人間の存在意義を「誰かの役に立つ」ということとつなげていないドラマ。『無能の鷹』

人間の存在意義を「誰かの役に立つ」ということとつなげていないドラマ。『無能の鷹』
人間の存在意義を「誰かの役に立つ」ということとつなげていないドラマ。『無能の鷹』
CULTURE 2024.12.10
配信サービスに地上波……ドラマや映画が見られる環境と作品数は無数に広がり続けているいま。ここでは、今日見るドラマ・映画に迷った人のために作品をガイドしていきます。今回は『無能の鷹』について。

漫画原作を見事に再現したキャラクターに注目

金曜ドラマ『無能の鷹』が11月29日に最終回を迎えた。原作ははんざき朝未の同名漫画で、主人公の鷹野ツメ子を菜々緒が演じた。鷹野は、一見自信に満ち溢れていて、有能オーラが半端ないのに、実はコピーもできなければ、パソコンも起動できないというキャラクターだ。

彼女と入社試験で出会い、同期として働くことになった鶸田道人を演じるのは、大河ドラマ『光る君へ』で一条天皇を演じ、注目を集めている塩野瑛久。大河ドラマの優雅な役とはうってかわって、自信がなくおどおどした姿のギャップに驚かされる。漫画原作を読むと、鶸田の猫背な姿勢まで再現しているのがわかる。

見事な再現は、鷹野も同様である。ギャグ漫画の中にしか存在しえないような、特異なキャラクターを、菜々緒が違和感なく演じている。大げさにデフォルメすることなく、無機質な感じで演じ、そのことで、より笑えるシーンを再現することにも成功している。見たところ非の打ちどころがなく有能そうであるのに、何もできないとなれば、反感も買いかねないキャラクターなのに、誰かからやっかまれる要素が見えない雰囲気もうまく再現している。

誰かの役に立たないと存在意義がないのか?ということまで考えさせる

鷹野は先にも書いた通り、なにもできないのに、それを全く意に介さないのだ。しかし、その堂々とした様子から、営業先で初めて会った人には、有能な人だと勘違いされ、商談が成功してしまったりする。外部の人は、すぐには本当の鷹野には気づかないのだ。

ただ、一緒に働いている人には、すぐに鷹野の無能っぷりはバレてしまう。無能だとわかっても、誰もそれをとがめられないのだ。会社で社内ニート状態で、何一つ役に立たなくても、教育係となった鳩山樹(井浦新)は、彼女がペンを指で回すことに成功しただけで、成長を感じて涙ぐんでしまう。

会社の中に、そこまで何もしない人がいて、その人が何もしなくても応援されていたら、普通であったらこころよく思わない人がいても当然だろう。

私が会社にいたころ……20年以上も前だが、会社にはあまり仕事をしない人が何人かいた。窓際族なんて言葉もあったくらいだから、そのような人はどこの会社にも何人かはいたのではないかと思う。今の組織ではどうなのかはわからないが、その当時は、そのような人を抱えていても、会社が回るくらいには余裕があった、などと言われていることもある。そうは言われても、仕事をしない人が実際にいると、正直言って、あまりよい気持ちはしなかった部分もあった。

しかし、社会は変わって、現在となっては、人ができることには違いがあるし、パワハラなどで委縮して力を発揮できない人もいるだろうということも見えるようになってきた。全員が会社の役にたつことを第一として生きないといけないのかとか、効率主義にのみこまれてないか、などという疑問にも気づけるようになった。

