「コンパクト・デジタル・ランダム・アクセス・メモリー」――中古GRⅢxを片手に相模原・光と緑の美術館へ|児玉雨子のKANAGAWA探訪#16

「コンパクト・デジタル・ランダム・アクセス・メモリー」――中古GRⅢxを片手に相模原・光と緑の美術館へ|児玉雨子のKANAGAWA探訪#16
「コンパクト・デジタル・ランダム・アクセス・メモリー」――中古GRⅢxを片手に相模原・光と緑の美術館へ|児玉雨子のKANAGAWA探訪#16
TRAVEL 2024.11.25

神奈川県出身の作家・児玉雨子さんによる地元探訪記。今回は相模原市の「光と緑の美術館」へ。同美術館は実業家の鈴木正彦氏が1994年にオープン。木々の緑に囲まれた小さな私設美術館で、モディリアーニ、ペリクレ・ファッツィーニ、ジャコモ・マンズーなどイタリアの20世紀美術を中心に収蔵、展示。児玉さんが訪れたときは、開館30周年記念展「マリーノ・マリーニ版画展」が開催されていました(12月8日まで)。

光と緑の美術館

〒252-0242 神奈川県相模原市中央区横山3-6-18

*JR相模原線「上溝」駅 徒歩8分
*JR横浜線「相模原駅」駅下車6番バス停 相14系統「横山団地」下車3分

(公式サイト)http://www.hm-museum.com

 先日、RICOHのGRⅢxを清水の舞台から飛び降りるおもいで買ってみた。昨今の円安・物価高にさらに品薄も重なって、ゼロがひとつ違うのではないか、と何度もモニターの前で価格の桁を何度も数え直した。おそらく、私のコンパクト・デジタルカメラの相場感覚がだいぶ古かったのもある。数ヶ月唸り続け、もういいかげん「欲しい」と懊悩するのにも飽きたので、クレカ決済に通販サイトで貯めに貯めたポイントも総動員で使い中古通販で購入したのだ。ユーズド品といっても新品同様のそれがやってきて、カメラ初心者の私にはそれでも持て余すほどのハイスペック・コンデジだ。

 そんなGRⅢxを片手に向かったのは、相模原市の上溝にある光と緑の美術館だ。横須賀のカスヤの森現代美術館もさることながら、神奈川県――いや日本には、そして世界には、星の数ほどかけがえのない個人美術館が存在している。まだ行ってもないのに、この美術館を見つけたときはなんだかすでに感極まってしまった。ちなみに、私はかつて横浜線へヴィユーザーではあったのだが、相模原市にはほとんど行ったことがなく、私の知っている「神奈川」がいかに狭い領域だったかとつくづく思い知る。

 世界は狭く、地元は宇宙だ。

 上溝駅は高架駅で、県道508号線方面へは上溝商店街があり、その向こうには以前私が挑戦した丹沢大山をのぞむ街の作りがしている。なんだか前近代から近代初期に描かれた風景画を連想させるなぁとおもって調べてみると、まさに上溝では江戸時代から「上溝夏祭り」が受け継がれているらしい。

 一方で反対側の東口に向かうと、街にはアメーバのように有機的に伸びる歩道橋がかかり、相模原市中部の運動公園である横山公園が見える。

 途中、ベンチに腰掛けて数学のテキストを広げている制服の少年少女を見た。この日は11月にしてはあたたかく、風もすこしだけ潤んでいた。気候変動という文字が頭によぎって手放しに喜べない気温だったけど、少年少女がこうして気持ちよさそうに外でテキストを広げられるなら、こういう場所にだけ、そして冬だけ彼ら彼女らの周りにふんわりと光が集まってくれないかなぁとおもう。そんな都合のいい話はないのだけど。

 公園を脇に星ヶ丘のほうへ徒歩8分ほどゆくと「光と緑の美術館」がある。

 さっそく、まだ使いこなせていないGRⅢxを片手に、昼下がりの美術館を撮ってみる。電源をオンしてシャッターを切るまでがとても早い。そして彩度も直感的に調整できるので、肉眼と自然光で見る美術館と、写真の中だけで見ることができる美術館の表情がそれぞれ違って、え、そんな顔もできるんですか? とシャッターを切る手が止まらない。スマホの鮮やかな画質にすっかり疲れてしまった目に、GRⅢxフィルムカメラのような風合いの写真がやさしい。

 このカメラの最大の個性として、GRⅢx は焦点距離固定の単焦点、つまりスマホや多くのカメラには通常搭載されているズームや広角機能がないのだ。撮影主体は指先ひとつで被写体に迫ることはできず、自分で被写体に近寄ったり遠ざかったりしないとならない。スマホに慣れた私には最初慣れなかったけれど、デジタルでありながら私固有の身体性がある、という喜びもあった。今までカメラそのものへのちょっとした抵抗があったのは、サブジェクトとしての私が肥大化して暴走してしまいそう、という心理的抵抗があったのだ。画像が私の視座を飛び越えてゆかず、立ち入られない視界にはむやみに立ち入らない、というスタンスが、この機種を使いたくなった理由のひとつかもしれない。

 文字通り、光と緑に溢れていていつまでも撮っていたいけれど……美術館に来たなら中に入らなくては!

