【武田砂鉄×頭木弘樹】トランプ大統領の存在に見る、多様性が直面する困難

【武田砂鉄×頭木弘樹】トランプ大統領の存在に見る、多様性が直面する困難
日本、どうなる!? 〜他者と生きる編〜Vol.1 前編
【武田砂鉄×頭木弘樹】トランプ大統領の存在に見る、多様性が直面する困難
LEARN 2025.03.15
人生100年時代と言われるのに、先行きの見えない日本社会が心配すぎる!? 物価は上がり、賃金は上がらず、おまけに、政治やマスメディアへの信頼は失墜し、SNSの炎上、フェイクニュース、社会の分断も深まる一方…。こんな世の中、どう生き抜けばいいの〜!ライターの武田砂鉄さんをメインスピーカーに迎え、「他者と生きる」をテーマに3人のゲストと対談していただきました。第1回目は文学紹介者・頭木弘樹さんと考える「“多様性疲れ”の背景と現在地」について。前編では、“多様性”が直面している難しさについて考えました。

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武田砂鉄さん
武田砂鉄さん
フリーライター

出版社勤務を経て、2014年よりフリーライターに。2015年『紋切型社会』(新潮文庫)でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。週刊誌、文芸誌、ファッション誌、ウェブメディアなど、さまざまな媒体で連載を執筆するほか、近年はラジオパーソナリティとしても活動の幅を広げている。近著に『わかりやすさの罪』(朝日文庫)、『マチズモを削り取れ』(集英社文庫)、『テレビ磁石』(光文社)など。

頭木弘樹さん
頭木弘樹さん
文学紹介者

大学在学中の20歳で難病である「難病潰瘍性大腸炎」と診断され、13年に及ぶ闘病生活を送る。そのときにフランツ・カフカの著作をはじめ、読書に救われた経験から『絶望名人カフカの人生論』(新潮文庫)を編訳。近著に『自分疲れ ココロとカラダのあいだ』(創元社)、『決定版カフカ短編集』『カフカ断片集』(いずれも新潮社)、『口の立つやつが勝つってことでいいのか』(青土社)など。

口の立つ人が勝ってしまう、多様性疲れ社会

武田砂鉄さん(以下、武田):ここ最近、テレビや新聞を見ていて、やっぱり目に入ってしまうのは、アメリカのトランプ大統領の言動です。彼を見ていると落ち込むというか、すごく疲れるんですよね。

で、なんで疲れるのかって考えていたら、彼自身の言動はもちろんなのですが、その周りで頷いたり、ワーっと盛り上がったりしている人々の様子を見ているのがしんどいのだなと気づきました。

多様性の時代といわれますが、あまりにも気軽に“多様性”という言葉が使われすぎて、その文脈などを丁寧に見極めないといけないなと思う一方、トランプ大統領のように、すべてを潰し、それに対して「潰してやれ!」と人が群がるのを目の当たりにすると、強い言葉で切り捨てるあり方が支持を集め、盛り上がりが起きてしまうことへのつらさを感じます

トランプ大統領や、トランプ登場以降の空気感、頭木さんはどうご覧になっていますか?

頭木弘樹さん(以下、頭木)ついにきたなあと思いましたね。私自身は、学生時代に潰瘍性大腸炎という難病にかかり、13年間の闘病生活を送った経験を持つマイノリティ側の人間です。

そんな私も、やはり昨今の多様性を取り巻く状況については、苛立ちに近い感情を持っていました。

というのも、多様性って本当に“多様”なことで、そのすべてに正しく対応することは現実的に難しい。にも関わらずちょっと発言すると、「違う、もっと勉強しろ」と言われたりして。

そりゃあ、“多様性疲れ”をしてしまっても無理はないわけで、内心、「面倒くさい、そんなこと知るか!」って言いたいという欲求が、マジョリティ側の多くの人の中に高まっているのを感じていました。

だから、いつかはドカンとその反動がきそうだなと思っていましたが、トランプ大統領や現在のアメリカの情勢を見ていると、それにしてもすごいのがきたなあという驚きはあります。

武田:頭木さんの著書に『口が立つやつが勝つってことでいいのか』(青土社)というタイトルの一冊がありますが、まさに“口の立つやつ”が勝っちゃうとこういうことになるという一つの大きな例になってしまいましたね…。

