2022年、いまこそ行きたい神社。 【岡山】御祭神は桃太郎のモデル。温羅伝説残る備中国一宮〈吉備津神社〉へ。
日本には日々の喧騒から離れて静かに心を取り戻す場所が守られている。敷地内を心地よい風が抜け、鳥の声が聞こえる神社やお寺だ。昔の人もそっと自分をかえりみたり、大事な人の健康を願った。私たちも時間に余裕ができたら大自然に抱かれた社寺へも、参拝を目的に訪れてみてはどうだろう。緊張した日々を過ごしたこの一年、2022年への希望と共に新たなる一歩を踏み出すために。今回は、岡山〈吉備津神社〉を訪れました。
桃太郎のお伽噺のルーツとなった、大吉備津彦命の温羅(おおきびつひこのみことのうら)退治の伝説神話が伝わる古社。なかでも釡の鳴る音で吉凶を占う鳴釡神事は、その伝説にまつわるものとして今に受け継がれる。
はねた温羅の首からは唸り声がやまず響き渡り、骨にしても、御竃殿(おかまでん)の釡の下に埋めてもやまなかった。困り果てていた大吉備津彦命の夢枕に温羅の霊が現れ、自分の妻に釡を炊かせて占うことを教示する。そのとおりにすると唸り声は収まり、平和が訪れたのだ。神職と共に奉仕するのは、温羅の妻と同郷の阿曽女(あぞめ)たち。釡の上に置かれた湯気の上がる蒸籠(せいろ)に玄米を振り入れると、唸り声のような音が聞こえてくる。その大小や長短で吉凶を判断するものの、神職や阿曽女は何も言葉を添えない。心で音を感じる神事だ。
大吉備津彦命が281歳の長寿をまっとうしたことから延命長寿の神として、また、百済(くだら)の王子とも伝わる温羅を制して吉備国に平和と秩序を築き、殖産を教えたことから産業の守護神として、信仰を集める吉備津神社。拝殿と共に国宝に指定される本殿に目をやれば、ここでしか見られない吉備津造の社殿の堂々たる姿。仁徳天皇が5つの社殿と72の末社を建立したことに始まると伝えられ、たびたび焼失したものの現在の社殿は足利義満(あしかがよしみつ)が再興し、応永32(1425)年に落成した。入母屋(いりもや)の屋根が2つ並び、間を棟でつなぐ姿は荘厳さと建築美を備えたもの。地形に沿って造られた緩やかな坂の長い廻廊に、南北の隋神門。400年以上の時を経て黒く輝く御竃殿。凛とした建築にもまた心洗われる場所だ。
室町時代より伝わる吉凶を占う神事。
鳴釡神事では御祈祷殿でお札を受け、御竃殿へ入って神職を待つ。神職と阿曽女が奉仕する黒い室内は、釡から出る煤によるもの。すでに室町時代には知られており、上田秋成はじめ山陽道を訪ねた多くの文人もこの釡のことを記している。
授与されるお札。