 入館するとスタッフの方がどこからともなくあらわれて、私が入館料を支払うとまた音もなく奥へ戻ってゆかれた。個人的には放っておかれるほうが気楽なので、ありがたい。

 私がうかがった時は開館三十周年記念展マリーノ・マリーニ版画展が行われていた。20世紀に生まれて20世紀にこの世を去ったイタリアを代表する彫刻家のマリーノ・マリーニは、実は画家(版画家)として出発している……と、寡聞にして存じ上げなかったので資料を引きながら館内で必死に彼の人生を追いかける。抽象的な線の連なりがそれを人間や馬をあらわし、前後の文脈を持つ瞬間が浮かび上がってくる。

 私は彫刻や版画についてほとんど知らないのだが、学生のころ、パリのポンピドゥー・センターに所蔵されていたジャコメッティの作品からいっちょまえに衝撃を受け、変な表現だけど、第二次原体験のようなものとして記憶が私の中に堆積している。カリカリに要素を削ぎ落とされながらも人間存在の尊厳がそこにある。私は、私たちの心身は、こんなにも折れてしまいそうに頼りない存在なのだ。あのすさまじい作品のエネルギーと、それをすぐには受け止めきれない不甲斐なさを、マリーノ・マリーニの版画で想起させられた。

 ミュージアムカフェが休業していたので、入り口にある椅子に勝手に腰掛けて「ご自由にご覧下さい」とあった江成常夫の書籍棚から『レンズに映った昭和』(集英社 2005)を手に取って、ぱらぱらとめくってみる。江成常夫は元新聞社所属だったが、のちに独立。ニューヨークに住む人種的マイノリティのことも撮っていたが、やがて戦争花嫁、孤児、旧満州国、原爆などの近代日本の負の遺産を中心に撮影・取材した写真家だった。

 その中で、看過できない一節があった。ヨシコさんという戦争花嫁についての記述にこうあった。「ヨシコさんと出会った昭和五十(1975)年といえば、日本は高度経済政策のもと、『消費は美徳』といった虚言が流行り、海外旅行の大衆化が進んでいた時代である」。 これはそっくりそのまま、今まさに起こっている話ではないか? 

 この一文は20年前に出たもので、さらに語られているのは50年前の出来事で、ヨシコさんのように、経済的に困窮した女性たちが連合軍の米兵と婚姻して海を渡ったのは、それよりもっと前のことだ。当時の日本では「鬼畜米英」と結婚する女性たちには根深い偏見があり、さらにアメリカでは人種差別にもさらされ、実家も資産も失った彼女たちがこの世界をどんな思いで生きたのか、想像を絶する。きっと今も生きている方もいらっしゃるだろうし、その子供や孫が、母親や祖母の生涯を背負って暮らしているだろう。そしてこういう境遇にいるひとは、人種も国籍も時代も関係なく、どこかにいる。一方で今や男性も女性も関係なく、富を持つものは「消費は美徳」とはばからずに振る舞っている。

 そういった時代と時代の隙間にどこにも帰れない社会的弱者がいた、あるいは、いることを誰かが覚えておかないと、そこにいるのに、ないことにされてしまう。人間の脳はコンピュータのように表現すればランダム・アクセス・メモリ――血が通わなくなれば、そこにあったデータは消えてしまう仕組みで、かなしいほどに記憶は揮発性なのだ。

 しかしテキストや作品という記録は、寿命のある人間よりいくぶんか残存可能性がある。だから書いたり、描いたり、撮ったり、作ったりしたほうがいい。

横山公園にあるさがみはらグリーンプールの一角と、小原式日時計。先端は地球儀になっている。

 江成常夫の写真をしばらく眺めて、帰りに横山公園で写真の練習をして、疲れてぼーっとしながらワンマン運転の相模線で橋本まで行き、そこから少しの間だけ横浜線に乗る。

 かつて横浜線は気の遠くなるほど長い通学電車だったのに、カメラからBluetooth転送された画像をスマホで確認していると、あっというまに目的の駅に着いてしまった。こんな短い時間の中で、私は本を読んだり、寝たり、誰かに恋をしたり、友達になったり、喧嘩までしていたりしていたらしい。

 私はまだ三十歳なのに、自分の幼少期さえほとんど忘れている。信用ならない揮発性メモリの小さな脳みそに、胴体と四肢がぶらさがっている感じで歩いている。幼少期から鍛え上げたすばやい電車乗り換え能力を発揮していたら、駅の外では夜が来ていた。

児玉雨子
作詞家、小説家。

アイドルグループやTVアニメなどに作詞提供。著書に第169回芥川賞候補作『##NAME##』(河出書房新社)、『江戸POP道中膝栗毛』(集英社)等。5/24発売の17人の作家によるリレーエッセイ集『私の身体を生きる』(文藝春秋社)に参加。

Videos

Pick Up