「私は普通のお母さんじゃない。その言葉に心底納得できた」♯02鳥飼茜さん (漫画家) 後編

MAMA 2023.02.13

第二回のゲストは鳥飼茜さん。読者の内面を抉るリアルで鋭い作品を次々と手がける漫画家だ。京都市立芸術大学在学中に雑誌の漫画賞を受賞し、23才で『別冊少女フレンドDX Juliet』でデビュー。その後、少女漫画誌から青年誌に転向し、27歳で結婚、長男を出産する。息子が2歳のときに離婚。いわゆるシングルマザーの子育てと漫画家としての活動に奔走してきた。子どもは、2歳から10歳まで平日を鳥飼さんと、週末を父親と共にし、ここ4年ほどは平日を父親と、週末を鳥飼さんと過ごす。悩みながら、その時々での最善を模索してきた鳥飼さん。今は、再婚と2度目の離婚を経て、「これまでで一番穏やかな時間」という。紆余曲折の子育てを、振り返って聞いた。

鳥飼さんが長男を出産したのは27歳のとき。目標としていた青年漫画誌で、連載に向けての話し合いが始まろうとしていた、その矢先の妊娠だった。ゆえに、母になる、という未来を目の前にして「これからまだまだ、やりたいことがたくさんあるのに、という焦りや不安のほうが強かった」という。しかも、妊娠がわかってすぐに切迫流産で絶対安静を医者から告げられ、そのまま切迫早産に移行。「ほぼ寝たきり」の妊娠生活を経験した。

「最初から最後まで家を出られず、身動きがとれなくなって、出産時の呼吸法の講習すら受けてない。体を起こすのもダメなうえに、厚めの雑誌を持つことすら体に負担がかかると禁止されたんです。それで仕事がしたいなんて何言ってんだって話しで、とにかく全部保留! と大きな力で時間を止められた感じでした。え? 私、今からなのに…… って。自分はそもそもわがままで、そのときは、こんなに自分の人生、妊娠出産に邪魔されるんだ、という発想になっちゃって。産んだあとも、思うようには生きられない時間が延々と続くかと思ったら、そんなこと笑顔ですんなり受け入れられるか! と」

母になるという人生の大転換を、どのタイミングで、どんな状況で受け止めるかに、万人共通はない。綿密なライフプランを描いても、計画通りになんて進まないものだし、現実になってはじめて、わかることもある。

「私の場合、まだ仕事も軌道に乗ってなかったし、産んだら簡単に『お母さん』に馴染もうとする自分が想像できたんです。子育てがあるからって思い込んでしまったら、もう自分の仕事なんてどうでもよくなっちゃうだろう、って。それが猛烈に怖かった。ここで漫画を諦めたら、一生自分が失くなってしまうような気がしたんですよね。それは嫌だ、私は母になるために東京に来たんじゃないぞ、と。だから一歩も動けなかった妊婦のときに、子どもが無事生まれたらこれまで以上にバリバリ仕事しようって決めました」

絶対に連載もとるし、自分の中に少しだけでも毒みたいなものがあるなら、それをどんどん作品に出して行こう、と覚悟も固めた。

「反発心ですかね。母は清い存在だと周りが見るなら、全部その反対をやろう、と。私はそういう人なんです。産んだ月に読み切りをひとつ描き、しばらくしてなんとか連載も始めました。産んだことが力になったっていうのは、いい話っぽくなっちゃうから違うんだけど、子育ての時間に自分の人生ごと持っていかれるのは避けたい。絶対に両方やるんだ、って。その思いが糧でした」

子どもが寝ている間にも描き、1歳を過ぎた頃に保育園通いが始まると、冷凍母乳を届けたりもしていたというから、両立のために、どれほどの気力と体力を使っていたかは想像に難くない。

「子どもが4歳くらいの頃から描き始めた『先生の白い嘘』という作品があるのですが、性の不平等を扱っていて、ああいう話が描けたのも子どもがいたから。親だから丸くなるというのが本当に嫌だった。でもどこかで、子どもが見ているから倫理的でなければならないというのもあって、人が言いにくいことは言いたいけど、倫理は通したい。それは強く思いながら描いてます」

常に自問自答してきたのは、自分にとって漫画を描くということは「そうまでして、やりたいことなのか」ということ。

「そうまでして、じゃなければ、しなくてもいいこともあるのかもしれない。子育てにはお金も必要だから働かなければならないという理屈も、もちろんある。それは絶対にあるんだけど、それとはまた別の、漫画家になるんだ、作品を世に出すんだ、というのは、そうまでしてなのか。何回も自問しました。でも、そうまでしてでも、と思ったなら、仲の悪かった自分の母親にも頭を下げるし、時間のやりくりは、なんとしてでもつける」

本人は「状況に流されやすい性格」というが、仕事に関しての意志は硬い。その意志を「試される」場面は幾度もあったと話す。あるとき、仕事の都合でどうしても子どもを見られないとき、公共の「保育ママ」の手を頼ろうと電話した。

