「母親はたったひとつの色じゃない。それぞれのグラデーションを描きたい」
#11 長嶋りかこさん (グラフィックデザイナー)
グラフィックデザイナーの長嶋りかこさんが初のエッセイ集『色と形のずっと手前で』(村畑出版)を上梓した。デザインの世界に身を置き、第一線で活躍を続けてきた。38歳で妊娠、出産を経験。子どもを産み、育てるということは「スンとした顔」をしたデザインを作り上げることとはまったく異なる混沌とした「のっぴきならない」出来事の連続で、長嶋さんはその瞬間、瞬間の感動、疑問、不安、焦り、とまどい……またはそれ以外の言葉にならない感情も含め携帯電話のメモに書きとめ蓄積させていった。本著は、その6年にも及ぶメモの言葉をまとめ直したものだ。現代をひた走るひとりの女性の心の内は、私たちの奥底にある“なにか”とも共鳴することがきっとあるはずだ。
『色と形のずっと手前で』のあとがきで長嶋さんはこう書いている。
“個人を描くと少なからず今の社会が見えてくる。ではグラフィックデザイナーを生業にした母親を描くと何が見えてくるだろう。自分のためにも、そしてもしかしたら私と同じようなままならなさを抱えている誰かのためにも、という気持ちで書き進めていきました。(「色と形のずっと手前で」より)”
妊娠中にかけられた何気ない言葉、出産とその後に訪れる生々しい痛み、そしてはじまる熾烈な子育ての繰り返しの日々と否応なく変わる仕事や社会との距離感。たぶん、多くの母親たちはこの本のページをめくるたびに、自分ごととして重なる感情がいくつもあり、日々の中で忘却してしまったたくさんの思い出が蘇ってくることだろう。
「想像していた以上に、さまざまな方からそういった反響をいただいています。女性から届く声は、やはり同じように違和感やモヤモヤを抱えていたけれど、それを言葉にしてくれてありがとうというような共感の声が多いです。一方で、男性からも内省する声や切実な反応を多くいただいていて。印象に残っているのは、シングルマザーに育てられたという方がこの本を読んでやっと自分の母親の気持ちがわかった、と伝えてくれたこと。母親に対してゆるせないことが多かったけれど、自分を育てるために彼女が奪われてきたものは何か、苦しめていたものは何かとやっと理解して、母親のことを別の目線で考えられるようになったと話してくれました。この本は、もともと自分のためにと書いていたものですが、今の社会に暮らす多くの人たちの心に寄り添ったり、見えなかった感情や想いの輪郭を浮き彫りにして言葉にすることに役立つのなら、こうして形にすることができて本当によかったなと思っています」
子育てや育児に関する読み物やエッセイはいくつもあり、小説家やエッセイストが手掛けるそれとどう差別化できるのか、ということもとても意識したと言う。色や形を生み出す、グラフィックデザイナーという仕事。本を書く上でも、視覚的な表現や言葉選びを重視し、出産の場面の息遣いを字間と行間でみせたり、ワンオペで作業する授乳、オムツ替え、寝かしつけの淡々とした繰り返しを見開きの中でエンドレスに続く文字の羅列で描き、その圧迫感を表現したりと、視覚的な言葉遣いや言葉だけでないタイポグラフィによるビジュアルコミュニケーションでぐいぐいと読者を引っ張っていく。
「最初は自分がつらくて大変だったから、それをとにかく吐き出したいという思いばかりだったんです。世の父親という存在への怒りだとか、ジェンダー不平等が当たり前の社会への不満だとか。でも、それだけだと、ただ排泄物をやみくもに投げているようなものだと気づいた。そしてここには大切な気づきもあるのに、それではなにも伝わらないのではないかと思い至ったんです。もちろん、私にとって感情のままに吐き出す行為が必要な時だってあるけれど、外に向けて本という形にするならば、読んだときの読後感に“絵”を見たなと思えるようなものを残したかったんです。きっかけは、敬愛する坂本龍一さんの晩年の活動を見たり聴いたりしたこと。闘病生活を続けながらの表現活動には、当然、痛みや苦しみがあったと思います。でも、坂本さんはそんな負の感情も状況もひとつの人生における彩りかのように掬い上げて“音”に変えていっている。最後まで表現しづつける者はこんな風に生きるんだと世の中の表現者に対して背中を見せられたようでした。勝手ながらの解釈ですが、私は、であるならば感情を言葉にして発散するのではなく、表現としてどうあるべきか、グラフィック的にはどうすればより伝わるか、どういう言葉で描けば絵のように届くだろうか、そんなことを改めて考え直すべきだと思って。それで、まるまるもう一冊できるくらいの量を削ぎ落とし、整理をして、重きをおくべきところがどこなのか、重きを置かなくとも残すべきところがどこなのか、そんな作業を1年以上かけてやりました。デザインの仕事と並行しながら、筆力のなさも相まって時間がかかりましたが、一冊の本にするための推敲を経てやっと少しは“表現”と呼べるものになったのではないかな、と感じています」
