無理するのがかっこいいと思っていた30代。キャリアをつなげるのに必死だった。美容ライター・長田杏奈さん
第1回目は、雑誌やWEBをはじめ、さまざまなメディアで活躍する美容ライターの長田杏奈さん。仕事に子育てに多忙だった日々を支えてくれたケアや癒し、「自分を大切にする」ことへの気づきなどをうかがいました。
おさだ・あんな。1977年神奈川県生まれ。ライター。雑誌やWEBで美容やフェムケアにまつわる記事、インタビューを手がける。著書に『美容は自尊心の筋トレ』(Pヴァイン)、責任編集に『エトセトラ VOL.3 私の私による私のための身体』(エトセトラブックス)。podcast『なんかなんかコスメ』、ニュースレター『なんかなんか通信』も定期的に配信中。
妊娠を機にフリーランスに。キャリアを“積む”より“つなげる”のに必死だった
──週刊誌の編集部で働いていた長田さんが、美容ライターとして独立したのが20代後半。当時は自分の30代をどのようにイメージしていたのでしょうか?
長田:週刊誌の編集部で働いていた頃は、本当に忙しくて、隙間時間にトイレで寝るような生活でした。そんななか妊娠がわかったものの、激務をこなしながら出産・育児するイメージが全く湧かなくて……。考えた末に、前々から「いつかは」と考えていたフリーランスへの転身を決めました。
そこそこ長く同棲していたのですが、昔から結婚願望があんまりなくて、正直自分のライフプランをちゃんと考えられていたわけではありませんでした。ただ、幼い頃から将来自分は働きながら子どもを育てるだろうというイメージがあったので、「キャリアか、子どもか」みたいな二択で迷うことはなかったんですよね。私の母がシングルマザーで働く姿を見て育ったことも大きいかもしれません。結果的にいわゆる“でき婚“になりました。
──とはいえ、独立したばかりでの子育ては大変なことも多かったのではないでしょうか? キャリアを積んでいくことと育児をどのように両立されていたのか気になります。
長田:「美容ライター」として華々しく活躍するんだという野望とかは持てなくて、それよりも、子どもを産んで育てられる環境を急いで整えなきゃ、ということが第一でした。保育園に入れず、隣の区の認証保育にお世話になったので、毎月の保育園代にも1人十数万はかかるし、当時は、原稿料が入っても右から左。毎月毎月の支払いを回すだけで必死でした。自分のキャリアを積むということよりも、「子どもに手がかからなくなるまで、なんとかつなげるぞ」ということばかり考えていたと思います。私の性格もあると思うのですが、現場のいちスタッフとして「お迎えがあるので帰ります」みたいな割り切りができなくて……。延長保育やシッターさんや親戚など、あたふたと周囲の力を借りながらなんとか続けていました。今振り返れば結構無茶していたなと思います。
無理するのがかっこいいと思っていた30代。子どもが寝たあとの美容が大切な癒し
──肉体的にも精神的にも大変な日々を、どのように乗り越えていたのでしょうか?
長田:下の子が3歳になる34歳くらいまでは、本当につらかったですね。毎日、山盛りの化粧品やパソコンなどの仕事道具を両手にお迎えに行って、子どもたちの荷物と夕飯の買い物でいくつも袋を下げて、腕には跡がついちゃって。ママチャリにたくさんの荷物を積んで、前後には子ども。坂を立ち漕ぎしたり、子どもがうつらうつらするとバランスが崩れて植え込みに突っ込んじゃったり……。子どもたちはケンカして騒ぐし、つねに締切に追われているしで、精魂尽き果てて玄関で倒れ込み、「もう動けないよ」と泣きながら友人に電話したこともありました。
原稿を書き始めるのも、子どもをやっと寝かしつけた夜10時、11時から。襲ってくる睡魔と戦うためにEDMを聴きながらエナジードリンクを飲んで……とにかく目を開けて意識を保つのに必死でした。でも、30代前半までは無理してでも、自分の限界を突破して頑張ることがかっこいいと思っていたんです。
そんな日々のなか、数少ない癒しが美容でした。仕事とか子どもとか、追われているいろんなものからちょっと離れて自分と向き合うことができる。そのひとときが自分にとってはすごく大切だったんです。
──2019年に出版された著書「美容は自尊心の筋トレ」は、まさにそんな日々の中で長田さんが感じたこと、考えたことをまとめた一冊ですよね。
長田:一時期、美容業界でだいぶ辛口な「ダメ出し」コンテンツが流行ったときがあったんです。読者のBefore/Afterを写真で紹介する特集を作ることが多かったのですが、私は「Beforeも十分いいのにな」と思っていました。だから、厳しいコメントを聞くと、「どうせ私もジャッジされているんだろうな」と殺伐とした気持ちになることも。
「愛され」とか「モテ」がブームになったときも、誰かに「OK」をもらうための美容って、私が好きでいつもやってる美容とは違うんだよな、と。子育てがひと段落してくると、世の中に出回っている「美容」の話とはちょっと違う、自分を癒したり、勇気づけたりする美容の話を自分の言葉で発信する機会が増えました。
小さな自分の声に耳を傾けて。無理をやめたら、日々に満足できるように
──美容の他にも、長田さんが大変だった時期を乗り越えるために、大切にしていた癒しやケアはありますか?