「実は子どもは心臓に軽度の持病があり、行動制限も投薬の必要もないごく軽いものなのですが、定期検診は受けてて。保育ママに心臓のことを話したら、『そういう病気の子をもつ親が、自己実現のために仕事なんてどうかしているんじゃないの?』と叱責されました。最初はとんとん拍子で話しが進んでいたこともあって、びっくりして何も言えなくなり、ごめんなさいと謝って電話を切りました。そもそも私の仕事は自己実現なのか。自己実現とは何か、という話でもありますが、病気の子をもつ親はしちゃいけないって、自己実現ってわがままとイコールなの? 自分が自分らしくあるために、人が人らしくあるためにすることなら、それって悪いこと? 誰だって自己実現したいでしょ? それは応援できないの? と、すごく変な感じがしました」

その「変な感じ」は、時に仕事をもつ母親たちを下向かせる、暗雲のようなものだ。さしあたり大きな障壁はなく、子育ても仕事も楽しもう! と顔を上げて歩む人の上にも、垂れ込めることがある。

「いまの時代は少子化が社会問題と言われているわりに、子どもをもつことは自己実現の自己責任論だから、好きでもったんでしょ、なに贅沢言ってんの? ってすごいダブルスタンダードで、そこが一番つらい。社会復帰を応援、とか、母親の地位の向上、と言いながら、ちょっとでも自己実現要素を盛り込んだ人を叩くという。その足の引っ張り合いがなくなればいいのに、と思います」

ところで、鳥飼さんへのインタビューの〈前編〉では、子どもとの関係や、怒りのコントロールに悩んでいた時期の話しを聞いた。その頃の体験や、仕事を続けてきた経験から、同じようにいま「いっぱいいっぱいになっている人」がいるとしたら、どう声をかけるかを聞いた。しばらく間があり、鳥飼さんはこう言った。

「私もそうだったよ、って言うしかないかな……。アドバイスができるような子育てはしてこなかったから。一番キツかった頃って、本当はもっと『こうあるべき』という、ありもしないお母さん像と自分とを比べていた気がします。いつも優しく笑っていて子どもの言うことは全肯定、みたいなお母さん。息子もそっちのほうがいいと思ってるんだろう、ということに怒っていた。そんなの比べなければいいじゃん、で終わるし、誰もそんな母親像、あなたに求めてないよって話しだけど、言説というのは手強く、どんどん『像』をつくるから、それをひとつひとつ自分が捨てていくしかない」

友人に言われ、励まされたのは、「普通のお母さんはあなたには無理だよ」という言葉だ。

「一般的に、あなた普通じゃないから、って、やや褒め言葉というか、個性認められた感があるから、まんざらでもないように聞こえがちなんだけど、こと、子育てにおいての『普通じゃない』は、普通を満たせない自分に対するちょっとした絶望感がある。なかなか自分では認められないものなんです。でも、誰かにとっての普通でいるのは諦めよう。私は普通のお母さんじゃない。その言葉に自分自身が心底納得できたときから、解脱みたいなものが始まったような気がします」

気持ちに余裕が出てきた今は「インプットブーム」で、本をよく読んでいるという。もともと読書家で、2、3冊を同時並行で読む。知人に勧められた『しんきらり』は1988年発行。日常生活の中で、少しずつ壊れていく男と女の絆が描かれている。今年、翻訳本が発売されたばかりの『ノーマル・ピープル』は全世界で100万部を突破した長篇小説。劣等感や社会格差を根底に抱えた男女の恋愛の機微。著書は1991年生まれのアイルランド人作家サリー・ルーニー。
気持ちに余裕が出てきた今は「インプットブーム」で、本をよく読んでいるという。もともと読書家で、2、3冊を同時並行で読む。知人に勧められた『しんきらり』は1988年発行。日常生活の中で、少しずつ壊れていく男と女の絆が描かれている。今年、翻訳本が発売されたばかりの『ノーマル・ピープル』は全世界で100万部を突破した長篇小説。劣等感や社会格差を根底に抱えた男女の恋愛の機微。著書は1991年生まれのアイルランド人作家サリー・ルーニー。
2019年から『週刊ビッグコミックスピリッツ』で連載中の最新作『サターンリターン』。単行本は現在、第8集まで発売されている。鳥飼さんが繰り返し描いてきた男女の性差、そして「死」と「喪失」に向き合った問題作。第9集・10集が2月28日同時発売予定。『サターンリターン』はこちらからチェック。
2019年から『週刊ビッグコミックスピリッツ』で連載中の最新作『サターンリターン』。単行本は現在、第8集まで発売されている。鳥飼さんが繰り返し描いてきた男女の性差、そして「死」と「喪失」に向き合った問題作。第9集・10集が2月28日同時発売予定。『サターンリターン』はこちらからチェック
photo:Eri Kawamura text:Tami Okano

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