「巨大青磁どんぶりの記憶」 ――川崎・元祖ニュータンタンメン本舗京町店で振り返る極私的ニュータンタン史 | 児玉雨子のKANAGAWA探訪#14
〒210-0848 神奈川県川崎市川崎区京町
*JR南武線「川崎新町」駅 徒歩7分
*JR南武線・京急線「八丁畷」駅 徒歩15分
(公式サイト)https://new-tantan.jp
神奈川県のご当地グルメというと家系ラーメンやサンマーメンなどがあるが、その中で特に強いファンを抱えているのは元祖ニュータンタンメン本舗ではないだろうか。川崎市内を中心としたチェーンの町中華で、一部東京都内にも進出しているので、てっきり全国区の町中華チェーンと勘違いしている神奈川県民も少なくないだろう。(私がそうでした)
今日はその元祖ニュータンタンメン本舗の総本山である、京町店にやってきた。ここ数週間はなかなか締め切りが立て込んでおり、またうまく書けずリテイクの渦に入ってしまっている案件もいくつかあり少し気が滅入っていたので、ここはひとつ、がっつりしたものを食べて元気を出そうと思ったのだ。
京町店はJR南武線の川崎新町から行くと徒歩7分ほど、同じJR南武線、あるいは京急線の八丁畷駅からは歩いて十五分ほどの渡田山王町信号の前にある。
広い店内の窓際には、四人以上が座れる広い卓の上に、円形の蓋がしてある。あれはさまか……!? とちらちら見ていたが、一人客用の厨房前のカウンター席に通され、その卓が見えない位置に来てしまった。わざわざ振り返ってまで他の客が食事をしているテーブルを覗き見るのもよくないので、大人しくカウンターの端っこの席でひとりうち震える。
あれはきっと、伝説の焼肉が食べられるニュータンタンの卓だ。誰から聞いたか忘れたけれど、ニュータンタンの店舗によっては、焼肉が食べられるらしい。町中華というジャンルには収まらない、ニュータンタンというジャンルの奥深さがここにある。ためしにメニューを開くと「焼肉単品」がある。伝説は伝説なんかじゃない、事実だった。
興味をそそられながらも、大人しくランチAセットを注文。焼肉への憧れをトッピングにぶつけることにする。いつも頼むきくらげとニラトッピングに、今回はバターも追加してみる。楽しみに待ちながら不審にならない程度に店内を見回してみると、ニュータンタンのオリジナルグッズのTシャツが飾られている。
初めてニュータンタンに行ったのは小学生の頃だ。好きなものにハマるとワンシーズンほどそればかり食べる母に、いわばニュータンタンの季節がやってきて、何かの帰りに母に連れられたのだ。今でこそニュータンタンにもお子様メニューがあるものの、幼少期の頃の私は子供舌で、辛いものはもちろん炭酸も飲めないほど刺激物が苦手で、当時のニュータンタンでは食べられるものがなかった。母の顔がすっぽり入りそうなほど巨大な青磁のどんぶりと、当時の私の握り拳より大きなレンゲを持って真っ赤な唐辛子が絡んだ麺をすすっている様子を、じっと黙って見上げて母が食べ終わるのを待っていた。数回ほどそういうことがあったものの、さすがに母もまだ小さかった娘を目の前で待たせて食事をするのは気が引けたのか、はたまた飽きてしまったのか、次第に私を連れてニュータンタンに行かなくなった。かすかだけど、確かにピースの揃った記憶であった。
ニュータンタンと出会い直したのは、武蔵新城で一人暮らしをしていた頃のことだ。武蔵新城は当時からなかなかのラーメン激戦区で、家系、牛骨系、町中華が軒を連ねる中、駅近のラーメン一等地に元祖ニュータンタンメンの新城店があり、いつもちょっとした行列を作っていた。