頭木:白か、黒か。トランプ大統領のような、断定的な言葉って“強い”んですよね

私は脚本家の山田太一先生のもとに、生前200回以上、取材に通いました。そのなかで、意外だったのが、「自分のエッセイは昔は全然売れなかった」とおっしゃっていたこと。

山田先生のエッセイって「あぁでもない、こうでもない、あぁかもしれない…」といろいろ考えて、結論を出さない。そこが山田先生のすごく素敵なところなのですが、昔はそういうものがなかなか人々に受け入れられなかったようです。

でも、2014年の小林秀雄賞(※1)をはじめ、多くの賞をとられたように、時代を経るごとに人気が高まり、白でも黒でもない、“間にある曖昧なもの”を受け入れたり、そのよさに気づく人が増えている流れを私は感じていたんです。

でも、“どっちでもない”というのはやっぱりモヤモヤするので、忍耐が必要な部分がある。だからこそ「モヤモヤを受け入れるのは面倒くさい」と感じる人が最近増えていて、それも“多様性疲れ”やトランプ大統領をはじめとした断定的な物言いが支持を集める背景にあると思います。

型にはめたほうがラクだから? 理路整然がとりこぼすもの

武田:例えば、「紙ストローをやめてプラスチックのストローにしてしまえ」というトランプ大統領の言葉ひとつとっても、はっきりと、バサッと切り捨てるような断定的な言動には、ある種の痛快さを感じる人は一定数いる

その快感みたいなものに、複雑で曖昧な“多様性”という言葉で対抗し、“多様性疲れ”を乗り越え、再びその芽を育てていくのは、相当大変でしょうね。

頭木:トランプ大統領に反対している人も、一部ではスカっとしている部分があるのかなと思うと、彼の力は怖いですよね。

私が抱えている潰瘍性大腸炎という病気は、病気自体がものすごく多様で、病気がない人と同じように、食事をしたり、お酒を飲んだりできる人もいれば、寝たきりみたいな人もいます。

だから、どういう病気なんですかって聞かれたときにとてもややこしくて、当事者である私が、「自分はこうです」と言っても、「いやそんなはずない、安倍さん(※2)は違っていた」「自分の親戚は違う」と否定をされることがあるんです。

これって「AはBだ」と、型にはめて楽な形で覚えたい、それと違う情報が入ってくると面倒くさいということなのかなと思います。そして、この傾向が“多様性疲れ”にも通底しているのではないでしょうか。

武田:前に読んだエッセイで、若者と対話をしたときの体験談を書かれている方がいました。その若者は、「まず論点が3つあります。1つ目はこれで、2つ目はこれで〜」という話し方をしていて、それに対して筆者は違和感を覚えたそうです。

でも、そういうふうに伝えないと「で、何の話しているの?」となってしまうのが現在のコミュニケーションですよね。

構造がはっきりとしていて、いわゆる“理路整然”とした話し方が対話の正解としてあちこちで提示されていて、その型から大きく外れてしまうと、話を最後まで聞いてくれないかもしれないと思うと、私のように長い文章を書くことを仕事にしている人にとっては、「何やっているの」とひと括りにされてしまう恐怖があります。

頭木コスパのいい話し方ということなんですかね。

前述の著書でも書いたのですが、以前、沖縄県宮古島に移住をした際、それとは真逆の、何時間話していても、何を言っているかわからない方と出会いました。

その人との会話はずっとおもしろくて、何時間でも飽きないんだけれど、いつも最後には「あれ、なんで今日呼ばれたんだっけ」となってしまう。最初は正直言うと、理路整然と話せない人だなと思ってしまっていたんですね。

でも、よくよく考えたら、自分は“理路整然”にとらわれていて、“理路整然”ではこぼれ落ちてしまうようなものがその人との会話にたっぷり入っていると気づかされました。

理路整然って、スープのクルトンや豆だけを箸で摘んでいるようなもので、箸では掴むことのできないスープが実は、たっぷりあるんですよね。

武田:以前、出版社に勤めていたとき、新入社員時代に最初に出された課題が作家の対談をまとめる仕事でした。

文字起こし(※3)をしたものから文字数を削って調整していくのですが、文字起こしをしたものを最初に読んだときに、これまですごく聡明だと思っていた作家の方々が、意外にも他愛もない話をしていたり、話の流れも辻褄が合っていなかったり、ということばかりだと気づいたんです。

