古川日出男、大森克己、開沼博が福島で制作し続ける理由 | ハマカルアートプロジェクト #1「福島芸術講」 SUSTAINABLE 2024.05.02

福島県の12市町村のゆるやかな発展を支援する「ハマカル」。このプロジェクトの最初の試みとして、芸術家が地域に滞在しながら創作活動をする〝アーティスト・イン・レジデンス〟が行われた。Hanako が注目した参加作家は、社会学者・小説家・写真家の3人による「福島芸術講」。ウェブ上で公開されている作品とともに、その活動を紹介します。

INDEX

<ハマカル>とは?

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「ハマ」は福島県の浜通り。正式名称はハマカルアートプロジェクト。2011 年の東日本大震災を発端とする福島第一原子力発電所の事故によって、住民が避難を余儀なくされた12の市町村(田村市、南相馬市、川俣町、広野町、楢葉町、富岡町、川内町、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村、飯館村)。この地域に「アーティスト・イン・レジデンス」の場を設け、助成金などの支援を行なっている。アーティスト・イン・レジデンスとは、芸術家たちが、ある場所に一定期間滞在しながら創作活動をすること。映画を撮る、立体作品をつくる、パフォーマンスをする......といった創作活動を通じて、地域住民や企業との交流が生まれ、地域の活性化にもつながることが期待される。

令和5年度の第一回ハマカルでは、国内外からクリエイターが集まって、地域とともに作品を創作。タル・ベーラと小田香らによる映画や、三塚新司の現代アートのほか、パフォーマンス、建築、演劇など、さまざまな分野の作品が生まれ、2024 年2~3月に公開・展示された。写真:令和5年度ハマカル採択事業「まいにちの舞台 - 家劇場からみえた風景 -」(製作:緒方彩乃 撮影:奥村健介)
令和5年度の第一回ハマカルでは、国内外からクリエイターが集まって、地域とともに作品を創作。タル・ベーラと小田香らによる映画や、三塚新司の現代アートのほか、パフォーマンス、建築、演劇など、さまざまな分野の作品が生まれ、2024 年2~3月に公開・展示された。写真:令和5年度ハマカル採択事業「まいにちの舞台 - 家劇場からみえた風景 -」(製作:緒方彩乃 撮影:奥村健介)

1.ハマカルアートプロジェクトの一つ、<福島芸術講>の3人と話す。

<福島芸術講>とは?
社会学者の開沼博・小説家の古川日出男・写真家の大森克己の3人によるプロジェクト。経産省の「令和5 年度予算 芸術家の中期滞在制作支援事業」の助成を受け、2024年月より福島県の相双地方12 市町村で滞在制作。開沼によるフィールドレコーディング、古川による文章、大森の写真からなる作品を、公式サイトで公開中。3.11 からの復興プロセスを残すというテーマのもとに定期的に集まり、日常性・持続性の上に成り立つ創造をする、ゆるやかな集団だ。

