中1デビュー。現代っ子はSNSが当たり前?!|モデル asacoの4回目の育児 – fourth time around
この連載は…… モデルとして雑誌やCMに出演するいっぽう、子ども服ブランド「kitutuki」のディレクターとしても活躍中の asacoさんの連載。実は5月に4人目のお子さんを出産したばかりのasacoさん。4人目育児ってどんな感じ?家族の関係は変化した?家事やお仕事は?などなど、にぎやかな家族の日常を綴ります。
6月に異例の入学式を終えて、晴れて中学生となった長女りねん。いわゆる思春期まっただ中の彼女は、日に日に大人びた表情をのぞかせるようになりました。たまたま見返した数ヶ月前の写真に映る娘とは、もうまったくの別人のように思えるほどです。
同じ小学校から中学に進学した子が少なくて、お友だちできるかなぁとしきりに心配していたのも何のその。すっかり新しい学校の雰囲気にもなじんで、毎日とっても楽しそうに登校しています。はー、目をキラキラさせてまさに青春って感じ、うらやましー!
ただ、やっぱり現代っ子。先日とっても衝撃だったことがありました。中学のお友だちがわが家に遊びにきたある日のこと。私はひとりリビングで過ごしていたのですが、なにやら子ども部屋が騒がしいことに気づき、そーっと聞き耳立ててみると、、、、
「はーい! みなさん、こんにちは~」
と、威勢の良い声が聞こえてきたのです。な、なんと、お友だちとりねんと2人で、子ども部屋からtiktokでライブ配信をしていたのでした。おどろきのあまり、しばらく呆然とその場に立ち尽くしたのはいうまでもなく…。
いや、もしかしたら、そんなのフツーじゃない?! って思う方も多いのかもしれません。うちはわが子たちにまだタブレットを持たせることすらしていなくて、子どものIT事情にはかなり疎いタイプ。だから余計にびっくりしたのと、わたし自身がtiktokもSNSでのライブ配信もいまだ未体験だったのもあって(笑)、あまりにラフにSNSを駆使する女子中学生におどろきを隠せなかったわけです。
ま、でもこれが今の子たちの遊びなんだろうなぁと、ひとまず冷静になって見守ることに。すると、どうやらそのライブ配信で学校のお友だちのことを話してるような気配を察したのでした。
むむー、これって誰が見てるんだろう。名前こそ出してなさそうだけど、きっとみんなには分かるんだろうなぁ。
どんどん、不安になる弱気な母。そこへタイミングよく夫が帰宅して、ざっくりと事情を説明すると「それ、アサコが時代遅れなんじゃね?」と一言。あっけなくわたしの動揺を一蹴したのでした。むしろ、あまりにさらっと言いのけられて、こっちが衝撃。さすがだなぁこの人、とちょっと尊敬すらしちゃいました。
思い返せば、自分の時代も親世代とガラっと変わったと思えたのは、ポケベルの出現だったのではないでしょうか。当時、自分も流行りに乗りたくて、買って欲しいと母に頼み込んだっけ。時代とともに子どもたちのコミュニケーションツールが変わっていく現実をしっかりと受け止めて、大人のわたしたちは陰ながらその使い方を見守る。はぁ、すっかり私も“そっち側”になったのだなぁと痛感したのでした。頑なに拒んできた娘のスマホ所持も、おそらく近々解禁となるのでしょう。
さて、そんな折、今度は2歳児かぜおくんが通う保育園から配られたプリントに目が留まりました。『せたがやの子育て “どうしてる?SNSとの付き合い方”』。
なるほど、こちらは幼い子どもたちに対して、大人がどうSNSを利用するかというお話。手軽に情報収集ができたり、ママ友と気軽に子育ての悩みをシェアし合えたり、もちろんメリットもあればデメリットも。特に気になった「スマホ育児」というカテゴリーでは、ついつい家事をする間に動画を見せてしまう、パパに子守りを頼むと動画漬けになってしまうなど、割とよく耳にする事例が挙げられていました。
わたしは、まさに一度その習慣を取り入れてしまったら歯止めが効かなくなることを恐れて、これまでわが子たちに自分のスマホを手渡すことをしてきませんでした。「もういい加減やめなさーい!」と声を荒げるのが目に見えているので、最初からゼロにしておく作戦。とはいえ、お友だちがスマホを持っていたら、普段使えない分うちの子がスマホ遊びへの執着がすごくて、なんだかなぁ~といまだ手探りの状態です。
便利なツールも、使い方次第。そして、SNSが加速するこんな時代だからこそ、人と人とのリアルなつながりも大切にして欲しいと思うのです。ライブ配信を終えた中学生女子2人は、その後保育園から帰宅したかぜおくんと何やらとっても楽しそうに子ども部屋で遊んでいました。
やっぱり、その屈託のない笑い声こそ心地よいのよ。さすがに行けない日々が続いて“限界”とばかりに「キャンプ行きたーい!」と子どもたちが口にするのも、ひそかにとってもうれしい母。小さなころに遊んだ記憶として、リアル体験こそがたくさん刻まれて欲しいと思った、そんな出来事でした。