どんなときでも自分らしく。 『産まないことは「逃げ」ですか?』 人気コラムニスト・吉田潮さんが語る、不妊治療の経験。
34歳で子どもが欲しくなり、不妊治療を体験した吉田潮さん。著書の『産まないことは「逃げ」ですか?』は、発売から4年、今も世代を超えて多くの女性の共感を呼んでいる。
不妊治療の結果はどうあれ自分を知るきっかけに。
女性にとって大きな出来事といえる妊娠と出産。あらゆる人生の選択肢のなかで「産まない」ことを決め、それを題材とした本を執筆したのが人気コラムニストの吉田潮さんだ。
「34歳のときに子どもが欲しいと思うようになり、39歳で不妊治療を始めました。そのとき、夫は46歳。とにかく自分が妊娠をするためには時間がないと感じていたので、体外受精を選びました。そして、年齢的なこともあったのと、自分はメンタルが強いほうではないという自覚もあったので、期限は1年と決めました」実際に不妊治療の終わり時を決めるのは難しい。可能性がゼロでない限り諦められないという声も多い。
「私もその気持ちにはすごく共感できるけれど、同時に時間もお金も有限だという意識もありました」初の採卵でとれた卵は4個。顕微鏡下で卵子に精子を注入する顕微授精はうまくいかず、2回目の体外受精で妊娠判定の陽性が出た。「本当にうれしかったです。正直なところ、浮かれまくっていたと言ってもいいくらい(笑)。だけど、喜びもつかの間、定期検診で流産と診断されました。このときはいろいろな感情がないまぜになって辛くて仕方なかった。まわりの人に気遣いをさせてしまうのも申し訳なくて、ひとりのときはずっと泣いていました」
再び治療を始める気力もわかなければ、きっぱり諦めることもできず、頭の片隅で「可能性はまだある」と無意識に思い、外で子どもを見るとモヤッとする。簡単に踏ん切りがつくわけなどない。ただ、年齢とともに変化をするカラダは正直で、女性ホルモンの分泌の低下により月経が乱れはじめた。
その現実を直視した吉田さんは「自分なりにやりきったのだから、産まない」ことを決めた。妊娠を望む人、そうでない人、産む人、産まない人。さまざまな選択肢があるなかで、吉田さんは不妊に懸命に向き合った女性が「産めなかった」のではなく「産まなかった」と言える世の中になってほしいと願う。「辛いことや苦しいこともたくさんあったけれど、それも含めて不妊治療を体験して得られたこともあるし、物事の角度を変えて見れば、産むこと、産まないことそれぞれに喜びや楽しみがあります。結果がどうであっても、いまの自分は幸せだと胸を張って言うことができます」
『産まないことは「逃げ」ですか?』
人気コラムニストの吉田さんが自身の不妊治療の経験をもとに、治療中に見たこと、感じたことを赤裸々に綴った一冊。読者からの共感の声が続々。(ベストセラーズ/1,320円)
Profile…吉田潮(よしだ・うしお)
1972年千葉生まれ。医療、健康、ドラマなど幅広い分野に関するコラムを執筆。著書に『親の介護をしないとダメですか?』(ベストセラーズ)がある。