児玉雨子のKANAGAWA探訪#3 「私の日常の外側」―古淵・相模原中央緑地 | 東京でもなく、埼玉でもなく、神奈川 (!!) の魅力、再発見。
神奈川県出身の作家・児玉雨子さんによる地元探訪記。第3回目は、「かながわの美林50選」にも選ばれている相模原の「木もれびの森」へ。ここは、江戸時代に植えられたコナラやクヌギなどが残る雑木林で、かつては、幹は薪や炭に、落ち葉や小枝は肥料や燃料に使われてきたそうですが、時代とともに生活様式が変化、雑木が利用されなくなってからは、人の手が加わることなく生命豊かなワイルドな森となりました。近年になって雑木林の存在が再び注目されるようになり、市が保全管理を開始、「公園」として生まれ変わりました。
相模原中央緑地(木もれびの森)
神奈川県相模原市南区大野台8丁目
*JJR横浜線古淵駅19分
*J小田急線相模大野駅からバスで「大野台入口」下車、徒歩約12分
https://www.welcome.city.yokohama.jp/spot/details.php?bbid=190
通勤・通学で電車やバスなどの公共交通機関を使っている方は、「乗り過ごし」という失敗を一回くらいは経験したことがあるのではないか。寝ていたり、ぼーっとしていたり、スマホや読書や勉強など何かに集中してしまったりして、うっかり目的の駅で降り損ねてしまうことだ。毎日飽きるほど乗っているはずの電車なのに、目が覚めた後も夢の続きを見ているような、落ちつかない一、二駅分の時間。知っているはずなのに知らない車窓の景色……いわば日常の外側にはみ出してしまったような、妙な感覚になる。
私の場合、その日常の外側である乗り過ごし先は、JR横浜線の町田から八王子の間の駅だ。高校まで通った学校への通学路の経由地が町田だったので、古淵、淵野辺、矢部、相模原、橋本あたりは当時の私にとって日常の外側であった。特に隣駅である古淵は何度も行き着いてしまったことがある。しかし、改札を出てすぐに逆方面に戻る電車に乗り込むので、古淵の街をちゃんと歩いたことがない。せっかく神奈川県の街歩き連載なら、私にとっての「日常の外側」であった場所へ行ってみようと、JR横浜線に乗り込んだ。もうこの路線を使わなくなって十年以上経っているのに、町田を過ぎても座席に座っていると、遅刻しているような気分になった。
古淵駅に降りて改札に出ると、かなり広いロータリーが広がる。レンタサイクルを借りて、地元のパン屋さんでパンでも買おうかな……と思ったが、この日は定休日。隣にあったハンバーグチェーン「とろけるハンバーグ 福よし」でお弁当を注文して、どこかいい感じの公園で食べようと探してみると、少し離れたところに相模原中央緑地(通称「木もれびの森」)があるらしい。お弁当を受け取って、自転車を漕ぎ出す。ちなみに全国にチェーン展開している福よしだが、ここ相模原に本店があるそうだ。
少し行くとイオンショッピングセンターとイトーヨーカドーが隣接しており、その間を突っ切るようにひたすらまっすぐ進む。駅前から自転車を漕ぐこと10分程度で緑地にたどり着く。ネットで軽く見たよりも鬱蒼と木々が生えており、15時を過ぎていたのでピクニックというにはなんだか薄暗くかつ肌寒い。しかも午前中に小雨が降っていたからか、森が全体的にしっとり濡れている。自転車を停めてあたりを散策してみるが、あまり舗装されていない獣道しか見つけられない。
ちょっと、本気の緑地すぎないか? もしかしてここではごはん食べちゃいけないのかな? と戸惑いながらも獣道をしばらく進む。ここが北海道なら熊でも出そうな道だ。ハンバーグ弁当持参の人間なんて、肉食獣からしたら餌が餌を持っている状態でのんきに来ちゃったなぁ……と不安になりつつひたすら歩くと、ぱっと開けた広場が眼前に広がった。私の膝くらいまで伸びたススキがさわさわ揺れている。保全された自然とノスタルジックな情景は、まさに日常の外側だ。広場にはベンチやテーブルもあり、飲食も禁止されていなかったのでそこでお弁当を食べた。やや冷めていても、ハンバーグはその名の通りちゃんと口の中でとろけた。
緑地内を散策していると、緑地には万葉集に登場する植物のうち十二種類が生えているらしく、その歌が紹介されている掲示板が点在していた。せっかくだから全部探そうかと思っていると、友人から急ぎのラインが来た。ベンチに座り直してその対応を終える。ブルーライトの画面からふと顔を上げると、うすぼんやりとした夕闇に包まれていた。緑地内はほとんど灯りがない。暗がりの中あの獣道を歩くのはさすがに怖かったので、舗装された緑道を歩き、少し遠回りをして自転車を停めたところに戻った。その頃になると、濃い墨のような暗闇の中に森が頭のてっぺんまで浸かっていた。駅やショッピングセンターのほうへ自転車を漕ぐと、さっきまでの暗さはなんだったのか、空はまだまだ夕暮れの途中で明るかった。
万葉集の時代ではないが、上島鬼貫という松尾芭蕉と同時期に活躍した上方の俳人がいる。彼の歌で好きなのが「闇の夜も又おもしろや水の星」だ。新月の夜、水たまりに映る星を覗き込んでいる歌である。現代の明るい都市部の夜では、そんなにくっきりと水面に星なんか映らないだろう。郊外だってなんだかんだ家々の電気で明るい。あの句は、街灯のない時代のものだと思う。近世の夜がこれだけ暗いのだ、万葉集の時代はもっと黒々としていただろう。緑地内のしんと静かに潤んでいる夜は、かつての夜にほんの少しだけ似ていたんじゃないかな。
私の日常の外側は、場所だけじゃなかった。時代をも越境してきたような気分で、明るい駅のロータリーでレンタサイクルを返却した。