【武田砂鉄×宮地尚子】傷つきたくないから、深くつながらない。付箋みたいな人間関係が増えている?
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出版社勤務を経て、2014年よりフリーライターに。2015年『紋切型社会』(新潮文庫)でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。週刊誌、文芸誌、ファッション誌、ウェブメディアなど、さまざまな媒体で連載を執筆するほか、近年はラジオパーソナリティとしても活動の幅を広げている。近著に『わかりやすさの罪』(朝日文庫)、『マチズモを削り取れ』(集英社文庫)、『テレビ磁石』(光文社)など。
一橋大学大学院社会学研究科特任教授。専門は文化精神医学・医療人類学。精神科の医師として臨床をおこないつつ、トラウマやジェンダーの研究を行う。近著に『傷のあわい』(筑摩書房)、『傷つきのこころ学』(NHK出版)、『傷を愛せるか 増補新版』(筑摩書房)『とまる、はずす、きえる』(青土社)など。
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声を介したコミュニケーションが教えてくれること
武田砂鉄さん(以下、武田):〈医学書院〉のシリーズ《ケアをひらく》を創刊・担当されてきた編集者の白石正明さん(※)と先日対談した際、宮地さんとは長電話仲間だとおっしゃっていました。
※2024年3月に医学書院を定年退職し、嘱託期間を経て、2025年4月よりフリーランスとなり、初の単著となる『ケアと編集』(岩波新書)を刊行。
最近は長電話する機会ってなかなかないんですが、どんなことを話すのでしょうか?
宮地尚子さん(以下、宮地):白石さんとは、情報交換や白石さんの作っている本の話、その書評依頼を兼ねていろいろ聞かれたり、仕事の相談もしますね。
そんなに多くの人とするわけではないのですが、会えないけど、ちゃんと深い話をしたい人がいると長電話をします。
今はチャットでのコミュニケーションが増えていますが、私はテキストを打つことや、即レス、複数のやりとりを同時にするのが苦手で、一対一でゆっくり喋るほうが心地いい。
電話だと顔が見えないという点もラクですね。人の表情に敏感で、相貌認知が強いほうなので、他人の視線が苦手なんです。
また、“声だけ”というのもなかなかいいものですよ。「タイミング」とか「言い淀み」って話しをする中で身につけていくもので、とても大切な作業だと思います。
「これ以上この話はしたくないんだな」「これ以上は踏み込んでほしくないんだな」とか、逆に「この話にはすごい乗ってくるから関心があるんだな」とか、話し相手のことを理解すると同時に、話しているうちに自分が関心を持っていることも明確になっていく。
さらに、「今はやさしく慰めてくれる人がいい」「切り込んでくれる人と喋りたい」といった調子で、人間って、今、自分が誰と話したいかというのも無意識に選んでいるような気がします。
このように、会話を通して他者や自分の機微を感じられるようになると、人生はより豊かになると思います。
傷つきを避ける、付箋のような人間関係
武田:「言い淀み」や「間」みたいなものは、それこそSNSでは現れにくいですよね。宮地さんは大学で学生と接していて、会話の様子などについて変化を感じることはありますか?
宮地:横のつながりは薄くなっていると感じていて、特にコロナ禍でそれが加速した印象です。
以前は授業の休憩時間に横の人同士で喋っている光景を見ることがしばしばあったのですが、最近、休憩はスマホチェックの時間になっていて、会話の少なさに驚いています。
ただ、授業で少人数グループのディスカッションをすると、みんな楽しそうにしているので、本当は声を出して話す機会を求めているんだけれど、それをやってはいけないという空気感がどこかにあるのかもしれません。
本来は、授業後や休憩中に話したり、誰かを誘って遊びに行けばいいのに、断られるのが怖くて声をかけられなかったり、オンラインで完結することが増え、それぞれの状況が見えにくいので、誰に声をかけたらいいのかもわからない。
しかも、「暇そう」とか「つながりがない」と思われたくないから、スマホチェックで忙しいフリをしている。すると、余計お互いに声をかけにくくなってしまいますよね。
案外、声をかけたら喜ぶ人は多いと思うんだけれど、断られるリスクを考えたり、昨今はいろんなハラスメントが登場しているので、声をかける側がどうしても責任を負うことになってしまい、なかなか声をかけたりしにくいのでしょう。

武田:宮地さんは著書の中で、現代の傷つきを避ける人間関係を、くっついてもすぐにさらっと取ることができる付箋にたとえて「付箋のような人間関係」と表現されていて、まさしくその例だなと感じました。
宮地:傷つけ合わないのが前提になってきて、でも結果として、みんな寂しくなっている。
付箋のような人間関係では、傷つく練習や傷つける練習となる機会が減ってしまうので、いざ深く関わろうとなったときに、相手の心が読めなかったり、文脈を考えられなかったり、必要以上に傷つけてしまったり、ということにつながります。
もちろん、故意や不必要な傷つきは減らしたほうがいいですが、リアルな関係を築くうえで、傷つきを完全に避けることはできません。
傷つくことで他者に対するやさしさを育んだり、人間的な魅力や深みにつながることもあるし、傷つけてしまった経験から、言葉の選び方の工夫や、他者の状況に配慮することを学ぶことができます。
武田:最近は、どんな言葉を発しても、届く先のどこかでは意味がひっくり返った状態で届いてしまう可能性があるという難しさも感じています。
例えば、新型コロナウイルスの感染が拡大し始めたころのラジオでは、どんな声色で話せばいいのか、なかなか判断が難しかったです。それなりに元気な感じで話したら、「こんな世の中ですが元気をもらえました」と言う人もいるし、「こんな時期に元気な声出すなよ」と言う人も出てくる。
多数派の言葉を選ぶわけではないですが、その複雑さを考えると「黙っておくのが一番正解」とどうしてもなってしまうのかもしれません。
考えの溜めを作ってみる
武田:私が子どものときは、今みたいにSNSやチャットがなかったので、授業や部活が終わって学校から帰宅すると、翌朝会うまで誰とも連絡を取らないのが当たり前。
すると、テレビを見たり、ラジオを聞きながら「あいつに明日これを言ったらウケるんじゃないか」とか「こういうふうに話したらいいかも」みたいにいろんなことを考えて、溜め込んで、翌朝9時ごろに登校するという毎日でした。
ノスタルジーもあるかもしれませんが、そういう溜め込む時間があるほうが思考が鍛えられる気がしますね。
今なら、おもしろいと思ったら「見てみて」と瞬時にメッセージを送れて、すぐに反応が返ってきて、その場で盛り上がったりするんだろうけれど、当時は、“翌朝9時のあいつ”に向けて、どういう反応が返ってくるかわからない“不確実要素”がある状態で、さまざまな思考を巡らせていました。
今からそこに戻るのは難しいでしょうね。
宮地:考えを溜めるために、意識的に情報を遮断するのは大事だと思いますよ。私はよくニュースなどの情報を遮断するのですが、案外、本当に重要な情報って入ってくるし、周りの人にとっては、私に話すと新鮮な反応が返ってくるのが嬉しいみたいです(笑)。
溜め込む時間があることで、話が盛り上がったりもするので、いわゆる“デジタルデトックス”の時間を作るとコミュニケーションも変わってくると思います。
武田:デジタルデトックスというと、多くの人から「情報はやっぱり必要」という反応が返ってきそうですが、“自分の考えを溜める”という言い方にすれば、新たな可能性が見えてきそうですね。
窓辺のカウンター席から開放的な景色を臨め、手作りのケーキやヘルシーな軽食が楽しめます。
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illustration_Natsuki Kurachi text&Edit_Hinako Hase

















