「らしさ」を展く/寿木けい 第10回 ひんぴんさんになりたくて。
本誌巻頭エッセイ、寿木けいさんの「ひんぴんさんになりたくて」。ひんぴんさんとは、「文質彬彬(ぶんしつひんぴん)」=教養や美しさなどの外側と、飾らない本質が見事に調和した、その人のありのままを指す、という言葉から、寿木さんが生み出した人物像。日々の生活の中で、彼女が出逢った、ひんぴんさんたちの物語。
仕事の節目、節目に、一緒に働きたいと思う相手がいる。
私なんかは元が編集者で今は書く仕事をしているから、デザインはあの人、写真はあの人に担当してもらえたらなあといった、空想上のチームのようなのを、なんとなく考えていたりする。
書く人というのは、フィクション、ノンフィクションにかかわらず、言いたいことが強烈にある人だから、表現を後押ししてくれる存在を、いつも探しているということだろう。
しかし、そうやって手間と時間を費やして完成した本も、発売してしまえば、作者にできることは多くない。サイン会に出たり、取材を受けたりする機会はあるものの、それらはあくまでも回想に分類される仕事。好意的な感想をSNSでリツイートすることでさえ、過去を拾う行為のように私は感じてきた。
この考えが変わったのは、「コトゴトブックス」店主の木村綾子さんと知り合ってからだ。
木村さんは、モデルやタレントを経て、自身も作家として執筆活動を続けながら、2021年夏にオンライン書店のコトゴトブックスを立ち上げた。
「作者は本を書いた時点で力を出し切っています」
実感をこめてこう話す木村さんは、ならば本が生まれたそのあとを私が引き継ぎましょうと、作者・本・読者の三者をつなぐさまざまな企画を手がけている。
一冊の本を広い世界に送り出すために、あるときはオンライン読書会を開き、またあるときはオリジナルの雑貨をセットにして販売したりする。その本に一番合ったおもてなしを考え、「こんな風に届けさせてもらえませんか」と作者を口説く仕事、とも言い換えられる。
そのエネルギッシュな仕事ぶりをネット上で見ていた私は、一昨年エッセイ集『泣いてちゃごはんに遅れるよ』を出した際、担当編集者とともに初めて木村さんのもとを訪ねた。私たちの本を一緒に売ってもらえませんか、と。
ちょうど同じ時期に『書く仕事がしたい』(CCCメディアハウス)を上梓されたライターの佐藤友美さんを対談相手に迎え、文章を書いて収入を得ることについて話したいという大枠を持ちかけたのは私だったけれど、内容を整理し、収益を上げられるイベントにおとしこんでくれたのは木村さんだった。配信チケットは視聴上限数が売り切れたと聞く。
なにより、木村さんの仕事ぶりに、冷たい水を浴びたようにすがすがしい気持ちになった。
学生時代のアルバイトから数えて二十五年経って思うこととして、気持ちのいい人たちの中に混ぜてもらってワイワイするのが、私にとっての働く喜びである。この連載にも、ひんぴんと働く人が登場するし、彼ら彼女らの姿勢から、使える道具を拾って磨いていきたいと思う。
木村さんの道具は、何だったか。
はじめましてのあいさつから、打ち合わせ、ベントの告知まで、すべての仕事には言葉が欠かせないわけだけれど、彼女の文章はどれもとてもよく磨かれていて、几帳面で親切な人柄が際立っていた。しかも、発せられるタイミングに横着がなく、ばっちりなのである。
そんな経緯があったから、昨年秋に『愛しい小酌』を出版した際も、木村さんと一緒に本を売ろうと決めていた。私に特に売上目標があるではなかった。ただ、木村さんちでなにかしたい。その動機ひとつで、祭りの準備をしているようで、毎日がぐんと面白くなった。
木村さんと仕事をしたことがある別の編集者も、同じように言っていた。本人がいない場所で、いい評判で盛り上がるというのは、けっこうすごいことだ。
私は「自分らしく」を追い求めることには懐疑的だ。自分らしさは、本人には見えない。なのに追い求めようとするから、迷子になる。
そうではなく、目の前のことをひとつひとつ積み重ねていった先に、人から判断された、その人らしさが展(ひら)かれていく。木村さんを見て、そう思う。
先月、慌ただしい年の瀬に木村さんから届いた仕事関係の荷物の中に、「言葉のやりとりが多くなる季節です」というメッセージとともに、美しいポストカードが数枚同封されていた。
言葉の乗り物は、この人にとってはやはり紙なのだ。その人らしさとは、一貫性であり、それは清潔感に通じるのかもしれない。