山田太一が決めていた、仲手川 (中井貴一) の最後の女性とは? 山田太一未発表シナリオ集 『ふぞろいの林檎たちⅤ/男たちの旅路〈オートバイ〉』|きょうは、本を読みたいな #4
数時間、ときにもっと長い時間、一つのものに向き合い、その世界へと深く潜っていく。スマホで得られる情報もあるかもしれないけれど、本を長く、ゆっくり読んで考えないとたどりつけない視点や自分がある。たまにはスマホは隣の部屋にでも置いといて、静かにゆったり本を味わいましょう、本は心のデトックス。第4回目のブックガイドは山田太一さんの『ふぞろいの林檎たちⅤ/男たちの旅路〈オートバイ〉』をご紹介。
人生の理不尽さと味わい深さは山田太一から教わった。
巨星墜つ。脚本家・山田太一がこの世を去った。今年(2023年)は「自分を作った人々」がどんどん旅立ってしまう年だったが、12月に入って最初の訃報が山田先生だったーーわたしは山田太一氏の長年のファンなので畏敬の念を込めて「先生」付きで呼んでいるが、面識はない。いや、正確にいえば、2009年に放送された連続ドラマ『ありふれた奇跡』のインタビュー取材で1度だけお会いしたことがある。しかし先生は、わたしのことなどどこの誰だかわからなかっただろうし、取材後すぐに記憶を抹消したはずだ。非常に短い取材時間だったので(という言い訳を自分にしているが)、わたしは緊張してしどろもどろになり、ただただ「太一と会えた!」というだけに終わってしまった。不器用に生きる人々の群像劇を描き続ける山田先生に、どれだけ自分が救われているか、そんな思いを伝えたかったのだがーー。山田先生の死は、わたし自身の「思春期」の終わりを告げるものだった。えらく長く引きずりすぎた思春期だったけれど。
山田先生の「新刊」、未発表シナリオ集『ふぞろいの林檎たちⅤ/男たちの旅路〈オートバイ〉』が刊行されたのは今年10月。映像ディレクターの大根仁さんから「とうとう出たよ」と教えてもらい、早々に購入した。大根さんやスチャダラパーといった同世代の仲間たちの多くは、山田太一ドラマが「トラウマ」になっている。人生の理不尽さを知る原体験になった、という意味で。それはもちろん、1980年代に放送された連続ドラマ『ふぞろいの林檎たち』(TBSでの放映。パートⅠが1983年、パートⅡが1985年)に端を発しているのだが、ドラマが放送されていたのは中・高生の頃。話題だったのでオンタイムで観ていたものの、ドラマの「凄さ」を、山田太一脚本の面白さを認識したのは20代になってからだ。確か、『ふぞろいの林檎たちⅢ』(1991年)が放送されるタイミングで「Ⅰ」と「Ⅱ」の再放送があり、改めて観直して衝撃を受けた。ドラマの主人公たちと同い年になってはじめてわかったのだ。人間のみっともなさ、情けなさ、弱さを。
『ふぞろいの林檎たち』は、四流大学4年生の3人組、仲手川良雄(中井貴一)、岩田健一(時任三郎)、西寺実(柳沢慎吾)と、仲手川らが作ったサークル活動に参加した看護学校生の2人、水野陽子(手塚理美)、宮本晴江(石原真理子)、そこに、ぽっちゃり体型の女子大生・谷本綾子(中島唱子)、秀才の本田修一(国広富之)と風俗店でバイトをしている女子大生の伊吹夏恵(高橋ひとみ)のカップルらが絡みあう群像劇。彼らは、学歴や顔や体型、職業、恋愛、さまざまなことにコンプレックスを抱える不器用な「林檎たち」で、「パートⅠ」では就職するまでのことが描かれ(四流大学ゆえ就活がなかなかうまくいかず)、「パートⅡ」では就職してからのこと(仕事ができる、できないで学生時代にはなかった「差」が生まれてくる)、「パートⅢ」ではメンバー全員が30代となりそれぞれが家庭を持っていたり持っていなかったり(自殺未遂をしたり、浮気をしたり、職場のパワハラがあったりでなかなかハードな展開に)、「パートⅣ」(1997年放送)では、30代後半となった彼らが次世代の若者との世代間ギャップを感じるようになったりする。そして、40代に突入した林檎たちの物語が、シリーズ最終章の「パートⅤ」として2000年代初頭に(2003年の予定だったらしい)前後編の2時間ドラマとして制作される、はずだった。結婚を決意した仲手川は、逆に離婚してしまった岩田は、実家のラーメン屋を継いだ実は、ホスピスで働く陽子は、アメリカへ行き波乱万丈な人生を送る晴江は、それぞれ立派な中年となった林檎たちのその後がどうなったのか、そのドラマをわたしたちは観ることができる、はずだった。山田先生が書き下ろした脚本もちゃんと製本され、関係者の手にも渡っていた。が、さまざまな事情から制作は頓挫。その後、「V」は作られることなく年月は流れた。