長田:身体がしんどくて毎週のように通っていた整体の先生に「このままだと歩けなくなりますよ」と言われたり、鍼の先生に「杏奈ちゃん死んじゃうよ」と注意されたことがあって。さすがに危機感を覚えて、運動するようになったんです。もともと運動は大の苦手だったのですが、体を整えることをメインにした、コンディショニング系のパーソナルトレーニングやピラティスならなんとか続けられました。驚いたのが、これまで時には35度を切って寝込むこともあった低体温が改善され、平熱が36度代に上がったこと。コロナ禍以降はサボり気味だったのですが、日頃からできるだけ歩くようにしたり、隙間時間にちょこちょこ体を動かすようになりました。
価値観にも変化が生まれて、「もうちょっと自分を大事じゃなきゃ」と思うようにもなりました。それまでは、自分の頭脳というか理性の命令に、身体や心が奴隷のように従う感じだったんです。でも、身体や心も平等に扱おう、と。
「自分を大事にする」って、なかなか難しいことだと思うのですが、私は、自分の中の小さい“あんなちゃん“の声に耳を傾けることだと思っています。例えば、「あんなちゃん」が「眠い〜」とぐずりはじめたから今日はもう寝よう、みたいな感じ。そうすると、だんだん自分の本音と折り合いをつける癖がついて、自分に優しくできるようになる気がします。スケジュールの限界まで仕事を詰め込んだ「誰かに必要とされて、期待に応える自分」がしっくりきた時期もあるけど、今はもうそういうテンションじゃないですね。
──自分のことは後回しにしてしまったり、周囲に気を遣ってしまったりして、なかなか「自分を大事する」ことができない人も多いと感じます。どうしたらうまくバランスが取れるでしょうか?
長田:どうなんでしょうね……。まず、「自分を大切にする=我がままを貫く」ではありません。私だって実はだいぶ気は遣うし、人のために頑張るときも結構あります。ただそれは、そうしたい自分の気持ちを大切にしているわけです。それに結構面倒くさがりなんで、「まあいっか」と、空気を読んだり、流したりすることも多いです。でも、心の中の「あんなちゃん」が地団駄踏んで嫌がったり、シクシクしていたりするときは、自分の気持ちを守るために踏ん張ります。いちいち喧嘩腰にならなくてもいいし、「NO!」が苦手だったら、「あー、ちょっと……そういうのはうーん……」とじりじり後退りしてフェードアウトしてもいい。ただ、自分を後回しにしがちなのがバレバレだと、他人を支配して意のままに操るコントロールフリークとかハラスメント気質の人が寄ってきやすいから、そういう人の「自作自演劇場」に巻き込まれないように注意が必要です。
私も、ここぞというときは、しっかり「シャーッ!!!」と威嚇します。それはたぶん、ここ数年ハマっているゾンビゲームのおかげ。コスメや動植物を愛でながら暮らしているだけでは得られなかった攻撃力が確実に育まれた気がしています(笑)。
植物、動物、ゲーム…「映えない」けれど、自分にとっての幸せを見つけておくのが大事
──長田さんは、ゲームの他にも、庭いじりや鳥や犬、プロレスなど、好きなものや趣味がたくさんありますよね。それもつらいときの支えとなっているのでしょうか?
