伝えたかった、言葉たち。 山崎怜奈の「言葉のおすそわけ」第18回
アイドルとしてはもちろん、ラジオパーソナリティとしても大活躍。乃木坂46の山崎怜奈さんが、心にあたためていた小さな気づきや、覚えておきたいこと、ラジオでは伝えきれなかったエピソードなどを、自由に綴ります。
(photo : Chihiro Tagata styling : Chie Hosonuma hair&make : Tamago)
「わたしの自宅療養【後編】」
やるべきことも、やりたいこともやりながら、健やかに生きていけることがベストなのは大前提として、もし体調を崩すことにメリットがあるのだとしたら。私は、自責の念を持ちつつも「まあいいか」とポジティブに諦められることだと思う。
目の前にある課題を乗り越えようとする時、それが難しく感じられても「頑張れば何とかなるはず」と思うのが大事だと信じて生きてきた。自分の可能性を自分で狭めるな。学校でも仕事現場でもそう教えられてきたような気がするし、実際に、何とかなると思い込んでいたから何とかなったことだってある。
でも私の免疫細胞がウイルスに勝つために、私自身が頑張れることは特にない。ひねり出しても、ちゃんと寝て、栄養を摂って、日光を浴びるくらい。「頑張れば何とかなる」という可能性とともに「頑張らなければ」というプレッシャーばかりに敏感になっていた私にとって、「頑張れない苦しさ」はあまり経験がない。でも「頑張れない」って、頑張れることよりもっと苦しかった。しかも今回の療養は社会との「隔離」。あれもできない、これもできないなどと不幸に目が行きがちになるから、多少は「休めるぞ、ラッキー」っていう図太さを持とうとしないと息が詰まるようだった。
療養期間中は、どんなに悪寒(おかん)がしても関節が痛くても、とりあえず手元には必ずスマホか本があった。せっかくの休みをただただ無為に過ごすのはもったいない。とはいえ、一番近くに置いてあった本を読むとか、Netflixでおすすめに出てきた映画を見るとかかなーと思いきや、頭の中では仕事のあれやこれやがずっと渦巻き続けていた。
もう10日間は働かなくていいのに次の仕事を考えて、ニュースで流れるウクライナの情勢や、識者の見解をノートに書き留めた。溜まっていたクイズ番組の録画をこまかく一時停止しながら、問題をパソコンに打ち込んだり、関連ワードのWikipediaを読みあさった。
そうしているうちに突然電池が切れた感じで、パタッと眠りに落ちる。症状による肉体的な疲労と、頭痛薬の副作用だったのかもしれない。目が覚めれば、すぐにまた動画や文字を見続ける。気づいたら体の痛みが通り過ぎ、学んだことだけが残っていた。
毎日いろんなものに触れて、頭と心を動かしていくうちに、自分の内側がみるみる潤っていくのが分かった。きっと私はこうやって生きていくのだろう。マグロが泳ぐのをやめたら窒息してしまうように、私は何かを知ることをやめたら死ぬのかもしれない。などという冗談が頭に浮かぶほどにはメンタルが崩れなくて済んだし、ずっと家にいるのに、脳だけが旅をしているようだった。
インプットにかなり贅沢に時間を使った療養明け、久々に外に出たら、散らずに残っている桜の花を見つけてうれしかった。晴れ、体調良好、どちらも当たり前じゃないよなと改めて思う朝だった。
みなさまも引き続きご自愛くださいませ。