写真家・長島有里枝が提案する、今こそ大切にしたい〝ケア〟の方法とは?

LEARN 2023.02.03

「 その価値が現代社会で軽視され過ぎていると思うんです 」

昨年、金沢21世紀美術館で自らキュレーションを務めた「ぎこちない会話への対応策―第三波フェミニズムの視点で」展で、フェミニズムは女性だけのものであるべきでないと問いかけた写真家の長島有里枝さん。現在、アートプログラムMAT, Nagoyaの企画で個展「ケアの学校」が開催中だ。ケアを学ぶとはどういうことか、話を伺った。

今回の展示のキーワードとなるのは「ケア」という言葉。地域の人や来場者と対話や交流をしながら、これまでにない新しい試みにも向き合うと言う。

「フェミニズムやジェンダー研究の文脈では女性の地位や性別役割分業について考えるとき、このケアという言葉は頻繁に登場します。例えば〝ケア労働〟。これはその名の通り他者をケアするような労働全般を指します。主に家庭で担われているような仕事―家事、育児、介護などですね。再生産労働、シャドウワークなどと呼ばれますが、特徴はこれらが多くの場合、家族の女性成員によって無報酬で担われているということ。私も結婚と子育てを経てこうした仕事を引き受ける経験をしました。今は子供も大きくなりこの役割も終わると期待していたのですが、実は社会生活でもケアする役目が求められていることに気づき、息苦しさを覚えるようになりました」

ケアとは誰かを気にかけること。家庭も社会も小さなケアが連鎖することで物事が円滑に進んでいく。しかし、その多くが誰かの親切や優しさ、自己犠牲の上に成り立つことに疑問を感じたと言う。

「あの人はフェミニストだからわかってくれるだろうという認識を持たれるのかもしれませんが、意義深さなどを付加価値とした報酬のない仕事を頼まれやすくなりました。光栄でもそれで貧困に陥る自分がいて悶々とします。そこに女性にケアワークを押し付ける社会の仕組みと同じ何かを感じます。ケアの価値は、現代社会で軽視され過ぎていると思う。英語のCAREには素晴らしい意味があるのに、それがやりがい搾取的になってしまうのはなぜか。ケアはお金を稼ぐより重要な仕事なのに」
 
ケアワークの地位向上はみんなを幸せにするはずだ。だったらそれをもっと無理なく循環させるためのアクションを起こしたい。しかし、それをどう作品化すればいいのか、悩んだと言う。

「ケアとは何かを再構築できたら、と思います。例えばそれは自分のためと考えるとき自己犠牲ではなく本当に自分の楽しみになったらいいのに、とか。会場では私が在廊し、バレエレッスン、編み物、暗室作業などをパフォーマンス作品として公開します。鑑賞者も参加できるイベントもいくつかあるので、随時インスタで告知をします。ただ、私がいない日や、いても人に会いたくないから控室にこもる日もある。どうなるのかは正直、私にもわかりません」

展示の見どころと“ケア”について考える3つのポイント。

MAT, Nagoyaとは?

Minatomachi Art Table, Nagoya[MAT, Nagoya]は名古屋港エリアでまちづくりを推進する「港まちづくり協議会」が母体のMinatomachi POTLUCK BUILDINGを拠点に活動するアートプログラム。
https://www.mat-nagoya.jp/

photo : Rokuro Minamitsuji text : Kana Umehara

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