液体の悦樂 #2 茶葉の産毛に萌える。高田馬場の中国茶カフェ〈虫二〉で飲みたい珠玉の一杯。
コーヒー、ティー、お酒。ドリンク=液体に魅せられたライターが、格別の一杯を “見たことのない景色”とともに掘り下げるドリンク偏愛譚。第2回は、高田馬場の隠れ家的な茶館〈虫二〉の中国緑茶です。
産毛に包まれた可憐な茶葉を、うっとり眺める。
〈虫二(ちゅうじ)〉という店名を聞いた時、「あぁ、いい名前だなあ」と思った。2024年の春にオープンしたばかりの中国茶館で、少し小径を入った場所にあるせいか、高田馬場駅からすぐなのに初訪問者の大半が道に迷う。これも茶の桃源郷へと導かれるようで、ミステリアスでちょっといい。
ちなみに虫二とは「えもいわれぬ美しい風景」を表す中国の隠喩。絶景を意味する熟語「風月無辺」の「風月」から囲いを取る(=無辺)と“虫二”となるからだそうで、文字を目にするだけで水墨画のごとく幽玄な景色が脳裏に浮かぶようだ。
そんな風雅な店名を冠した〈虫二〉は、西早稲田の中国茶カフェ〈甘露〉の2号店。〈甘露〉がカジュアルに中国甜点(スイーツ)とお茶を楽しむカフェスタイルなのに対し、こちらは季節の中国菓子をコースで供するアフタヌーンティーのような“茶席”スタイル。扱う茶葉も〈甘露〉とは完全に変え、入手困難な希少茶や特級茶葉のみを10~12種類ほど揃えている。
店主の向井直也さんによると、中国菓子については定期的に現地に赴き情報をアップデートしているけれど、茶葉は信頼できる日本の茶行から仕入れているそう。確かにお茶は出会うまでの工程や人脈が大切で、やみくもに現地に飛んでも良質な茶葉が入手できる訳じゃあない。龍井茶(ろんじんちゃ)や武夷岩茶(ぶいがんちゃ)など、生産地も生産量も限られる希少茶であれば尚さらだ。
だから出自のきちんとした茶葉を提供するために、産地のよき作り手とのネットワークを持つ茶のプロから買い付けるのは一つの正解だし、誠実だとも思う。こうした仕入れの話を前もって聞いていたので、本日は旬の茶葉との出会いを楽しみに伺ったのだった。
前置きがすっかり長くなりましたが、この日いただいたのは2024年春の「洞庭碧旋春」。龍井茶と並ぶ中国緑茶の代表格で、「碧螺春(へきらしゅん、中国語読みでぴろちゅん)」は “碧玉色で渦巻き状の春のお茶”という文字の意味通り、クルクルと細く巻き、真っ白な産毛に覆われた茶葉が特徴。二十四節気の清明節(4月初頭)より以前に摘んだ一番茶のみ「碧螺春」と名付けることが許されるため、茶葉は繊細な産毛を纏った新芽(芯芽とも)を含む幼い芽葉になる。
上品かつ生命力を感じさせる芳香と旨味が魅力だが、新芽は手摘みで採取するうえ、小さな茶葉なので1斤(中国で500g、台湾で600g)集めるのに大変な手間と時間がかかる。だからお茶好きは膨大な労力を想像するだけで気が遠くなり、その尊さと見た目の愛らしさに “産毛萌え”せずにはいられないのである。
〈虫二〉では、「碧螺春」には茶葉の美しさを楽しめるようガラスのポットを使用。まずはためつすがめつ茶葉を鑑賞したあと、ぬるめの湯に茶葉を浸すと、低めの湯温にも関わらず茶葉は瞬く間に開く。茶海(ピッチャー)に注いだ青みを帯びた黄金色の茶液はわずかに霞んでいて、よく見るとそれは茶液の中を浮遊する産毛! またも萌えポイント!