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開沼博
開沼博
僕たち3人はもともと、それぞれの目的で震災後の福島に足を運び、活動したり作品を作ったりしていたんです。そのうえで2021 年に、ひとつの作品を作りました。
大森克巳
大森克己
開沼さんが、福島第一原子力発電所構内でフィールドレコーディング、つまり音声によるドキュメンタリーを収録した。そこに古川さんの文章と、僕の写真を添えて発表したのが『選別と解釈と饒舌さの共生』。
開沼博
開沼博
今回の「福島芸術講」の作品は、いわばその続編。音に写真やテキストをのせるというコラボレーションではなく、それぞれが福島第一原子力発電所の外側にある地域を対象とした、単独の作品です。
大森克巳
大森克己
で、作品を発表する時に「開沼古川大森」じゃアレだから、バンド名みたいなものをつけなくちゃね、と。オアシスとかブラーみたいな。
古川秀雄
古川日出男
そしたら、開沼さんが「講」はどうですか?って。
開沼博
開沼博
福島の話に限らないんだけど、まず、昔から復興のきっかけとして行われてきたのが「祭(まつり)」なんですね。オリンピックしかり万博しかり。既存の秩序をぶっ壊して、新しいものを作りましょうよ、と。 でも祭りっていうのは一発逆転劇みたいなもの。もっと日常性や持続性をもったオルタナティブな枠組みはないのかな、と歴史を振り返った時に、「講」という概念があることに気づきました。 「講」は、なんらかの目的や前提のもとに、特定のメンバーがたまに集まって話し合うような仕組みです。そこに飲み会のような娯楽も生まれるし、相互扶助のような機能も持ち始める。この「講」に、500 年、1000 年という長いスケールで残っていくメディアである「芸術」をあわせて「芸術講」。
古川秀雄
古川日出男
僕はそのアイディアを聞いて、これはうまくいくなと思いましたよ。
開沼博
開沼博
実際に動き始めたのは1月の頭。12の市町村を俯瞰しておこう、と車であちこちを回りました。僕ら3人とプロデューサーの森さんとで、わりと行き当たりばったりでしたね。
大森克巳
大森克己
正月だったので楢葉町のどんど焼きや、浪江町の太鼓の練習を見て、1週間ほどいっしょに行動して......
古川秀雄
古川日出男
その後は、3人それぞれが単独で制作を始めたという感じです。

2.写真家・大森克己の「SIGHT/SEEING On the Pacific Coast of Fukushima」
「まなざしの公共性ということを、意識して撮っていたような気がします」


「SIGHT/SEEING On the Pacific Coast of Fukushima」
2024年1月から2月にかけて、福島の12 の市町村をめぐり、撮影した作品群。大森いわく「『誰が見ても絶対そう撮るべきという感じでそこにあるので、誰が撮ったかすら重要でなくなってしまう写真』を撮ることに挑戦している」。

開沼博
開沼博
大森さんのステイトメントにある「誰が撮ったかすら重要でなくなってしまう写真」。とてもいいですね。
大森克巳
大森克己
それは普段から考えていることでもあって、〝大森が見た福島〟みたいにならない方がいいと思うんです。かといってかつての報道写真における「客観」のようなことでもなく「ただ人やモノがそこにある」という写真になっていると良いのですが。
開沼博
開沼博
