左薬指に押し付けられた、“普通”という名の家父長制的価値観|松田青子エッセイ

左薬指に押し付けられた、“普通”という名の家父長制的価値観|松田青子エッセイ
自分の目で、世界を見たい Vol.1
左薬指に押し付けられた、“普通”という名の家父長制的価値観|松田青子エッセイ
LEARN 2024.10.15
この社会で“当たり前”とされていること。制度や価値観、ブーム、表現にいたるまで、それって本当は“当たり前”なんかじゃなくって、時代や場所、文化…少しでも何かが違えば、きっと存在しなかった。情報が溢れ、強い言葉が支持を集めやすい今だからこそ、少し立ち止まって、それって本当? 誰かの小さな声を押し潰してない? 自分の心の声を無視していない? そんな視点で、世界を見ていきたい。本連載では、作家・翻訳家の松田青子さんが、日常の出来事を掬い上げ、丁寧に分解していきます。第一回は「指輪にまつわる出来事から見えてくる家父長制的価値観が浸透した社会」について。

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松田青子
松田青子
作家・翻訳家

まつだ・あおこ/『おばちゃんたちのいるところ』がTIME誌の2020年の小説ベスト10に選出され、世界幻想文学大賞や日伊ことばの架け橋賞などを受賞。その他の著書に、小説『持続可能な魂の利用』『女が死ぬ』『男の子になりたかった女の子になりたかった女の子』(いずれも中央公論新社)、エッセイ『お砂糖ひとさじで』(PHP研究所)『自分で名付ける』(集英社文庫)など。

「右手の薬指ならいいと思います」

ある時、原宿にあるアクセサリーショップに行った。インスタグラムで見かけたショップで、気になる指輪があったのを覚えていたので、近くに行く用事があった際に寄ってみたのだ。

お店は本当に素敵で、しばらく目移りしながら店内を何周もした後で、気になっていた指輪を試着させてもらうことにした。

指輪のサイズは二つあり、私の指だと薬指と小指にぴったりだったので、どっちにしようかなと何度か指輪をつけてみて迷っていると、

右手の薬指ならいいと思います

それまでも接客してくれていたお店の女性が、それまでと同じ調子でそう言った。

私はもともと左利きで、装身具も左手につけるほうが落ち着くので、指輪もブレスレットも時計も左手につける。なので、その時も当たり前のように、左手の薬指に試着をしていたのだけれど、お店の女性からすると、左手の薬指は、いわゆる結婚指輪やパートナーリングをはめる指だという意識があったらしい

その言葉が気になりつつも、強い口調でもなく、カジュアルな雰囲気だったのでそのまままた何度か小指と薬指に試着していると、もう一度、

右手の薬指ならいいと思います

の一言が差し込まれた。

指輪が本当に気に入ったらその言葉を気にせずに買っていたと思うのだけど、なんだか決め手にかけたこともあって、最終的にその日は別のアクセサリーを選んだ。包装やショッパーもかわいくて、いい買い物ができたとうれしくなった。

ただ、帰り道、

右手の薬指ならいいと思います

という言葉についてしみじみと考えてしまった。

まず、これは私の偏見でもあるのだけれど、お店が原宿にある今っぽいおしゃれな空間だったので、そういうお店の私よりもずっと年下の、これまたおしゃれな店員さんが、何の疑問も持たずに、いまだにこういうことを言うのだなあと、根強い固定観念を感じた

昔ながらの宝飾店などで同じことを言われたら、「言いそう」と心の中で納得してしまいそうだけれど。

左手の薬指は、結婚指輪やパートナーリングをはめる指だと私の中ではあまり認識されておらず、それはまず、私の親たちがそういった指輪をしていなかったからだ。理由は「めんどくさかったから」だそうだ。

私の『自分で名付ける』という育児エッセイ的な本の中でも書いたのだけど、私は法的に結婚をせずに子どもを育てている。婚姻制度が苦手だからだ。

昔から、結婚、ウェディングドレス、結婚式、新婚旅行などなど、結婚にまつわる様々なことへの興味がまったくなく、そういったすべてを避けたまま暮らしているので、結婚指輪やパートナーリングなども今のところしていない。

私にとって左手の薬指は、他の指と同じように、好きなように好きな指輪をはめていい指である。とはいえ、やはりだいぶ以前には、左手の薬指に指輪をしていると、

恋人にもらったの?