長田:好きなものや趣味があると、やっぱり心の支えになるし、発見も多いですよね。
30代後半、人間関係に疲れてしまった時期があって、植物の存在はずいぶん癒しになっていました。ベタな話ですが、植物にはそれぞれライフサイクルがあって、冬には枯れ果てて地上部が何もなくなってしまっても、春になるとまた芽吹いて花が咲いたりする。私たちはつい花が咲いたところばかり注目してしまうけど、季節によって本当にいろんな姿があって、見ていてなんだか安心するんですよね。人間も、いつも花盛りなんて不自然で、いろんな時期があっていいんだなと。
趣味というほどのことでなくても、例えば、この鳥柄のマグカップは京都に行ったとき買ったのですが、自分が歳をとって、植物や動物の世話もできなくなって、小さな部屋に一人でじっと籠って暮らしていたとしても、これを見るたびに旅の思い出や植物や鳥のことを思い出して幸せになるだろうなあと思うんです。そんなふうに、自分にとっての「映えない幸せ」「ふっとゆるむ物事」を大事にすると、生きていく上できっと心強いんじゃないかなと思います。
バイトで不採用続き。40代になった今も、ジタバタしています。
──今年で47歳の長田さん。人生の先輩として、これから30代を迎える、あるいは今30代の読者へ向けて、日々を生き抜くためのアドバイスをお願いします。
長田:結婚して子どももいて、仕事もしていて、一見すれば世間的なライフステージポイントをクリアしているように見える私が、何か言っても、全部上からみたいになってしまわないかなと不安なのですが……。
今、濡れ手に粟(あわ)で、余裕しゃくしゃくの順風満帆かといったら、全くそんなことなくて。本を出版したり、自分の名前で大きい仕事をしたりするようになっても、むしろ30代のときより経済的には不安定かもしれません。物価高でもライターの原稿料は上がってないし、時代が紙からデジタルにシフトする中で手間は同じか増えている。それにインボイスも負担です。たぶん、時給換算したら最低賃金をとっくに割ってると思う(笑)。
自分のやりがい維持と生活を天秤にかけた結果、今、就職活動をしているんです。最初は隙間でできる他業種バイトを探してたんですけど、なかなか上手くハマらず……。子どもも手を離れつつあるし、親の介護が始まる前にもういっそ就活するか、と、目下いろいろな業種で面接してます。年齢も年齢だし、どこにも引っ掛からなかったらまた考えます(笑)。高校時代の担任の「かっこつけて何もしないより、無様でも中途半端でも何かしら動いてみた方がいい」という教えを今も実践しています。
普通だったらこんな状況に「世の中に必要とされていない」「将来どうしよう」と落ち込むところですが、こうやってネタにしてそこまでダメージを受けずにいられるのは、自分のことが好きだし、なんだかんだ幸せで満足しているからなんだと思います。寝て起きてご飯食べて、毎日犬と鳥がかわいい。それだけで本当に幸せなんですよ。だから履歴書だけの付き合いの他人に却下されまくっても、ヘラヘラして気にせずにいられます。
人生に「ゴール」とか「上がり」なんてなくて、どんな年代でもその人なりのステージの見えないところで、ジタバタもがいているんじゃないかなと思います。結局、今の私にとって大切なのは、保証された未来の大きな目標とか、誰からもわかりやすい成果とかじゃなくて、1日1日の小さな満足をじんわり味わうことなんだと思います。そういう話を、30代の自分が聞いても、ピンとこなかっただろうけど(笑)。
最近、文筆家の佐久間裕美子さんから、「挨拶で『お元気ですか?』と言わないようにしている」と教えてもらって。よくある挨拶だけど、元気でいることが前提だったり、元気かどうか説明しなきゃいけなかったりするのが苦しい人にも配慮する素敵な心がけだなと思いました。なので、私も「お元気で!」とは言いませんが、なるべく無理せずできるときは自分に優しくして、他人や世間の「こうすべき」圧に押し潰されそうになったら、自分の中にいる小さい子の声を聞いてあげると良いのかもしれません。
text_Renna Hata photo_Mikako Kozai edit_Kei Kawaura