卒業対策委員を経験して見えたこと |モデル asacoの4回目の育児 – fourth time around
この連載は……
モデルとして雑誌やCMに出演するいっぽう、夫婦で手がけるケータリング業「マフィオ」として、最近はママキャンパーとしても活躍中の asacoさんの連載。2018年5月に4人目のお子さんを出産して、ますますにぎやかになった家族との毎日。4児の母ってどう?家事やお仕事は?などなど、なにげない日常から感じたことをつづります。
vol.41「あらゆる係を避けてきた私が、卒業対策委員を経験して感じたこと」
本当に開催できるのか。そう思って、気が気ではない日々でした。2週間前に終えた3人目すいちゃんの卒園式同様、長女りねんの小学校卒業式も、来賓、在校生はもちろんナシ、国歌も校歌も伴奏のみで歌はうたわず、出席できるのは生徒ひとりにつき保護者1名という前代未聞の条件下ではあったけれど、ぶじ開催できたことがなによりしあわせでした。
そして、縮小開催で泣くシーンなんてないでしょ、と懲りずに思っていましたが(前回の記事参照)案の定、涙なしではありえなかった…。入学当初は面識のない子ばかりだったのに、6年の月日を経て馴染みの顔がどんどんふえて、わが子のみならず、卒業証書を受けとる子どもたち一人一人の姿に涙。みんな、ランドセルに背負われてるみたいにちいさかったのにね。それぞれの成長を思うと、とめどなく涙が流れ落ちるのでした。
思えば、私自身もこの6年でものすごい変化を遂げました。小学生の親というのがはじめてだった私は、とりあえず親が学校に関わることに対しては深入りしないでおこう、という心づもりでいました。
PTAとか、もう、そのワードを聞くだけで大変そうだし!諸々の係活動も然り、自分にそんな大役が務まるはずもないし「学校ではできるだけ気配を消して、大変そうな係は極力避ける」をモットーに…
文字であらためて書くと非常に感じの悪い親ですが(笑)、本気で学校との関わりをできるだけ少なくすることを心がけて過ごしていました。
その意識が変わり出したのが、娘が3,4年生のころ。そもそも小学校でママ友を作る気も、必要性も感じていなかったのに、当時同じクラスだったママたちとの出会いがそんな私を変えたのでした。
3年生で学級代表を引き受けてくれたママがとにかく気配りが完璧な方で、私みたいな無愛想な存在にもちゃんと声をかけてくれるわけです。気づけば、クラス中のママたちと気軽にはなしができるほどに急成長を遂げました。
そのままクラス替えをせず持ちあがりだったので、思い切って学級代表をやったのは娘が4年生の時。サポートするよ〜って背中を押してくれるママが周りにたくさんいたからこそやり遂げることができたのだと、とってもありがたく思います。
ちなみに、役員をすると新たな発見も多々あって、より良い教育環境のために想像以上にたくさんの方々が関わってくださっていることだったり、先生方の意外な一面を垣間みることだったり。
そこには今までまったく自分の知らなかった世界が広がっていました。クラスを超えて、新たに親同士のつながりができたのもうれしかったこと。その経験を経て、6年生で卒業対策委員に立候補したのは、自然な流れでした。
毎年、年度末にお世話になった先生方をお招きして、感謝の気持ちをお伝えする親主催のイベントが開催されていて「卒業対策委員」、略して「卒対」とは、まさにそのイベントに向けた準備諸々を担うチームのこと。
私はその中で、記念品係のチームリーダーを引き受けました。結局、その会はコロナの影響で中止になってしまい、4月から活動を続けてきた私たちにとっては無念としか言いようのない結末となったのですが、約1年間、同じゴールを目指してきたみんなと培った絆は、何にも変えがたい宝物です。
係に携わってつくった記念品たち。なかよしパパママたちを巻き込んだ渾身の作です。
そして、最終的にはコロナによるハプニングが、数々の奇跡の瞬間をもたらしてくれました。知事から休校要請が出た翌日。イベント開催が絶望的になって、卒対のLINEアカウントには落胆の言葉ばかりが溢れました。
でも、ここからの動きがすごかった!当日6年生が演奏するはずだった歌を急遽ビデオ撮影することになり、その日のために準備してきた卒対係お手製の装飾をできる範囲で体育館に飾りつけよう!と突如招集がかかったのです。
それを聞いて、急いで学校に駆けつけたこと。集まることができたママたちで、マスクつけて黙々と作業したこと。3日かけて飾る予定だった装飾を、数時間で仕上げたこと。
完璧ではない飾り付けだったけれど、その中で子どもたちが力一杯歌ったこと。その様子を、卒対のママたち皆で目を真っ赤にして見守ったこと。すべて、係に携わったからこそ見ることのできた光景でした。
休校が続いて、卒業式の前日もまた思わぬ場面が。本来なら生徒や保護者たちのおおきな拍手と共にイベントでお渡しするはずだった記念品を、職員室に先生方を集めておひとりおひとりにお渡ししました。盛大ではなかったけれど、ちいさかったからこそ温かみの増す時間だったのがとても印象的でした。
そして極め付けの、卒業式の翌日。片付けも終えて卒対としてのお仕事をすべてやり遂げたのち、イベントで流すはずだった映像チームのママたち渾身の作品を、先生方に向けてサプライズ上映することに。
1年生から6年生に至るまでの子どもたちの成長がギュッと詰まったその映像に、先生も卒対のママたちも涙が止まらず…。正直、思春期でもあり、中学受験もあり、6年生とはなかなか大変な学年でした。先生方も心身ともにヘトヘトだったと思います。
それを最後、先生も保護者も一緒になってワンワン泣いて、おたがいに感謝の気持ちも伝えあって。卒業まで不完全燃焼だった分、ご褒美みたいに返ってきた時間でした。
「保護者の方々の支えなしに、学校生活はあり得ません。いつもありがとうございます」最後、涙ながらにそう語ってくれた校長先生の言葉は、過去に学校を敬遠していたこともあった自分の胸にとても深く刻まれました。
あんなに避けていた係活動を通じて得たことはあまりにも多く、自分でも驚くほど。いい学校とは、いい教育環境とは、子どもと先生と保護者と、3つのバランスが保たれてこそ生まれるのだとあらためて実感した小学校最後の日は、本当に素晴らしい一日でした。きっといつまでも忘れない!