第1回 ひんぴんさんになりたくて。 本当を生きる計画。/寿木けい 第1回 ひんぴんさんになりたくて。
本誌巻頭エッセイ、寿木けいさんの「ひんぴんさんになりたくて」。ひんぴんさんとは、「文質彬彬(ぶんしつひんぴん)」=教養や美しさなどの外側と、飾らない本質が見事に調和した、その人のありのままを指す、という言葉から、寿木さんが生み出した人物像。日々の生活の中で、彼女が出逢った、ひんぴんさんたちの物語。
長年の友人が、豪雪地帯にある古いスキー宿を継いだ。 三年前のことだ。
今年の正月休みを利用して、家族で泊めてもらうことにした。
まだ修繕も終えてなくて──準備不足を詫びる彼女に、古い姿を見ておきたいからと、半ば強引に頼みこんだのだった。
川端康成の小説で知られるその地の、長いトンネルを抜けると、視界はホワイトアウトし、厚い雪にすべての音が吸いこまれた。東京から三時間のドライブでたどり着いた別世界。しかし、ここで暮らす人には、ありふれた冬の日である。
宿は民宿街の真ん中あたりにあって、その一番いい部屋が、私たちの到着に合わせて暖められていた。 どこもかしこも古いけれど、格式があって、見るからに清潔な感じがした。
バブルの頃は多くのスキー客が訪れ、厨房では二百人ぶんの食事がこしらえられていたという。食堂も浴場も、一度では入り切らない。数回に分けて客の出入りを仕切っていたのが、彼女のおばあちゃんだった。
友人は幼い頃から、休暇のたびに東京から遊びに来ては、看板娘として客をもてなし、 可愛がられもした。建物を案内してもらいながら、私は、ずっと思っていたことを聞いてみた。 都会で会社を経営しているあなたが、どうしてこんな、便利とはいえない土地で宿を。しかも、建物に自分で手を入れて、時間をかけて直していると聞いて、なにが彼女をそこまで引きつけるのか、知りたいと思っていた。
「私、あの時代を取り戻したいって、本気で思いはじめちゃって」
そう彼女は言った。
今でも覚えている、夏の川の冷たさ。西瓜の甘さ。冬のごった返したにぎわい。灯油ストーブの香り。 あの頃の私が、本当の私だった、とも。
「人生の総仕上げだ」と私。
「それ的な」と彼女。
作家メイ・サートンは『総決算のとき』で、不治の病を告知された女性編集者の心の機微を描いた。
死を前にして、主人公の胸は躍る。 これで人生好きなようにやれる。ちゃんと、うまく死んでみせる。
主人公の内面と振る舞いがぴたっと合致し、ようやく本物の自分になって歩みはじめたことを、心から実感するときめき。健康だったときには持ちえなかった、うずくような興奮。 それは、最期に訪れた、一瞬の、最大の輝きである。
でも、だ。余命宣告と引き換えでなければ、こんな生き方が手に入らないなんて。 一番若い今日から、毎日小さく決算するつもりで、生きられないだろうか。
文質彬彬(ぶんしつひんぴん)という言葉がある。 教養や美しさなどの外側と、飾らない本質が見事に調和したさまを指す。 それって、ありのままを真っ当に生きているということだと私は思うし、少なくとも私は、生まれてきたからにはそういう生き物になりたくて、トライとエラーを繰り返している。死ぬ間際なんて、いやだ。
雪国の夜。家族が眠るのを待ってから、友人と居酒屋へ出かけた。
三が日の街は、新年会でにぎやかだ。会う人会う人、彼女に話しかける。彼女も駆け寄る。いつ用意していたのか、彼女のバッグには、御年賀の菓子がたくさん入っていた。
「本年もよろしくお願いします」
ひとりひとり、名前を呼んで渡していく。こういうところ。敵わない。
東京の好況を生き切った経営者には、新しく作るほうが簡単だろう。残すよりも、壊して、塗り固めたほうが利益を生むことは、街を見れば明らかだ。だからこそ、残すことに挑む人は、気高く見える。取り戻すとなると、さらに計画は長い。彼女がそっち側に立ったことに、私はものすごく憧れて、打たれた。
宿の地下は、カラオケルームに改装するそうだ。もともと、濡れたスキー板やウェアを乾かすためにボイラーを完備したフロアだったから、場を温めるのは建物の特徴にも適っている。
無音の雪の街で、彼女と歌える日を楽しみに、私も精一杯暮らそう。 彼女の夢を知って、応援することで、私の胸にも小さな炎がインプットされた。
この連載では、ぽっと火を灯したような、ひんぴんした粋な人たちのことを書いていく。ふと袖を振りあった縁の中に見つけた姿を、忘れないように。
イラスト・agoera