海の写真が本当にきれいで、そういわれなきゃ福島の海だと気づかない。でもよく見ると火力発電所が写っていたりして。こんなにもいろいろな見方や捉え方ができる写真を、久しく見ていなかったな、と感じました。
大森克巳
大森克己
写真のいいところはフレームのなかに、意図せざるものも写ること。ここが大事で、こっちが大事じゃないみたいに分けられない。混然一体としているものを丸ごとつかまえられるんです。僕も、大事なことだけを見よう、とは思っていないですし。
開沼博
開沼博
大森さんが福島で撮り始めたのは、震災の直後の4月からでしたね。
大森克巳
大森克己
まだ友達も知り合いも福島にはいなかったのですが、2011年に生きていて写真というものをやっているのなら、福島の浜通りは、いま見ておくべき場所なんじゃないか、という想いで行きました。 その後、2014年に太平洋沿岸を走る国道6号が通過だけはOKになり、2015年にレンタカーを借りて帰還困難区域を通りました。人のいない道や、かつては家や店だったものが、修理もできないままそこにあるという景色を目にして、衝撃を受けて。すぐ写真に撮りたいという感じには全然ならず、どこを見ていいか分からなかった。 2016年にも、「Don't Follow the Window」という美術展の取材で帰還困難区域に行きましたが、「いつ見れるかわからない」という展覧会のコンセプト通り、まだ住人の方々は戻れてないわけです。 で、前作の『選別と解釈と饒舌さの共生』に声をかけてもらったのが2019年。今回は帰還困難区域もほぼ解除になった「普通」の町の姿を見るには、いい機会だなと思って参加したんです。
古川秀雄
古川日出男
いま大森さんが言ったカッコつきの「普通」ですが、町での取材中に面白い話が出ましたよね。いつまでもカッコがあると思って生きてる人たちと、カッコがないと思って生きてる人たちがいて、それはもとからいた人か、新しく来た人かの違いなんだ、と。
大森克巳
大森克己
ありましたね、「普通」と普通。僕はさっき「普通」と言ったけど、当時「ひょっとしたらカッコが付いてない普通もあるのではないか」と、頭のどこかで感じていたように思います。
古川秀雄
古川日出男
必要なのは、新しく来た人たちが、以前からいる人たちの過去につながっているカッコを 外してあげて、逆に、昔からいる人たちは新しく来た人たちに、「あたりまえに暮らしているものにも違う見方があるよ」と、カッコを与えてあげること。僕らみたいに、突然現れてまた去ってくような人間は、両者が混じるための触媒になればいいのかなと、そんなふうに感じました。
大森克巳
大森克己
普通とか日常っていう話でいうと、2015年に双葉町のコンビニエンスストアを撮影したんです。誰もいない。自分の知っている日常がとんでもないことになっている。 その後、2019年に同じ場所を撮影したのですが、快晴だったせいか、「形のあるものは必ず壊れるんだな」というある種の究極の納得感がありました。で、すごく強く思ったんです。コンビニは、レストランのようなものでも、家からの逃避の場でも、郵便局のようなものでもある。そういう多くの人にとってなくてはならない公(おおやけ)感の強い場所はしっかり見ておいたほうがいい、って。 この体験が自分にとっては結構大きくて、今回は、まなざしの公共性というか、見るということを本当の意味で誰かと共有できるのかということを、意識して撮っていたような気がします。
2024 年1 月の滞在中に撮影した写真のファイルを見る。海の写真は南相馬市で撮ったもの。
2024 年1 月の滞在中に撮影した写真のファイルを見る。海の写真は南相馬市で撮ったもの。

