛び出してきたみたいな笑顔のファミリーが歩いてるんです。
そこからさらに月島方面に歩いていくと、古い木造建築やもんじゃ屋さんが並んで一気に下町の雰囲気に。作務衣を着たおじいさんが巨大な亀を連れて散歩していて(笑)。これ、徒歩でたった30分くらいの出来事なんです。パッチワークのようにつなぎ合わされた異なる時空間を徒歩でまたぐ瞬間、そのダイナミズムに、東京の街の面白さを実感しました。東京は最先端と取り残された古さがすれすれで隣接していて、その狭間にこそ魅力を感じます。だから計画的でツルピカに整理された新しいものだけの街並みでは心が動きづらいです。
余白や遊びがちりばめられた、散歩のようなデザイン。
編:連載のデザインは、服部一成さんが手掛けてくださいました。本のデザインも一冊まるごと服部さんによるものです。連載を始める際に、平野さんから服部さんとご一緒したいというご希望がありました。
平野:普通、連載となるとテキストは何文字、写真は何枚、と決まったフォーマットに落とし込んでいくことが多いのですが、ルールにとらわれると街の個性を漂白してしまうような気がして。毎回デザインは自由、どこまでも大胆に、それでいて心地よいものになったらいいな…なんて思っていたのですが、そんなデザインをしていただける人を考えたら服部一成さん…と思ってしまって。私が会社勤めしていたころの上司が、服部さんのお仕事のことを「意識的無意識」と呼んでいたのですが、まさにその通りだなあと。子供のセレンディピティ的感覚と、絶対的な美意識が与える安心感みたいなものが同時にあって、誌面に平然と常識を超えていくようなエネルギーを宿してくださったと思っています。
編:毎回、服部さんからデザインが上がるのをご褒美のように感じていらっしゃったとか。
平野:私の言葉にならない感覚まで拾い上げてくださるので、いつも感激していました。毎回、思いがけない余白や遊びがちりばめられていて。たとえば九段下の回のときは「東京の真ん中には皇居という空虚がある」というような話が出てくるのですが、そしたらデザインの真ん中に空白を作ってくださっていて。嬉しくて笑っちゃいました。街を歩いていて突然空き地が広がったり、何かが引っかかって足を止めてしまう、あ、のハッとする瞬間が誌面にまで落とし込まれているようでした。
編:ちなみに、本の表紙はいかがですか?
平野:とても好きです。まずこの二度見不可避の正体不明さ(笑)。手書きの犬の脱力チャーミングさと、ロゴのキリッとした力強さ。この変てこなバランスが犬かよ感全開という感じで最高です。
お店は、代えの利かないその人の人生そのもの。
編:出てくるお店のカオスさも特徴ですが、お店はどうやって選ばれていましたか?
平野:私は食べることが好きですが、単に“おいしいもの”が好きっていうより、“心の動く食体験”が好きなんです。映画と同じで、ハッピーエンドでニコニコしたいときもあるし、サスペンスでドキドキしたいこともある。おいしくて感動したお店もたくさん載せているけれど、銀座の地下駐車場に忽然と現れる中華食堂でめちゃくちゃしょっぱいきくらげと卵の炒め物を食べるときの自分を見失いそうな感覚も好き。単に「街グルメ100選」という感じではなく、このドア、開けていいのかな…みたいなお店で出会えるものについても書いています。
編:このドア開ける勇気出ないな、というお店も多いですよね。
平野:でも開けちゃうんですよね…。あ、だから、この本に出たお店にもし行かれたとして、必ずしもハッピーな気分になれるとは限らないのでどうかご了承ください(笑)。でも忘れられない時間になるとは思います。私ずっと、「食体験は物語だ」って思っていたんです。扉の先に広がる物語を味わいにいく。でも犬かよの連載でいろんなお店に行って…喫茶店のマスターのおじいさんにつかまって、なんとなく出られなくて何時間も話したりしているときに(笑)、「ああ、お店の物語を味わうなんて傲慢な考えだった」って思ったんです。そこに息づいているのは、都合よく消費されるための物語ではなく、ただひとつきりの人生だった。
食器に看板にお料理に、ご店主の歴史が刻まれていて、私はその人が人生をかけて今日まで大事に守ってきた場所にお邪魔させてもらっているんだ、と感じるようになりました。だから小さな喫茶店で腰の曲がったおじいさんが出してくれるパンケーキがレンジでチンしたやつだったとしても、愛おしい。それは、おいしさ、という基準では測れない、たしかに心を動かす味なんです。
編:図らずも、本の編集作業をしていた時期は新型コロナの影響が大きくありました。
平野:残念なことに本で書かせていただいた中にもコロナの影響で閉店を余儀なくされたお店があります。多くの方がコロナの影響で傷ついていますが、飲食店のダメージも甚大です。街の色を作ってきたような小さくとも意義深い店たちが、潰えていくのは本当に苦しい。街に飲食店があるということは、単純においしいものが食べられる、という以上に、社会におけるコミュニティサービスであり、もっというとインフラの一部ではないかと思っています。街に店があることの価値は、とてつもなく大きいんです。だからこそどんな危機が迫っても、強いものだけでなく、小さくとも弱くとも、それぞれの大切な商い、そして大切な人生を守り通せるような社会を願います。
(一部インタビュー内容を掲載しているため、全文は本誌をご覧ください。)
平野紗季子(ひらのさきこ)
1991年生まれ。小学生の頃から食日記をつけ続けるごはん好き(pure foodie)。著書に『生まれた時からアルデンテ』(平凡社)がある。 instagram:@sakikohirano
服部一成(はっとりかずなり)
1964年生まれ。グラフィックデザイナー。主な仕事に「キユー ピーハーフ」の広告、雑誌『流行通信』『真夜中』『here and there」のアートディレクションなど。
(Hanako1187号掲載/photo:Kasumi Osada hair&make:KIKA)