母親たちの抱える窮屈さを、視覚的な言葉で表現しているのも印象的だ。
“母親、という言葉に、色味のバリエーションがない。(中略)急に充てがわれた単色に染められそうになるのは、まるで檻に閉じ込められたかのように窮屈だった。(「色と形のずっと手前で」より)”
世間にある〈母親らしさ〉という概念を一つの“色”に例えることで解像度がグッと深まるのが面白い。さらに長嶋さんはその色のあり方についても「それぞれのグラデーション」があっていい、とグラフィックデザイナーらしい見地を以って、私たちの想像力を掻き立て、それぞれの持つ複雑さを整理してくれる。
「子どもを持っている、持っていないにかかわらず、子どもがいる社会に理解を深めるさまざまな手段やまざなしがたくさんあればいいのではないかと思うんです。私も当事者になってはじめて気づくことがたくさんあった。会社に所属し、2日も3日も寝ずに朝まで徹夜して働くような、そんな男性的社会にコミットして生きていたときには、子育てをしている人なんて、乱暴に言えばあの人は自分のキャリアを自ら好んで捨てているんだとさえ思っていました。でも、自分が子どもを持ってはじめて、そうではないんだと気づくんです。本当は働きたかったのに、社会の仕組みや、新たに与えられた役割により、自分の意思とは別の問題でそうできなかったのかもしれない。その人の立場にならないと分からないことがこんなにあるのかと愕然としました。だから本を書くとき、子育てをしている人の中でもいろんな立場の人がいて、いろんなパターンがあることを出来るだけ想像しました。でもそれでも到底全部は想像できない。たとえば障がい。障がいのあるお子さんを持つ母親について、または母親自身が障がいを持つとき、苦労はどんなことか、悩みは何なのか、それは想像ではとても補えるものではないですよね。ひとりの人の想像ではしきれないほどグラデーションの幅は広く、複雑です。ひとつの色じゃない、そんな複雑なものの、総称なんだということだけでも理解ができれば、ただひとつの単色に押し込めようとする痛みについては共有できるのではないかなと思います」
この本の執筆をしながら、“子どもアレルギー”になっている社会のあり方や、デザイン業界での女性の継続的なキャリア形成の困難さなどさまざまな難題についても考えていた長嶋さん。
「もともと子どもきらいだったのにな私、と自分でも思います(笑)。でも、それも姉や兄の出産があって、子どもたちと触れる機会が増えることで意識が変わっていったんです。どんな形でもいいと思うんですが、“子どもが育つ社会”が身近にあれば、社会は少し柔らかくなるんじゃないかと思います。執筆や展示など、この本にかかわることをしている時、私はすごく自分が作りたいものを作っている、という実感を持って作業ができたんですよね。それは、外側に向けたいい面だけの自分じゃなく、子育てをしているのっぴきならない自分も抱えながら、かっこ悪いところも弱いところも含めて形にすることができたからだと思います。素直に自分を生きているな、という感じがしました。仕事をしながら必死で親業もやっていて、情報として触れるものが、キラキラとした素敵な要素だけ、なんてプレッシャーが半端ないじゃないですか。現実は、できないことはできないし、仕事をしていく上でままならないこともたくさんある。でも、そうしたものを、見えないもの、ないことにしておくのではなく、あるものだという前提にすることで、仕組みとして変えていくべき事が浮き彫りになっていくと思うし、社会が変化するまでの間のそれぞれのままならなさをみんなも受け入れることができる。そんな柔らかさや余白が人にとっても社会にとってもいいのではないか、そう思っています」
7/19から8/2まで本の内容をもとに構成されたインスタレーション「長嶋りかこ / 色と形のずっと手前で」も東京・恵比寿〈POST〉で開催される。ぜひ、本書を手に、訪れてみては。自分を含めた、グラデーションの広がりについて考えるきっかけになるかもしれない。
住所:東京都渋谷区恵比寿南2-10-3
TEL:03-3713-8670
営業時間:11:00 - 19:00
定休日:月曜日photo:Tomoya Uehara text & edit:Kana Umehara