山田太一が前から考えていた、仲手川(中井貴一)の最後の女性。
幻のパートⅤ。果たして、20年越しに「観た」その続きは期待を裏切らないものだった。出だしから笑ってしまった。だって、仲手川が「ナイスミドルパーティ」なる婚活パーティに出席してるんだもの。しかも、そのパーティの詳細がーー例えば30秒ずつトークタイムがあり、それを主催者がストップウォッチで時間を計り時間がきたらベルを鳴らす、などーーこと細かに、生々しく描かれている。これぞ山田太一。山田先生はドラマを書くときに徹底的に取材をすることで知られている。きっと婚活パーティも見学に行ったのだろう。ちなみに、『ありふれた奇跡』では、風間杜夫と岸部一徳が演じるごく普通の家庭のお父さんが、夜な夜な新宿二丁目の女装クラブに通っている、という設定に衝撃を受けたが、山田先生はこれについても丹念な取材を行ったに違いない。
それにしても、山田先生のシナリオは読んでいるだけで面白い。ト書きに人物の動きや、情景などが詳細に書き込まれ、ドラマのテーマソング『いとしのエリー』がどこで流れ、どこでカットアウトするかまで指示しているのだ。映像がそのまま浮かんでくる。本書を薦めてくれた大根さんは「読めば脳内上映できる」と言っていたが、まさにそう。長い間、「Ⅴ」が観られないのが心残りだったが、これを読んで思い残すことはなくなった。
ネタバレになるので林檎たちがそれぞれどうなったのかはここには書かないが、少しだけバラすと、実は浮気をし、岩田は仕事で正義を貫こうとし、晴江は相変わらずの人生を送っており、陽子はホスピスで人の死と向き合っている。林檎たちは不惑を過ぎても相変わらずデコボコしたまま。そんな中、仲手川が思わぬ人と結ばれるという展開には心底驚いた。本書の編者である頭木弘樹氏によれば、山田先生は「前からそう考えておられた」とのこと。いつ頃から考えていたのだろう。シリーズを振り返って観直したくなった。
本書には「ふぞろい」以外に、山田先生の名作ドラマ『男たちの旅路』(1976年〜1982年までNHKで放映されたシリーズ。警備会社の男たちを描いた物語で、特攻隊の生き残りのガードマンを鶴田浩二が、戦争を知らない世代の若いガードマンを水谷豊や柴俊夫、森田健作らが演じている)の未制作回シナリオや、2時間サスペンスドラマの未制作シナリオ、山田先生が「生まれて初めて書いた」シナリオも収録。これらは、山田先生宅の書庫から新たに発見されたそうで、先生自身もすっかり忘れていたものだったという。
ところで、山田先生の脚本は「○○けど。」で言い切るセリフが多く(と、わたしは昔から思っている)、それを「山田太一節」と勝手に呼んでいるが、今回もいい塩梅の「けど。」がある。仲手川のセリフだ。
「のぼせて言ってるんじゃないんだ。いや、のぼせて言ってるのかもしれないけど」
編者・頭木氏のあとがきには、山田先生に全作品について尋ねるインタビューを2017年から続けており、「もう少しで全作品の取材が終わります。単行本として本書同様に国書刊行会から刊行予定」と記されている。先生はどんな言葉を残したのか。早く読みたい。
『ふぞろいの林檎たちⅤ/男たちの旅路〈オートバイ〉 山田太一未発表シナリオ集』
ドラマシリーズ『ふぞろいの林檎たち』の幻のパート5、書庫で新たに発見された『男たちの旅路』の未発表回、異色の2時間サスペンスドラマなど、名脚本家・山田太一氏の貴重な未発表シナリオを収録。定価2,970円(国書刊行会)