「いい子育てとは何かなんて、社会のあり方次第で変わってしまう」#04 山野アンダーソン陽子さん (ガラス作家) 後編
現在、スウェーデンに暮らすガラス作家の山野アンダーソン陽子さん。6月25日にババグーリ清澄本店で終了した郡司製陶所との企画展の開催のほか、秋にスタートする自身発案のプロジェクト「Glass Tableware in Still Life」巡回展の準備のために現在来日中だ。今回の帰国には、夏休みを利用して8歳の息子さんも同行しているそう。山野さんが日本各地を飛び回る間、息子さんは日本の小学校に一次転入(体験学習)をしているのだとか。その話を伺うとともに、山野さんの現在の子育てへの考え方について話を聞いた。
「息子は日本の学校生活をとても楽しんでいます。給食がとにかく楽しみみたいで。明日はしゅうまいが出るんだってとか、とうれしそうに報告してくれます。体験学習に参加するのは、今回がはじめてです。最初は、わたしのほうがドキドキしてしまって。息子は、髪の毛が長く、ハムが好きだからハムのピンク色が大好き。それって、日本ではちょっと変わっている子だなと受け止められてしまいそうで、クラスで浮いてしまわないかな、と心配していました。でも、そんなのはまったくの杞憂だったんです。息子は最初の授業で、もちろん勉強もまったく進み方が違うから内容も理解してないのに、率先して手をあげたり、給食の時間は余った牛乳を誰が飲むかの“おかわりじゃんけん”にも参加したりしたそうです。転入1日目ですよ? 1日目にいきなり“おかわりじゃんけん”に参加するって、私なら、ちょっとできないなって思いました(笑)」
日本の学校にすんなりと馴染み楽しむことができるのは、前編でも大切だと語った「心の健康」が育っているからなのではないか、と山野さんは考える。
「私ならできない、と思ったのは、日本育ちの私は“転入初日からじゃんけんに参加するなんて、図々しいと思われたらどうしよう”といういらぬ配慮をして、気を揉んでしまうからだと思うんです。人の目を気にしてしまうから、萎縮してどうしても消極的な発想になってしまう。でも、息子はそういう環境で育ってないので、いい意味で周りの目を気にしないんです。よくよく考えると、スウェーデンの子たちって、みんなそういう感じ。周りがやっているからやるとか、まわりがやらないからしないとかそういうことは関係なくて、自分がどうしたいか、やってみたいか、やってみたくないかで動く。そういう思考は、やっぱり、とても健康的だなと思います」
その一方で「だからといって、世界の中心を子どもにしたいわけではないです」とも話す。
「息子ともよく世界の中心は何かという話をします。まず、自分がどうしたいかと考えることは、親にとっても、子どもにとっても大事なことですが、それは同時に独りよがりな考えになってはいけないと思うんです。ひとりっ子ですし、彼中心になんでもしたいようにしていいとしてしまったら、とてもわがままな自分勝手な子どもにみえてしまうかもしれない。それは、私はしたくない。だから、世界の中心はあなたではないとまず、話すんです。家族の中のことだったら、お父さん、お母さんが中心になることがあるかもしれないし、それ以外の場所では、他の人の場合もある。世界の中心はいたるところにあって、世の中には、いろんな人がいる。それを知ってほしいなと思います。私も幼い頃、多くの大人たちに囲まれて育ち“大人”という枠の幅広さを知った。息子にも、いろんな人とコミュニケーションをとって、いろんな価値観、考え方があることや、自分と違う人たちのことを認められる、奥行きを手に入れてほしいなと思っています」
今回のインタビューで感じたが、こうやって山野さんは息子さんとしっかり話をしている。「宿題をやりたくない」と言われたときには、どうしてやりたくないのか、そもそも、この宿題をやる意味があるのか、将来のために必要なのかについてとことん話し合ったと言う。二人でだした結論を担任の先生にメールで伝え、結果、宿題は免除になったそうだ。山野さんは「私は子育てなんかしていない」とはっきりと言い切るが、日本とは違う環境で育まれた、山野さんと息子さんの関係には、さまざまな学ぶべきことがあると思う。
「環境が違うから言えることはたしかにあるかもしれません。でも、それは私自身も受け取ったに過ぎない立場だしな、とも思うんです。スウェーデンはサスティナビリティの意識が高く、ゴミの分別リサイクルもしっかりしています。私ももちろん、それにならってリサイクルをしていて自分は意識があるし、貢献もしていると思っていました。でも、先日とある国を訪れたときに、車窓から小さな村の入り口に煙が上がっているゴミ山があるのを見かけたんです。そのときに、私はこの村に暮らしていたら、どのゴミも分別することなく、ここでゴミを出して、何も考えずに燃やしているかもしれない、と思いました。サステナブルな意識を持っていると思っていた自分は、社会にそうさせてもらっているだけで、実は、私自身は何もできていないんじゃないか。それに気づいたときに、とても恥ずかしい気持ちになりました。子育てもまた同じなんじゃないかなと思います。スウェーデンの社会が親だけにすべてを負わせない社会だから、いい子育てができているような、いいようなことが言えるような気がしているだけで、私自身はやはりなにもしてないんだと思うんです。だから、逆に言えば、日本で子育てをしている方で、全部自分に負担がかかっている、いい子育てができていない、と思ってしまうのは、その人が悪いわけでも、育児ができていないわけでもない。負担や責任の分散ができていない、社会のあり方に問題があるのではないか、と思います」
スウェーデンと日本。子育ての環境は違えど、親たちが抱える負荷や不安は共通するもの。問題は、社会がそれをどう受け止め、理解し、解決する手段を持っているのかどうか、なのかもしれない。最後に、山野さんに、今子どもと向き合うときに大切にしていることについて聞いてみた。
「いろいろ余計なことまで言ってしまいましたが…子育てってやはり、向いているとか向いてないとかの話じゃないのかもしれない、と最近より思っています。乳児だったら、話もできないし、この子が生きるか死ぬかは自分の手にかかっているというプレッシャーもあると思います。でも、子どもがだんだんと育ってきて話ができるようになると、これは、いち人間同士の関係性でしかないのだと気づいた。だとしたら、コントロールフリークになってはいけないし、友達関係のように相手のことも尊重できないといけない。そう考えると、友達同士で『あなたと友達でいるのは、向いてないかもしれない』なんていちいち悩まないよな、と思ったんです。だって、もう友達じゃん?って。友達付き合いのような、配慮と敬意を持って、一方で、囲い込みすぎずに気を楽に、息子との関係に向き合えたらいいなと思います。とはいえ、こっちは大人ですから、助けてあげるところは助けたいし、いちばんの理解者でいたいなとは思っていますが」