3.作家・古川日出男の「作文(一)から(三)」
「言葉には、まだ名前のない想いに自分で命名する役割があるんです」

福島滞在中のフィールドワークをもとに創作された、古川のテキスト。古川が見て聞いて考えたことは、「俺」の物語でも「私」の人生でもなく、何者にも分類されない話として記された。「そこにたどり着くまでに小説1 本分くらいの追い込みが要りました」と古川。

古川秀雄
古川日出男
1月にみんなで車に乗ってあちこち行った時の話なんですけど、僕、自分がつまずいたように感じた場所で、「ここ、ちょっと見てみませんか」って止めてもらっていたんです。 というのも、車の速度は僕からするとものすごく速い。シューティングゲームみたいに目的地があって敵がいて、次々撃っていかなくちゃいけない。でもふだん歩いてる時は、つまずいたり触ったり要らないものも拾ったりして、それが意外と大事だったりするんですよね。だから、車に乗りながら、ちゃんとつまずけるかどうかが自分の役割だと思ってました。
大森克巳
大森克己
楢葉町のどんど焼きがそうでしたね。田んぼの真ん中に茅の小屋が出来ていて、開沼さんが「あれ、鳥小屋って言うんですよ」って。いわきや楢葉町では行事としてそう呼ぶんだよって。へーって通過しかけたけど......
古川秀雄
古川日出男
言葉の人間としては、通過するわけにいかなかった。開沼さんが突然「鳥小屋」って言った、もうそこに引っかかるわけです。「あれはどんど焼きです」って言われたら、止まらなかったかもしれない。言葉が違うということは、内容が同じでも、その地域の人たちにとっては全然別ものなんです。普遍的なものと局所的なものが交わるクロスロードに、僕たちは偶然ぶつかってつまずけた。
開沼博
開沼博
村役場に電話していつ焼くのかを聞いたら、まさにその日の夜だ、と。それで僕たちも一緒に見せてもらいました。地元の方がビールや焼いた餅やスルメを持ってきてくれて、いろんな話をして。あの鳥小屋こそ、今思うと「講」でした。
大森克巳
大森克己
その後、古川さんはどのタイミングで文章を書いていたんですか。
古川秀雄
古川日出男
福島にいる間もずっとメモをとって言葉をストックしてはいたんですけど、カメラやレコーダーに比べて、一つのことを記録するのに数分かかっちゃうわけです。しかも、誰がどんな形で読んでもいいフラットな文章として、自分の文体を練り上げていくためには、発酵の時間が必要。 発酵というのはつまり、脳のどこかが無意識のうちに、福島に居続けるっていうことです。脳の一部分を、最初に訪れた時間と空間にコネクトさせたまま、東京に戻って別の仕事をし続ける。そういう発酵期間を経た後で、いざ芸術講の文章を書く方へシフトすると、自分の現在地とは関係なしに、あの場所とあの時間のことを書けるんです。
開沼博
開沼博
ところで、僕らはそもそも、古川さんが2013 年に福島で始めた言葉の学校「ただようまなびや 文学の学校」で知り合ったんですよね。大森さんや僕は講師として呼んでもらって。
大森克巳
大森克己
講師には川上弘美さんや吉増剛造さん、スチャダラパーのSHINCOさんもいて、とても豪華でしたね。2015年には村上春樹さんもいましたし。
古川秀雄
古川日出男
福島のことに関わりたいと思っている人の動機になれば、と思ったのがきっかけです。福島に縁がないと何をどう手伝ったらいいのかわからない、ボランティアという形ではうまく関われない、意識高い感じになるのがちょっと、と思っている人でも、好きな作家やミュージシャンに会えるという理由があれば、来れるでしょう。 福島で泊まってご飯を食べてお金を落として地元の人と話して、気づいたらちょっと役にたっていたかも、みたいな。ハードルを下げて下げて地面と同じ高さまで下げきろうと思った。
大森克巳
大森克己
福島のことや文学の話以外にもいろんな話をして、本当に気の良い場所でした。あれもひとつの「講」でしたね。
古川秀雄
古川日出男
学校を始めたのにはもう一つ理由があって。被災者と呼ばれる人たちが、生まれて初めての体験をせざるを得なかった人たちが、繰り返される報道のせいで、ステレオタイプな言葉しか言えなくなり始めていたことに、危機感を感じたんです。 本当はあふれるほどの感情が自分の中にあるはずなのに、それに言葉を与えることができないでいる。言葉ってそういうもんじゃない、まだ命名されてないものに自分で命名できる役割もあるんだぜっていうことを伝える場をつくりたかったんですね。
古川が文芸誌『群像』で始めたルポルタージュの連作「あるこうまたあおう」。2024年4月号に掲載された「キカイダー、石巻、鳥島、福島」は、その初回。
古川が文芸誌『群像』で始めたルポルタージュの連作「あるこうまたあおう」。2024年4月号に掲載された「キカイダー、石巻、鳥島、福島」は、その初回。

4.社会学者・開沼博の「まつりのあと」
「音は嘘をつけない。全てを記録してしまうし、それが許されるメディアなん です」

2024 年1 月に、福島の12 の市町村でフィールドレコーディングされた作品。食堂の調理場、工場の機械音、誰かの会話、鳥小屋(どんど焼き)の茅が燃える音、今年も川に飛来してきた白鳥の鳴き声。フィールドレコーディングは、サウンドスケープや環境音楽に象徴される音楽ジャンルであると同時に、人類学や民族音楽学などで研究手法として広く行われてきたものだ。

