絶品パンを片手に。クラシックの無造作な楽しみ Vol.1 果汁したたる“真っ赤ないちごパン”と嗜む、交響詩「死の舞踏」
香ばしい匂い、ふんわりと口いっぱいに広がる弾力、食材を引き立てる小麦粉の優しい味。味覚、触覚、嗅覚…あらゆる五感をもって、体中を幸せで満たすパンと在る時間に音楽があったなら、それはシネマシーンを切り取ったような特別な時間になるはず。そろそろクラシックを学びたいと思っている大人の女性に、ヴァイオリニストの花井悠希さんが、パンと楽しむクラシックの魅力を伝えます。今回は、ヴィヴィッドないちごのパンと、そこから連想されるハロウィンムード漂う一曲を紹介。
常識が覆る。〈したからむかな〉の超高加水なパン
東京・神楽坂の静かな路地に佇む〈したからむかな〉。〈3ft(サンエフティー)〉として和歌山でスタートしたこちらのお店は、噂が噂を呼びパン好きの中で一度は訪れたい憧れのパン屋に。その後〈中村食糧〉という名で東京進出を果たし、2023年7月に神楽坂の地に移転して〈したからむかな〉として再オープンしました。
パンの種類や使う具材に応じて、粉とその配合、酵母を何種類も使い分け、最適なバランスを編み出す、この技巧的なプロセスが〈したからむかな〉らしい繊細で潤いに満ちた味わいを生み出しています。
そして、一番の魅力はやはり、これまでの常識が覆されるほど超高加水な生地の質感。中には水分量120%のパンも! まだ自分の知らないパンの世界があったのかという驚きとの出合いに、誰もが興奮してしまうはず。
シトシトといちご滴る生地に包まれ、蘇る果実
「いちご」は初めて来店する人がまず購入するというアイコニックなパンで、パッと目を引く真っ赤な生地の正体は濃縮いちご果汁。混じり気のない、いちごの甘酸っぱい味わいが口に入れた瞬間、まっすぐ届きます。
通年で購入できますが、中に入るフルーツは季節によって変わるとのこと。この日はドライのパイナップルと白ぶどう、赤ぶどうが入っていました。
持ち上げると手に感じるずっしりとした重さ。生地はフニャンとしなだれかかるほど柔らかで、ひやりとした感触からも水分量の多さが伝わってきます。この重さと柔らかさ、そして表面のふんわりとした食感が共存しているのが不思議。一口ごとに、水分を抱え込んだドライフルーツが“ぷしゃー”と弾け、瑞々しいジュースがそこここでほとばしります。
水分たっぷりの生地に一緒に練り込んで発酵することで、ドライフルーツがこんなにもフレッシュに息を吹き返すのか、と驚きを隠せません。フレッシュな果実が入っていると勘違いする人も多いのだそう。周りを包むクラスト(パンの外皮)は軽やかな食感で、焼きの苦みが程よくアクセントを加え、甘いテイストに偏らない影の立役者です。
サン=サーンスの交響詩「死の舞踏」が描くガイコツたちの宴
ハロウィンを彷彿とさせるヴィヴィッドなカラーに加え、蘇ったドライフルーツの生き生きとした様が印象的な〈しかたらむかな〉の「いちご」。口に入れた瞬間の味覚と食感から頭に浮かんだのは、サン=サーンスの交響詩「死の舞踏」のストーリーでした。
というのもサン=サーンスの交響詩「死の舞踏」はそんな場面から始まるのです。タイトルからは、暗い曲を想像してしまいますが、テンポよく始まるメロディーはどこかワクワク感をも感じさせます。
交響詩「死の舞踏」は、物語に添って、それぞれのシーンを音楽で描写しながら進んでいくというストーリー仕立ての楽曲。フランスの詩人である、アンリ・カザリスの同名の詩から着想を得ており、ストーリーを知りながら聞けばこの部分はどのシーンが表現されているのかを想像する楽しみがあり、例え言葉を追わなくても物語が音から見えてくるようなドラマティックな展開の曲です。
物語のもととなっているのは「死の舞踏」と呼ばれるフランスの寓話。その舞台はハロウィンの夜です。
午前0時、死神のヴァイオリンを合図に、ガイコツたちが暮石から抜け出して踊り始める。すっかり盛り上がり踊り狂う最中、朝を告げるニワトリの鳴き声で慌てふためいて押し合い圧し合い逃げ惑う…
まさにハロウィンのイラストで出てくるような光景ですね。曲もそのお話に沿って、真夜中12時を告げる時計の音を表現する、12回のハープの音からスタートします。
死神が墓場に現れるシーンを表現するヴァイオリンソロの不協和音が轟き、それを合図に不気味な舞踏会が始まるのです。
フルートソロがガイコツのダンスを表現する不気味なメロディーを奏で、シロフォンはガタガタと鳴る骨の音を描写します。最後に、朝を告げる一番鶏の鳴き声をオーボエの音が表現し、物語は終盤へ。
ガイコツたちは慌てて地底に逃げ帰り、最後に残されるのはさっきまでの盛り上がりが嘘のような静寂です。情景を想像するだけで、ユーモラスなイメージが広がります。
子供向けのホラー映画を見ているような楽しい気持ちで聴けるクラシック音楽と一緒に、ドライフルーツが息を吹き返す真っ赤に染まったパンを味わう。そんな変化球のハロウィンを楽しんでみてくださいね。
今回紹介した一曲
交響詩「死の舞踏」
作曲者:カミーユ・サン=サーンス(1835-1921)
作曲年:1874年
演奏者:ダニエル・バレンボイム指揮パリ管弦楽団
楽曲詳細:
フランスの詩人アンリ・カザリス(1840-1909)による詩に基づき1872年同名の歌曲を作曲。1874年交響詩「死の舞踏」作曲。「死の舞踏」は中世以降に広がった寓話を元にクラシック音楽や西洋美術で用いられるモチーフの一つで、サン=サーンス以外にも、フランツ・リストが管弦楽曲「死の舞踏」を作曲している。こちらの音源が収録されたアルバムはバレンボイム&パリ管弦楽団によるフランス音楽の名曲集。この曲同様に物語の進行に合わせて音楽が情景を表現していくポール・デュカス作曲「魔法使いの弟子」も収録されたアルバムです。アートワークにも魔法使いが描かれており、まさにこの季節にぴったりの一枚。