たぶん、コロナ禍の時期だったと思う。普段は家系派だったが、偶然通りがかった新城店が空いていたので、ふと軽いはずみでお店に入ってみた。初見にも優しいメニュー説明に目を通し、おすすめの中辛、ニラ、きくらげトッピングを頼んで待つこと数分、かつては首が痛くなるほど見上げた青磁どんぶりと、その中の黄色い卵と真っ赤な唐辛子が浸された担々麺を見下ろした。辛いものはだいぶ好きにはなったけれど大丈夫だろうか?と不安まじりに一口啜ってみる。ニュータンタンの見た目はかなり派手だが、ただ辛いだけじゃなくて旨みがぎゅっと凝縮されているのだ。ふわふわしたたまごとコリコリしたキクラゲの食感も楽しく、あの当時の鬱屈した雰囲気を吹き飛ばす爽快な味だった。それから実家に帰ったときに、母がひとりで食べていた店舗に寄ったり、都内で見つけたらすぐに入ってみたりと、遅咲きニュータンタンライフが始まったのである。
そして、ついにニュータンタンの総本山と言われる京町店のランチAセットが届く。ラーメン好きの人たちは配膳されることを「着丼」と言うらしいが、ニュータンタンではセットのミニ餃子や白米もお盆にのせられて一度にまとめて配膳されるので「着盆」が正しいかもしれない。麺はスープや具がよく絡み、汁を吸ってもふやけない太麺だ。ニンニクのしっかり効いたスープに、私の定番トッピングのうちのひとつであるニラがいい香りを足してくれる。大好物のキクラゲはどこで頼んでもおいしい。食べているうちに、どんどん汗が噴き出てくる。
ミニ餃子もたっぷり肉ダネが詰まっていて、噛むと肉汁が溢れてくる。セットのおまけにとどまらない強いニンニクでごはんが進む。そして麺を食べ終えたら、大きなレンゲの中に白飯を入れて残りのスープに浸し、小さなおじやを作るのだ。やはり「このあとやらなきゃいけない作業があるのに、こんなに食べたら眠くなっちゃいそうだ……」と一抹の不安を抱えながらラーメン屋で食べる白飯スープおじやがいちばんおいしい。血糖値のジェットコースターが起こらないことを祈りながら、食物繊維としてのピリ辛のザーサイを食べる。口がさっぱりして、麺やごはんがさらに進む。
正直、昔は辛いものが苦手な娘を差し置いてまでニュータンタンが食べたいのか? とほんの少し冷ややかに母のことを見つめていた。今なら断言できるが、そこまでして食べたい味だ。そして何より、自分の輪郭がなくなりそうなほどの汗を大量にかきながら麺を啜る瞬間は、えも言われぬ解放感がある。
母、妻、女……今でさえ、女性は女性であるだけで何か都合のいい型のようなものに押し込められたり、引っぺがされたりする。私が子供の頃の社会なら、その型に身を削がれるような痛みを経験してきたひとたちがいたことは想像にたやすい。もちろん、娘として母に言いたいことなんて今もかつてもたくさんあるし、母だってきっと私に対して何か思うところはあるだろう。だけど今の私は、働く女性として当時の母の肩を持ちたいのだ。せめてニュータンタンを汗だくで頬張っていたあの瞬間の母は、すべてから解放されていたと思いたい。
すべて食べ終えて会計を済ませていると、オリジナルグッズのガチャガチャが二台置かれている。最近はほとんどキャッシュレス決済なので、久しぶりに小銭を握ってガチャガチャを回してみた。美しい黄金のニュータンタンのアクリルキーホールダーが出てきた。ジム用トートバッグにつけようかなぁ、リュックにつけようかなぁ、と思案しながらお店を出た。私が出た瞬間に、「焼肉一人前入りましたー」と店員さんの声が背後の店内を飛び交う。うぅ……一度でもいいからニュータンタン焼肉を見てみたい……。
スマホのメモ帳に並んだ今日のタスクリストを眺めるだけで眠くなってくるけれど、ニュータンタンで蓄えたエナジーでがんばらなくてどうする、と顔を上げて駅の方へ歩き出した。
アイドルグループやTVアニメなどに作詞提供。著書に第169回芥川賞候補作『##NAME##』(河出書房新社)、『江戸POP道中膝栗毛』(集英社)等。5/24発売の17人の作家によるリレーエッセイ集『私の身体を生きる』(文藝春秋社)に参加。