そんなことを考えながら鷹野のことを見ていると、誰かの役に立たないと存在意義がないのか?というようなことまで考えさせるものがあるのだ。

鷹野といると、周囲の人は自分を肯定されたような気分になる

しかし鷹野自身は、そんなことは考えていない。そのことで、鷹野がやっかまれたり嫌われたりしない稀有なキャラクターにしているのだろう。

そして鷹野といると、周囲の人は自分を肯定されたような気分になるのも事実である。それが感じられたのが、最終話でのことだった。

鷹野は、ロボット事業を扱う会社の会議に間違えて出席する。そのときに、ロボットの案を尋ねられた鷹野は「特になにも……」と答える。だって鷹野はロボット事業はもちろんこのと、難しいことを考えたりしていないし、社内でも仕事をしていないので当然なのだが、それを聞いたクライアントは、鷹野の行動を監視し(監視というのは少し怖いが、それもセリフでツッコミが入っていた)、ロボットに組み込み、「めちゃくちゃ高性能そうで、なんの役にも立たないというコンセプトの究極のロボット」を作るのだった。

何もしないそのロボットと鷹野が会話すると、すぐに意気投合する(それは鷹野がモデルになっているのだから当たり前だが笑)。会社の誰もが、そんなロボットは絶対に世の中でウケるわけはないと思っていたが、予想に反して世界中でヒットして人々が絶賛。特に中国の人が「がんばらないでいいって身をもって教えられたわ」と言っているシーンが印象に残る。なぜなら、実際にも起こりそうな話だからだ。

ロボットが世界中でヒットした結果、コンサル料として、売り上げの2%を会社に振り込まれることになり、会社には二億円の儲けが舞い込むことになった。しかし、そのあとに、このロボットのリコール運動が起きて、その二億円も入ることはなかったのだが……。

人間の存在意義を「誰かの役に立つ」ということとつなげてはいけない

鷹野を見ていると、自分が悩んでいることがあほくさくなって前向きになれるかもしれない。そのうえ、鷹野は「私が会社を必要としているから」とか「生きてるだけで存在価値がある」と本気で思っている人だ。そんなことを一点の曇りもなく信じている人がいると思えると、何か自分もとても強くなれた気になれるものがある。

鷹野はドラマの中で言うのだ。「仕事ができなくても、みんな生きてるだけでえらいのでは?」「皆さん、私よりはるかに優秀ですから」と。実はこれは同僚たちの見た妄想の中の鷹野の言葉ではあったのだが……。だからこそ、鷹野というのは、皆がなんとなく求めていることを投影した幻のような存在なのかもしれないとも思わせる。

実際の世の中に、鷹野のように何も結果を出さなくても、誰にどんな評価をされても揺さぶられない、屈強な精神の人がいるかどうかはわからない。しかし、皆が効率主義を信じて、人々を競争させる世の中に生きていて、自分の存在意義が見出せず、悩ましい毎日を送っているとしたるとしたら、周りの評価にも、自分の無能さにも全く動じない人を見て、社会の役に立っていない自分も生きていていいような気分になれるかもしれない。

この話はもっと深く考えると、人間の存在意義を「誰かの役に立つ」ということとつなげてはいけないというところにまで達する気がする。そこまで鷹野が考えていなくても、だ。そういう意味では、ほかでは見たことのない作品になっていた。

しかし、このような考え方は、現実にも広がっているものだろう。2023年には日本で実際に「弱いロボット」というものが発売されていて話題になった。「弱いロボット」の中には、むかしばなしをしている途中で話を忘れてしまったりするものがいるそうだ。また、競争の厳しい中国などでは、日本の「ゆるさ」が受けているというニュースもよく目にする。鷹野や彼女をモデルにしたロボットのようなコンセプトは実際に求められていると感じる。

ただ、女性に無能な役割をさせて、それを見た周囲の人たちが癒されたり励まされるという構図は、女性蔑視的に見える可能性もある。しかし、この原作にもドラマにも一切、そのような構図が見えないのは、鷹野が自分の存在意義に対して、100%の自信を持っていて、それだけでも価値があり、人々が圧倒されるような強さがあるからだろう。劇中にロボットが出てくるように、鷹野にもどこか人間とはかけ離れた存在感があったのも、功を奏していたのかもしれない。

▶︎ここでしか読めない話がある。Hanakoのメルマガ「ハナコさんのオフレコでお願いします。」

text_Michiyo Nishimori illustration_Natsuki Kurachi edit_Kei Kawaura

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