「この茶園は果樹と茶樹を一緒に植えているので、かすかに柑橘の香りがすると言われているんですよ」と、もう一人の店主・向井舞子さんが茶園の写真を見せてくれた。
産地の洞庭山の中でも発祥の地とされる東山地区では、楊梅(ヤマモモ)や蜜柑などの果樹を茶の木と交互に植える伝統的な栽培法が残っているそうで、背の高い果樹を植えることで直射日光を避け、渋みが少なく旨味の強いお茶が育つのだとか。一緒に育った茶樹に果物の香りが移るとは、何ともロマンがあるではないですか。
ごく軽い火入れの茶葉は、一煎目で目覚めたようにふわっと香りが立ち上がり、白い花のような芳香の奥に、確かに、清々しい柑橘の気配がする。黄金色の湯の中でゆらめく茶葉は新芽らしい黄緑色で、「秋田のじゅんさいみたいだなぁ」などと思いながら眺める。
味わいは朝露を思わせる透明感があり、ほのかな苦味のあとに甘い余韻が長く続く。最初は素っ気ないと感じるほどに控えめだけど、煎を重ねるごとにじんわりと旨味が増していくのだ。
在来種で作られる、果てしなく甘露な中国紅茶。
茶葉の美しさに惹かれ、欲深くもう一つ注文してしまったのが中国紅茶の「九曲紅梅」。日本での和紅茶もそうだが、ここ数年、中国でも紅茶が再注目されているようで、インドやスリランカの紅茶の嗜好と異なり、渋みのない穏やかな味わいが好まれるそう。
「山奥ゆえ機械化されず、奇跡的に昔ながらの作り方を続けている稀有な紅茶です」と向井さん。19世紀半ば、度重なる戦乱で武夷山から避難してきた茶農たちが浙江省の山奥に移住し、そこで故郷の製法をもとに作り始めたらしい。
「烏龍茶の製法を基盤にしているので、紅茶ではあまり見かけない“日光萎凋(摘んだ茶葉を日光に当てて発酵させる工程)”をしているのが珍しいですよね」(向井さん)。
「九曲紅梅」に用いられる茶葉は地元に古くから生殖する在来品種・鳩坑種。こちらは4月上旬の一番茶を製茶しているため、やはり若い芽であるのが特徴だ。改良された品種と異なり、分かりやすい派手さや華やかさはないけれど、在来種ならではの滋味と複雑味があって、それが飲むごとにじんわりと沁みてくる。
糸のように細く揉捻(茶葉を揉み込む工程)された茶葉は二煎目、三煎目と少しずつほどけて、小さな茶葉が姿を見せる。
ちょっと懐かしい、日なたの埃っぽい香りがしたのは天日干しだからだろうか? 糖蜜や熟した果実のような香りと甘みが少しずつ開いていき、渋みのない丸みを帯びた味わいは絹のような滑らかなテクスチャーで飲み疲れることがない。
9皿もの茶菓や水菓(フルーツ)がお重のように供される「果籃(からん)」は、中国菓子を探求する〈虫二〉ならではの充実度で、これらの菓子やフルーツを行ったりきたりしながらお茶と合わせるのが何とも楽しい。
たとえば淡く甘露な「碧螺春」を山査子(サンザシ)の甘酸っぱい菓子とともに口の中で転がしてみたり、風味が開いた「九曲紅梅」の三煎目にナッツや薄荷奶棗(ナツメのマシュマロ包み)を合わせるのも最高だ。煎を重ねるごとに刻々と変化するお茶の味わいと茶菓のペアリングを楽しめるのは、数あるアフタヌーンティーの中でも中国茶の醍醐味だと思う。
〈虫二〉は完全予約制、すべてお茶とお菓子のセットで4,950円~。これは街の中国茶カフェに比べると少々お高めかもしれない。
かつて2000年代~2010年代頃、何度目かの台湾茶ブームも重なり、東京にたくさんの茶館がデビューし、やがて淘汰されていった。茶館はお客にとっては夢のような場所だけれど、中国茶は良い茶葉であるほど何煎でも果てしなく飲めるので、その気であれば1日でも居座れる。
極端に客の回転率が悪いし、さらに同じ嗜好品でもお酒ほどお茶に対して高い金額を払う文化がない…といった背景を考えると、東京で茶館を続ける難しさは想像できる。
でもコロナの3年を経て感覚が少し変化したのか、「“時間を買う”と思っていただければ」と向井さんが語る通り、お茶とともにゆったりと有意義な時間を過ごすことに価値を見出す客層が増えてきたのだろう。ここ数年、高級ホテルのアフタヌーンティーがすっかり定着したことともリンクするのかも。きっと2024年に、〈虫二〉のような店が誕生したのは必然だったのだ。
高田馬場の仙境に迷い込み、お茶とお茶菓子とで無限に広がる味の変遷を楽しむ2時間の豊かさよ。まずは茶葉をしげしげと“拝見”し、その美しさにうっとり見とれるひと時をお忘れなく。
虫二(ちゅうじ)
2024年4月オープン。早稲田の中国茶カフェ〈甘露〉の姉妹店。茶葉は中国大陸産が中心で緑茶、白茶、黄茶、青茶(烏龍茶)、紅茶、花茶など常時10~12種類ほど。全てお茶菓子とセットになったコース料金で4950円~9020円。写真は「2024年 明前 手工 洞庭碧螺春」7920円、「2024年 西湖 九曲紅梅」5940円。*茶席は要予約(2時間制)。焼き菓子や茶葉の販売も。
住所:東京都新宿区高田馬場2-14-5 1F
電話番号:03-6823-7588
営:11:00〜18:00
定休日:月曜・木曜
公式サイト: https://www.instagram.com/kanro_nishiwaseda