言葉の宝物を見つける/寿木けい 第6回 ひんぴんさんになりたくて。
本誌巻頭エッセイ、寿木けいさんの「ひんぴんさんになりたくて」。ひんぴんさんとは、「文質彬彬(ぶんしつひんぴん)」=教養や美しさなどの外側と、飾らない本質が見事に調和した、その人のありのままを指す、という言葉から、寿木さんが生み出した人物像。日々の生活の中で、彼女が出逢った、ひんぴんさんたちの物語。
七月下旬に行われた、 羽生結弦選手のプロ転向を発表する会見の中で、おやっと手が止まった場面があった。
あいさつと所信表明が終わり、報道陣からの質問に答えるにあたって、彼はこんな風に語りかけたのである。
自分で考えてきたことだけだと、話せないことはいっぱいある。だからどうか質問をいっぱいしてください。そうしたら、もっとしゃべれると思うので ──。
これを聞いて、すごい人だなと思った。と同時に、これまで私が職業として担当してきたいくつものインタビューが思い浮かんだ。
私は物書きになる前は、編集者として働いていた。著名人にインタビューし、原稿を書く機会も少なくなかった。
インタビューというのは本当に難しくて、完璧にできたことなどひとつもない。どの仕事にも、もっとよくできたはずだという後悔がある。
あるとき、インタビューした相手から大量の修正指示が入り、実際には交わされていない会話に作り替えられてしまったことがあった。マニフェストのような言い回しのすべてを採用することはできず、やりとりを重ね、最終的には、
「修正部分を、お互いにいちど声に出して読んでみませんか」
こうお願いした。 そうすれば、話し言葉としていかに不自然な表現か、共感してもらえると思ったのだった。
もちろんこれは、取材の打診段階から当日の雰囲気作りまで、相手との信頼関係を充分に築けていなかった私のミスでもある。事前に伝えてあった以外の質問に答えることを相手は嫌がったし、入念に準備された回答を読み上げるスタイルを崩すのにも苦労した。
そう考えると、冒頭の羽生の台詞(せりふ)は、目の前の報道陣を信じているからこその提案だし、思考を積み重ねてきた人ならではの境地だろう。
何より、彼は自分を信じている。そして心の内をどうぞみなさん掘り起こしてくださいと持ちかけて、対話が生まれることを楽しんでさえいる。 そんな羽生の言葉を宝物として待っている人が、取材席の向こう側にたくさんいるのである。
言葉の宝物と書くと、あるインタビューを思い出す。
作家の沢木耕太郎が歌手の藤圭子にインタビューした際の音源が、34年間の眠りを経て本にまとめられた。 2013年に藤が亡くなってからすぐのことだ。
タイトルは『流星ひとつ』(新潮社)。二十八歳で引退を発表した才能に、 沢木はこう問いかけるためだけに会いに行く。なぜ歌うことを辞めてしまうの、なぜ。
「インタビューなんてバカバカしい」
最初、藤はこう言って突っぱねる。 ホテルのバーで挑むように酒を飲み(両者相当強い)、くっつきそうになっては離れ、安全な距離を保ちながら相手を射るように眺める時間がしばらく続く。
そんな緊張感のなかで、 藤が言葉を選びながら話しはじめたとき、読者は彼女の感情がぐらりと揺らぐ瞬間に立ち会う。藤もおそらく気がついていなかった彼女自身が、沢木の前に放り出され、読み手は二人が一体どこに運ばれていくのか見届ける立場に置かれる。二人の人生の一部分を確かに託されたという読後感は、今でも忘れられない。
星になったひとりの女性。その人のたったひとりの娘に、母親の精神の輝きを伝えるために、沢木はこの本を書いた。訃報にまつわる悲しい色がすべてを覆ってしまわないよう、三十四年前の肉声を紙の上にぶちまけたのだった。
その沢木の思いが、伝わってくる。小さな主語で書かれた一冊が、多くの人の心に火を灯すことができるのだ。
筒井康隆はこんな風に書いている。ある人から、随筆とは「心象と物象の交わるところに生じる文」であるのに、あなたにはそれが書けていないと指摘された。腹立ちを抑えて考え込んだのち、よい勉強をしたと、ぽんと膝を打ったと。
ならばインタビューは、問い手と話し手、それぞれの心象と物象の少なくとも四つの風景が交わる場所である。
私たちはそこからどんな言葉を拾い上げて、宝物として持ち帰ることができるのか。私の場合、ひとつには、日々の喜怒哀楽の、特に真ん中のふたつの感情から逃げないこと。そうやって、今ちょっと苦しいなあと不甲斐ない気持ちで歩いているときに、ひょっこり出くわすものという気がする。その喜びは大きい。