開沼博
開沼博
フィールドレコーディングに関しては、そこにある雑音も日常の音もすべてフラットに収録しています。僕は福島のローカルラジオで番組をもっているのですが、音はすべてを記録してしまうし、それが許されるメディアだから。 映像だと、余計なものは排除しようというふうに判断されがちですが、それがラジオだと、後ろで騒いでいる人がいてもOK。ラーメン屋さんの音だけを伝えることもコンテンツになり得るんです。
大森克巳
大森克己
実はそれが日常なんだというところに、引き戻されますよね。
開沼博
開沼博
私たちは普段、きれいに加工された音や、メディアを通した音に慣れてしまっているじゃないですか。映像も同じです。音を付けてテロップをのせて、その隙間をYouTuber の喋りが埋めていく。いらないところを消して、インパクトがある部分だけ切り取って単純化する。 それでみんな理解したつもりになってしまっている。合理的なのかもしれないけれど、いや待てよと。そこでは明らかに、いろんなものがそぎ落とされている。
大森克巳
大森克己
僕はよくフレーミングのことを聞かれるんです。「写真を撮る時、どういうふうに切り取っているのか」って。フレームというのは、機械で撮った結果そう見えているだけで、僕自身はフレームでものを見てるなんて感覚は絶対にないんです。ふわーっと全体が目に入っている中で、自分の見たいものにピントを合わせるというか。でも、人はフレームというものがあると思ってしまうのかな。
開沼博
開沼博
わかります。とにかくいったん全部バラして、現状を捉え直し、気付かないうちに切り落とされている複雑さや、周辺にこぼれたものを取り戻すことがしたかった。それはつまり、福島の問題や記憶を、物語にどう残し、多くの人が参照するものにしていくのかということに繋がります。
大森克巳
大森克己
その足がかりが「講」なんですよね。
古川秀雄
古川日出男
「講」のよさって、ひとつの境界線ではあるんだけど、それは地面に竹の棒で引いたぐらいの、簡単にまたげちゃう線だということ。誰でも中へ入ってこれるし、関わって見て触って持って帰れる。そういうゆるさがあることなんだろうな、と思います。
福島に滞在中のひとこま。
福島に滞在中のひとこま。

5.「"講"って打ち上げなんですよね。とりあえず集まろうぜ、と」

開沼博
開沼博
いったん制作を終えて、みなさん何が印象に残っていますか。
大森克巳
大森克己
まず浜通りでアーティスト・イン・レジデンスをやりましょうということ自体が面白いと思いました。「日常」が戻りつつある中で、それでも福島第一原子力発電所のあった富岡町や双葉町、大熊町は、本当についこの間まで人が住んでいなかったわけですよね。 もちろん「町に来てください」っていうこともできなかった。そういう場所で、アーティスト・イン・レジデンスのようなことが始まっているのは、とてもいいな、と。あと、皆さんめっちゃ懐が深かった。外から来る人に対して優しいし、別にシリアスな話だけじゃなく、たくさん語ってくれるし。
古川秀雄
古川日出男
僕が印象的だったのは、白鳥のギャーギャーうるさい声。開沼さんの作品でも聴けるけど、浪江町の請戸川に白鳥が来ていて、ずっと騒いでずっと喋っているんです。「何、録音してんの?なんで写真撮ってるの? 私ら震災とか関係なく、毎年ここに来ているんで」みたいな。 白鳥たちの井戸端会議を聞いたときに、自分たちの尺度でものを見すぎていたかもな、と思いました。震災後の福島だから、とかじゃなくて、この場所でもともと繰り返されてきたことから、どういうメッセージを受け取ったらいいのかって。
開沼博
開沼博
井戸端会議じゃないけど、「講」って打ち上げなんですよね。打ち上げは言い過ぎか。読書会みたいなシステムで、とりあえず集まろうぜ、と。課題図書を読んできたという建前はありつつ、ずっと雑談が続いてもいい。現代社会では「目的は?」と問われ続けるけれど、「福島芸術講」は、目的よりもこの場を続けていくことが大事だと考えています。
古川秀雄
古川日出男
「福島芸術講」の作品が、つまり、写真を見たり音を聞いたり文章を読んだりすることが、誰かにとっての、福島と関わる小さな場所になれたらいいな、そう思います。
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text_Masae Wako photo_Hikari Koki & Fukushima Association for the Arts

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