《植物染色》留めておくことのできない、変化し続ける地球に生きている実感。
自分でつくる、自分で出会う | ハンドメイドは小宇宙#5
21世紀、いまはワンクリックでなんでも探せる時代だけれど、本当に欲しいもの・みたいものはいつも見つからないような気持ちになるのはなぜだろう。
でも私たちには最強の相棒、"両手"がある。
ちょっとの失敗なんて気にしない。心の動くままに手を動かせば、世界でたった一つの愛おしいモノたちが誕生するかもしれない。
今回は、地球を知る作業?自然が織りなす色彩に心奪われる《植物染色》の世界をのぞき見。
ゲスト:古山 美左紀さん
様々な偶然が重なり合って辿り着いた、染色の世界
3年前に、東京から山梨に移住したという美左紀さん。染色と出会うまでの道のりも様々な偶然に導かれてのことだったという。
「小さい頃はクラシックバレエをやっていて、まさにバレエに人生を捧げているという感じでした。でもストイックにやりすぎて、高校生で体を壊して。将来のことも考えて、これじゃ食べていけないとも思ったので、バレエの衣装やレッスンウェアを制作する側として文化服装に4年間通いました。だけどそのうち、何かバレエに関することを無理やりたぐり寄せている自分に気がついて。あれだけの経験をしてきたのだから何か生かさなきゃ!と、思ってしまうことにも違和感を持ち始めて、やめることにしたんです。
その後はどこにも就職せず、自分のピンときた場所でアルバイトしながら転々として。最終的にバイトしていたのが、”染め”との出会いにもなった八百屋さんでした。今考えると、そこが今の暮らしの全ての始まりですね。その頃は、今ほど草木染めが知られていないような時代だったかな。八百屋さんで働いていると毎日破棄される野菜が出るので、家にたくさん持ち帰るようになって。この野菜たち、染料として使えそうだなと興味が沸いて、持って帰っては家で片っ端から煮詰めるっていう実験をやり始めました。
でもその時は”草木染め”という言葉も知らなかったので、それをやろうというよりかは本当に好奇心から始まったという感じで。日々実験を繰り返すうちに、ようやく”草木染め”という言葉と出会い、そこからはじめて独学で知識を身につけていきました。染料を煮出して、布をつけるだけではうまくいかないという体験がまずあったからこそ、より専門的な知識もすんなり頭に入ったというか。こうした方が、色が落ちにくいんだ、とかがすっと納得できました。今思うと、その出会い方が良かったんだろうなと思います。染色をまず学ぼうという姿勢から入っていたら、多分途中でつまらなくなっていた(笑)。今、染色をお仕事として依頼してもらうこともあるけれど、気持ちはあくまで職業というより実験師という感じです」
また、八百屋でのバイトが現在暮らしているという山梨への移住のきっかけでもあったとか。
「より自分の暮らしに密接でリアルなことがしたいと八百屋で働いていたのですが、当時私が働いてた場所のすぐ近くにまた新しい八百屋ができて。イエローページという場所なのですが、2階がコミュニティースペースだったり居酒屋だったりで面白い場所なんです。そこで出していた野菜が全部、今住んでいる北杜市の有機野菜で。実はそこで、今の夫である憲正とも知り合いました。その頃私は、7年いた東京を出て地元に帰ろうとしていたタイミングで。実際に帰って1、2週間石川で過ごしていたんですが、しばらくしてどこか別の場所に遊びに行きたいなあ、と思って。その時ちょうど憲正が北杜に引っ越したらしいという話を聞いたので、ちょっと遊びにいくつもりで行ったら、そのまま住み着いてしまいました(笑)」
パートナーとの出会いと、土地との出会い。様々な出来事が重なり、ようやく染色にもじっくり向き合えると思った矢先、なんと妊娠が発覚。想像もしていなかった出来事の連続を、美左紀さんはどのように感じていたのだろうか。
「山梨の土地に立って初めて、今自分のいるべき場所はここだと感じて。染色をやるのにもここならぴったりだと思いました。植物染色や草木染めをするには、やっぱり東京よりも自然が身近なところがいい。人目を気にするわけでもなく、自然と対等に暮らしながら採取ができるのも魅力的でした。ここだったら自分の仕事が思う存分できる!と意気込んでいた矢先に、なんと子供を授かって。もちろん喜びは大きかったのですが、来てばかりだったのでとにかく生活を整えるのに必死でした」
生活基盤をつくるのに一生懸命になると同時に、母となりゆく美左紀さんから、染色という行為はだんだんと遠ざかっていった。
「染色って、鍋に大量の水を汲んで運んだりするので体力的に結構大変で。はじめはそういう理由で『できなくてちょっと辛いかも』くらいでした。生まれたらすぐまた動けるだろう、みたいな。でもそんな簡単じゃないんですよね。なんていうか、妊娠した瞬間から本能的に母の体になるんです。自然に囲まれた場所で暮らしているから、自分の野生的な感覚が余計鋭く感じられる。