などと聞かれることも少なくなかった。でも今、作家の仕事をしていると、周囲にもわりと自由めな人々が集まることもあるのか、結婚しているからといって結婚指輪をしている人もそう多くない。

最近では、ファッション雑誌のグラビアなどを見ていても、気にせず左手の薬指に指輪をつけているのを目にするし、昔ほど、「左手の薬指といえば!」的な考え方は薄まっているのかなと思っていた。でも、そうでもないのかもしれない。

試しに、SNSで少し検索してみても、「既婚者で結婚指輪をしていない人ってどういうつもりなんですか?」と、どういう観点なのかはわからないけれど、疑問を呈している人が見つかったくらいだ。

既婚男性が未婚女性に声をかけるために指輪を外すのを問題視してそういった発言をする人を何度かSNSで見たことがあるけれど(実際には逆もあると思うけれど、私が今のところ見たことがあるのはこのバージョンのみだ)、薬指に指輪をしていないからこの人は独身、と判断するのも安易すぎる気もする

会話やあらゆる言動や持ち物などなど、ヒントはもっとあるのではないか

指輪をするもしないも、どの指につけるもつけないも、個々の自由でいいやないかと思うのだけど、大人とは、結婚して、家族をつくるものであり、そうでなければ普通」の枠に入ることができない家父長制的価値観が社会にいまだ浸透していて、その延長線上に左手の薬指の指輪があるため、

右手の薬指ならいいと思います

の一言が、この2024年に新たに生まれることになる。それは、家父長制が再生産され続けていることの証拠でもある。

「普通」じゃなくてもいいと思える種をまく

日本の教育だと特に、若いうちに多様な価値観に十分に触れられなかったり、「普通」とは違う生き方を別にしてもいいことや、様々な理由で「普通」とは違う生き方をしている人はすでにたくさんいることに気づけなかったりもするだろう。

自分で気づいていくか、そのまま気づかずに生きていくか、になる。そうなると、「普通」じゃなくてもいいとどこかのタイミングで気づけるようなヒントを、できるだけ社会に散りばめていくしかない

結婚指輪の意味合いではなく左手の薬指に指輪をつけている一例として最高なのは、韓国ドラマ『ハイエナ-弁護士たちの生存ゲーム-』だ

キム・ヘスが演じる主人公、酷い家庭環境から這い上がってきて、勝つためなら手段を選ばない弁護士チョン・グムジャは、強気な言動に合わせて、ファッションも強めだ。

紫色や赤色など、原色のスーツを着こなし、ジャージも愛用。

今は使っている人も多いけれど、2020年放送のこのドラマで、彼女がスマートフォンをいつも斜めがけしている姿をはじめて見た時はあまりの良さに感動し、私含めた周囲の女たちが、スマートフォンの斜めがけストラップを買いに走ったくらいだ。

そして指輪。グムジャはだいだいいつも、左手の薬指にでかめのゴールドの指輪している。隣の中指の第一関節にもゴールドの指輪

この二つの指輪の組み合わせが相当かっこよくて、スタイリストさんの提案なのかキム・ヘス本人が決めたのかはわからないけれど、わざと左手の薬指に指輪をしたんじゃないかと思った。いかにもそんなこと気にしないキャラクターだからだ。

とりあえず、お店で指輪を試着している時に、

右手の薬指ならいいと思います

という声が降ってこないくらいには、「普通」じゃなくてもいいんだのヒントを、社会に散りばめていきたい
 

text_Aoko Matsuda illustration_Hashimotochan Edit_Hinako Hase

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