演劇にドラマに映画。 ジャンルを横断して圧倒的な〝現実〟をフィクションで描く、加藤拓也とは。
自ら主宰する「劇団た組」で作・演出を手がけるほか、近年ではフジテレビ系『平成物語』や日本テレビ系『俺のスカート、どこ行った?』などドラマの脚本家としても活躍する加藤拓也さん。2021年にはNHKのよるドラ『きれいのくに』で、新進脚本家の登竜門・市川森一脚本賞の受賞を果たした。そして映画『わたし達はおとな』では映画監督デビュー。媒体を軽々と行き来しながら作品を生み出し続ける彼に話を聞いた。
「 一人の人物のいい面と悪い面、その両方を描き出したい 」
「写実的にフィクションを作ることは、自分のスタイルであり、いわばフェチですね。〝あるある〟と思えるシチュエーションの中から〝ありえない〟とふと気付かれるところまでジャンプできた時に、僕のフェチが発動します」。そう話す加藤さんが作る物語はどれも、どこか生々しく、とてつもなくリアルだ。例えば初映画監督作となった『わたし達はおとな』はその真骨頂。妊娠をきっかけに揺れ動く、20代の未熟な男女の危うい恋愛模様を描いているのだが、生活空間を覗き見しているかのようなカメラアングルに、極めて自然な会話の掛け合い。徹底的なリアリズムをもって描かれている。「演劇では表情では見えない部分をどう作るかも重要になるのですが、映画では、登場人物たちの些細なやりとりや微妙な感情の変化を繊細に映し出す可能性が見えた気がしました。一方で、映画はよくも悪くも観客の視点を限定してしまうなとも感じましたね」
フィクションを作る強烈な原体験があったわけではないという加藤さん。きっかけは、中学生時代に何気なく書き始めたブログだった。
「ブログの中で、いかに面白い文章を書けるかにハマっていったのがきっかけといえばきっかけ。その流れで、自然とフィクションを書くようになっていきました」
高校在学中からテレビやラジオの構成作家として活動を始め、一時はイタリアに滞在し、映像作家としてMVの制作に携わったことも。帰国後、打って変わって演劇という表現の閉鎖性に魅せられ、2013年に「劇団た組」を立ち上げた。演劇だけでも、これまでに手がけた作品は15をゆうに超え、20代の若さにしてすでに確かな経験を持つが、今年4月に上演した演劇『もはやしずか』で初めて掴めた手応えがあるという。物語の主人公はある夫婦。不妊治療を経て授かった子供に障害の可能性があると知ったことを機に展開していく会話劇だ。
「それ以前に掴みかけていた作劇の感覚のようなものが、初めて自分の中で腑に落ちた作品です。ほぼ一つに近いシチュエーションの中で、ワンセットの空間を使いながら、人間の会話をしっかりと組み立ててストーリーを生み出していく。そこに手応えを感じました」
巧みな会話を転がしながら、今この瞬間、隣の部屋で起きていそうな現実を描いたり。そうかと思えば、整形によってほとんどの大人が〝同じ顔〟になった国の高校生たちを描いたドラマ『きれいのくに』のように、近い将来に訪れそうなハッとする現実を描いたり。さまざまな距離感で今の社会を描く加藤さん。フィクションを書く上で、一貫して意識していることはあるのだろうか。
「強いていうなら、善悪を分けて描かないことでしょうか。一人の登場人物に対していい面と悪い面の両方を描いたり、また彼らの行いを、一般的な善悪の基準で肯定もしなければ、断罪もしないようにしたり。見方によって善悪が変わるのが、人間であり、世の中だと思うんです」