生まれてからも、少しでも時間があるんだったらできるじゃん、って言うのは簡単なんですけど、とにかく自分のことはどうでもいいから、少しでもこの子によくしてあげたいと体が勝手に思うんです。それで母親というカテゴリーの檻に入ったような感覚に自分でなって、産後うつになってしまいました。多分ホルモンバランスの影響もあったんだと思うんですけど本当に辛かったです。あれって不思議で、私が母親だからこうしないと!と思っている訳じゃないんですよ。本能的な自分の制御不能な内側から、この子を守らなければいけないっていう感覚。自分のための時間なんて、後回しでした」
自分に還るもの、還れる場所を知ることは大事。染色は、わたしたちの地球を解剖する作業
昨年の9月からようやくお子さんが保育園に通い始めたことで、風向きが変わった。制御できない”母”の力に翻弄されながらも、染色を通して美左紀さんの中に一筋の光が見えてきたという。
「染色をまた再開するようになって、子供とセットの母親と相手の自分じゃなくて、自分がどう生きてきたのか、自分はどういうものをつくる人だったのか、もう一度思い出す時間が持てて。自分は、そういう深度に潜っている時が1番気持ちがいい。それと、単純に手を動かす時間を持つことで、自然と個人に戻ってこれたんです。産後は、あの頃の自分にはもう戻れないだろう、これから何をつくるにしても”母親としての自分”でやるしかなくなるんだと絶望していました。でも作業していくうちに、元の自分に戻れたんです。染色は、煮出して染めて、外に出す作業でもあるけど、自分の内側に入っていく瞑想みたいな作業でもあります。それで安らぎを感じられました」
母になってからも、また向き合おうと思えた染めの作業。人生に寄り添うライフワークとして、その行為にいつまでも魅せられる理由とは、いったい何なのだろうか。
「同じ色が、2度と出ないっていうのは一つの理由かな。作られた化学の染料じゃないから例えば同じ植物で煮出しても時期が違えば色が違う。生きてる植物が相手なので、毎回生きものの、その瞬間の色をもらうみたいな感覚です。染め上げた後に、少しずつ色が薄くなっていくのを退色といったりするけど、変化するっていうこと自体が自然だし気持ちがいい。でも、自分はもっと広い範囲でやっていきたいと思っているので、採取にこだわっている訳でもなく、世界各国の染料なんかも取り寄せて実験しています。綺麗に染め上げるっていうことが自分のゴールではないので、染めるのは1つの手段でそこから何を作ろうかと考えています。
あとはここで暮らすようになって、外を歩いてたりして春の植物を見つけるじゃないですか。それで今ならこの色が取れるから、これで染めようって順序になるんです。自分きっかけじゃなくて、相手きっかけ。そこに身を揺られて動いていくと、その後の流れも全部スムーズになるっていうことを、身をもって感じています。食事もそうで、春に山菜とかが芽吹き始めて、すごく苦いんだけど冬が終わる頃にはなぜかすごく食べたくなってくる。東京にいた頃は、それが良さでもあるんだけどノイズが多くて、染色をやるにも少し不自由だった。ここは生地屋さんもないし、不便な時もあるけれど、あるものでやる自由を感じています。そうすると、割と何やってもやりやすいし、つじつまが合うというか。ここにきてやれるのは良かったなと思います」
また、新しい土地で再び染色と向き合う中で、色と世界の繋がりを濃密に感じる瞬間が増えたという。
「地球って、遠くから見るとほとんど青と緑じゃないですか。でも染色をしていくと、このふたつの色って実際には自然に出せない色なんです。藍染めなんかも、手を加えてできた青色。空も青いけど、実際に空気に触れて青ってことではないし、海や川も青く見えるけれど、水を触ったら透明ですよね。緑の葉をつけた木も、根っこから水分を得てるからそれまでは緑を維持してるけど、引っこ抜いたらすぐ茶色に退色してしまう。緑って、生きてる瞬間の色が緑なんです。留めておくことができない色なんですよね。青も、見えているその時だけが青だったり。そうやって地球は成り立ってるっていうことに、染色を通して気づくんです。これは、志村ふくみさんという方の本で知ったのですが、実際に作業していると身をもって分かる瞬間が沢山ある。そういう時に、変化し続ける、留めておくことのできないこの地球に生きている実感に圧倒されます。
だから染色を通して、今自分が認知してる全ての色の知識を深めていくっていうことは、自分の中では地球を解剖していくような感覚に近くて。大きいものを認知するために、小さいものの細部まで見ることによって、全部がわかってくる。そこに自分は一番惹かれているのかもしれない。単純な作業をやっているかのようで、意外とスケールの大きなところまで触れている感じがする。だから、染色で自分を表現しようと無理につくっている訳でもなく、手を動かせば、絶対そこに自分の何かは映し出されるじゃないですか。そうやって未知の自分や地球を客観視する手段なのかもしれない。自分は移住してゆったり暮らそうというタイプでもないから、これからも子育てしながら、鋭く、考え続けて、感じ続けて、悩み続けて、苦しみ続けて、良いも悪いも全部見ながらやっていくんだと思います。そういう性格に苦しくなる時もあるけど(笑)、柔らかさも持ち合わせながらやっていきたいです」