しかし、文字数を削る段階でどんどん理路整然とした形になり、作家本人に校正してもらうと、さらに理路整然とした文章になり、掲載されるときには、ものすごく“頭のいい人たち”という印象に変わっていきました

もちろん、掲載されている文章も嘘ではないのですが、どこにたどり着くかわからないけれど、思いついたことを話してみた、という不安定さの積み重ねが会話を生み、そこに二人の対談ならではの本質があったんだと今になって思います。

仲のいい友達との会話もそうですが、好き勝手に話したあとには納得感みたいなものが残っていて、コミュニケーションは理路整然とした明確な形を持っていないときのほうが、より私たちを満ち足りた気持ちにしてくれる可能性が高いのかもしれません。

頭木:私も形を持たない雑談が好きなのですが、発達障害などの当事者研究をしている横道誠さんが「雑談が苦手」と言っていて、ここにも多様性の視点が必要になることに気づかされました。

横道さんは精神医療の領域で注目されている対話療法「オープンダイアローグ(※4)」を実践されていて、これは対話における役割やルールが明確で、「これなら自分でも対話ができる」とおっしゃっていました。

その話を聞いて、多様性に対応していくには、何かルールみたいなのがあってもいいのかもと思いましたね。

とろ火の不幸を見つめ続ける、柔らかい眼差しを持ちたい

武田:ただ、難しいなと思うのが、アメリカのみならず最近の日本の選挙の動きを見ていると、コミュニケーションを紡ぐより、上から一方的に押しつぶすように、ルールを壊すほうが楽しいし、その豪快さに爽快感を覚えるというのがトレンドになりつつあるということです。

頭木さんが著書のなかで「強火の不幸はみんな同情してくれるけれど、とろ火の不幸には人は冷たい」といったことを書かれていましたが、刺激の強いものへやはり人は飛びつきやすい。

ただ、今育てていかなくてはいけないのって、とろ火に気づき、それを見ていく感覚だと思うんです。そのためには何が必要なんでしょうね。

頭木:とろ火の不幸って、誰しもが抱えうる弱さであり、それはマジョリティとされる人たちも必ずどこかに持っているはずなんです。

でもそこは見ないで、なんとか抑えて、強い方に参加しようとしてしまう。明日は我が身とわかっているからこそ、そっちには行きたくないという心理が働いてしまう。

弱いところがあっていいという価値観がもっと浸透すれば、弱さを分かち合いながらつながれるはずなんですが、どうしても強いほうがいいという今の世の中だと、弱いもの同士でも、「弱さは実は強さなんだ」とひっくり返そうとしたり、といったことも見受けられます。

正直、マイノリティになる経験をしないと、とろ火の不幸に眼差しを向けるって結構難しいなと感じています。

武田:人間は誰しも弱いからこそ、それこそ口が立つ、“強い”人側につきたがる。そのほうが自分を守ることができると思っちゃうわけですよね。

自分の中の弱さを認め、確認し、他者の弱さと比較するのではなく、弱さを強さに変えるのでもなく、弱さをベースに考えていく。これをどうやったら他者と共有できるのか。入口すら見当たらない世界になりつつありますが、その糸口を見つけていきたいですよね。

後編は…4月1日(火)公開予定

“多様性疲れ”を乗り越えるためにはどんな考え方や他者とのつながりを意識したらいいのかを考えました。お楽しみに!

※1:小林秀雄賞|三島由紀夫賞、山本周五郎賞、新潮ドキュメント賞とともに「新潮四賞」と呼ばれ、文芸評論家・小林秀雄氏の生誕100年を記念して創設された。日本語によって行われた言語表現作品一般とし、自由な精神と柔軟な知性に基づいて新しい世界像を呈示した作品に贈られる。
※2:安倍さん|第96代内閣総理大臣・安倍晋三氏を指す。潰瘍性大腸炎を持病として患っていたことが知られている。
※3:文字起こし|音声をテキスト化する作業のこと。
※4:オープンダイアローグ|フィンランドの西ラップランド地方発祥の対話療法。患者と医療者を中心に、場合によっては、家族も加わり、対話を行う。入院や薬による治療では得られなかった変化が見られるなど、その可能性に大きな期待が寄せられている。

illustration_Natsuki Kurachi text&Edit_Hinako Hase

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